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アメフト観戦記や読書日記を綴っていましたが、最近は古墳(コフ)ニストとして覚醒中!横穴式石室をもつ古墳にハマっています。

藤原京右京五条八・九坊、慈明寺遺跡発掘調査 現地説明会

2020-11-12 22:29:26 | 現地説明会

 令和元年10月6日(日)

 この日は、奈良の橿原市で藤原京に関連する発掘調査の説明会が三つ同時に開催されるため、朝早くから、現地に赴き説明会三昧の一日となった。

 まずは、畝傍山の北側、「藤原京右京五条八・九坊、慈明寺遺跡」から参加することにした。ここは、将来的には奈良県立医科大学の新キャンパスになる予定であり、そのための発掘調査となった。

 今回の発掘調査では、藤原京の遺構と一緒に弥生時代前期の遺構が検出されている。

 

 写真の左側が藤原京の、右側が弥生時代前期の遺跡である。

 【弥生時代前期の遺構】

 弥生時代前期の遺構としては、南東から北側に向けて曲線を描く溝が数本見つかっている。溝4~7がそれである。

 【溝4】

 

 【溝5】

 

 溝5の上に、南北の溝がまたがっており、これが、藤原京の西八坊大路の側溝跡である。

 これらの溝は、居住地の周辺に掘削された環濠である可能性が高く、奈良県内でも最も古い時期に営まれた環濠集落の一つである可能性が高いとのこと。

 溝跡からは、土器や石包丁などの材料となる流紋岩の塊などが見つかっている。

 【土器】

 

 【もみの痕が残っている土器】

 

 【流紋岩】

 

 この遺跡の近くでは、四条シナノ遺跡という環濠集落が見つかっており、その遺跡よりも古いらしい。

 【藤原京の遺構】

 藤原京の遺構としては、先ほども書いたが、藤原京の西八条大路とその側溝、それから掘立柱建物が3棟とそれに繋がる掘立柱塀と見られる柱穴が検出されている。

 【南北溝1、2】

 弥生時代の環濠集落の環濠と考えられる溝6、溝7を挟むようにして、南北溝1と2がある。溝の間の距離は、17mあり、これが、藤原京の西八坊大路で、南北溝1、2は、その東西の側溝にあたると考えられている。

 

 写真のビニールひもがその幅を表している。

 【掘立柱建物2】

 

 調査区の西南隅に掘立柱建物と思われる柱穴が見つかっており、桁行3間、梁行2間の建物と考えられ、この建物と掘立柱塀と考えられる柱穴が繋がっていることから、この建物は、この宅地の門ではないかと考えられている。

 【掘立柱建物1】

 

 掘立柱建物2の北側に、桁行5間、梁行2間の身舎に南北両面に庇のついた掘立柱建物1がある。この調査区では、3つの掘立柱建物が見つかっているが、この建物が一番大きく、また南北に庇のある立派な建物であることから、この掘立柱建物1が、この邸宅の主殿と考えられている。

 また、この建物にさらに北に、掘立柱建物3が検出されており、桁行4間以上、梁行2間の建物であり、これが正殿に対して後殿と考えられている。

 【掘立柱建物3】

 

 【掘立柱塀】

 

 塀跡と考えられる柱穴は、南北溝2の方まで伸びており、この宅地が、右京五条九坊東北坪一町を占地していると思われる。

 藤原京の一町の占地は、日本書紀によると直大参より以下には一町と記されていることから、直大参(大宝令では五位)以下の貴族の邸宅があったと推定されている。

 建物の東側が、井戸や生活排水と考えられる南北溝3があり、居住空間ではなく、生活空間になっていたようである。

 【南北溝3】

  

 この邸宅の生活排水をするための溝であったと考えられる。

 藤原京としては、一町占地の宅地が確認されたのは初めてであるとのこと。この辺りは、広い空き地なので、これからまだまだ調査は続いていくのだろうな。これから、どんな発見があるのか楽しみではある。

 さあ、これから、次の説明会に向かうことにしよう。


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