休日はデジカメ持ってぶらぶらと📷

アメフト観戦記や読書日記を綴っていましたが、最近は古墳(コフ)ニストとして覚醒中!横穴式石室をもつ古墳にハマっています。

飛鳥の万葉歌碑⑰ ~南都銀行そば、飛鳥川沿い~

2020-11-08 17:09:49 | 文学をたどる

 橘寺から石舞台古墳の方に歩く遊歩道を歩いていくと、南都銀行の明日香支店のそばに一つ万葉歌碑が置かれている。歌碑のすぐ下には、飛鳥川が流れている。飛鳥川を見ると、いつも思うのだが、川の流れがけっこう速いような気がするのだけど、どうだろう。

  

 飛鳥川については、少し調べてみると、源流は、高取山北東麓にあり。、手谷川と行者川が奥飛鳥の栢森集落内で合流して、飛鳥川となり、明日香村中央部を北へ流れ、橿原市、田原本町などを経て川西町保田というところで大和川に合流するそうだ。

 てっきり吉野辺りに源流があるのかと思っていたらそうでもないのだ。源流からそう遠くないところにあるからなのか、谷の深いところで急な流れとなっているのだろうか。

 

 さて、万葉歌碑に話を戻そう。

 歌碑には、ここも万葉学者犬養孝氏の揮毫により、万葉仮名で「明日香川 瀬々の玉藻の うちなびき 情は妹の 寄りにけるかも」と記されている。ちなみに作者は未詳である。

 

 歌意としては、飛鳥川の瀬という瀬の玉藻がうちなびくように、心はあの子になびき寄ってしまったという意味になるのかな。この歌は、万葉集巻13の相聞の部に採録されている。

 あらためて「瀬」とは、河川の中で、流れが速く水深が浅い場所のことを指すとのこと。万葉人も、やはり飛鳥川の流れの速さを感じていたのかもしれない。その川の流れに、自らの恋情を託していたのであろう。

 

 ちなみに、飛鳥川を取り上げながら、少し反対の立場の歌が万葉集には収録されている。

 「明日香川 瀬々に玉藻は 生ひたれど しがらみあれば なびきあへなくに」という歌である。この歌も作者未詳である。こちらは、しがらみがあるので靡くことができないと詠んでいる。ちなみに「しがらみ(柵)」とは、水流をせき止めるために、川の中にくいを打ち並べて、それに木の枝や竹などを横に結びつけたものである。しがらみがなければ、相手の所に飛び込んでいけるのにということなのかな。

 このしがらみが転じて世間のしがらみとかに使われるようになったのであろう。

 

 ここから、石舞台古墳の方へ向かう道は、棚田などがきれいな場所でもあり、夏の終わりや秋の初めごろが非常に眺めのいいところでもある。

 

 ぜひとも歩きながら、その風景を楽しんで、遠く飛鳥人の想いを感じてほしい気がする。

 

 

 


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