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アメフト観戦記や読書日記を綴っていましたが、最近は古墳(コフ)ニストとして覚醒中!横穴式石室をもつ古墳にハマっています。

フーテン ~追悼 永島慎二~

2005-07-11 08:49:19 | 読書日記

 フーテン(全) 永島慎二 著
 ちくま文庫
 先日、漫画家の永島慎二さんが亡くなったというニュースを目にした。懐かしい名前だった反面すっかりその名前を忘れていた。僕自身はリアルタイムに読んでいた読者ではないのだが、20台の前半、「フーテン」やら「漫画家残酷物語」などを文庫本や古本屋で見つけては読んでいた。
 フーテンなる言葉については、すっかり死語になってしまっている。小林信彦氏の「現代〈死語〉ノート」という本にはちゃんとフーテン族なる言葉が載っている。仕事や学校を拒否し、新宿にたむろする若者を指していたようだ。ちなみに新明解国語辞典には「家出をして、奇抜な服装をしたり、シンナー遊びなどにふけって世間の視聴などを集めた若者達」とある。
 ちなみに私の学生時代もフーテンなる言葉はすでに死語であった。まあ大学自体、もはや立て看すらなく学生運動の後なども微塵もなかった時代である。
 そんな時代の中、僕は永島慎二なる漫画家と出会う。永島慎二の漫画は今の漫画とは時間の流れが圧倒的に違う。ゆったりとした時間が漫画世界の中を流れているような感じである。そして都会の朝焼けの中をハトが群れをなして飛んでいるシーンが印象的であった。そして繊細で、傷つきやすい世界がそこにあった。そこが20台の僕の心をとらえたんだろうなあと思う。
 
 フーテンという漫画は次のような誌から始まる。
 お茶わん一パイのメシ
 お茶わん一パイのメシを
 おれは食えなかったことがない
 どこかで
 お茶わん一パイのメシを食えなかった奴がいる・・・・
 おれが食った分だけだ
 だから いつも
 おれはひもじいのだ

 なんか世界が百人の村だったら見たいな詩であるが、なんともナイーブな感性であった事か。
 
 そして僕はすっかり年を取って、何ものにも感動することが乏しくなっていた。
 
 永島慎二の漫画は、おそらく現在の商業誌では受け入れられることはないだろう。しかし漫画にこういう詩的な、文学的な要素を多分に盛り込んだ功績は大きい。娯楽性を中心とした商業誌の漫画とは対極にあるだろうけど。
 あすなひろしや諸星大二郎などの漫画家が商業誌の連載されていた時代もあったのである。たまにはじっくりと漫画を読んでみて、人生を考えてみるそんなことも必要かもしれない。何年ぶりかに読み返してみてそんなことを思った。

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 読売新聞
 http://news.goo.ne.jp/news/yomiuri/shakai/20050706/20050706zz01-yol.html?C=S
 朝日新聞
 http://www.asahi.com/obituaries/update/0706/001.html?ref=rss 
 
 
 

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