「花のれん」
山崎豊子著 新潮文庫
ちょうど読書日記で取り上げた本の数が、100冊になった。このブログを始めてから実際に読んだ本はもっとあるのだが、なんとなく書く気になってブツクサと書いたものが100になったということか。
山崎豊子さんの直木賞受賞作である。大阪の商人を描いた、それも女一代で大阪の寄席をいくつも買い、果ては通天閣まで買った商売人の生涯を描いた小説である。この小説の主人公のモデルは、吉本興業を興した吉本せいだといわれている。
遊び人の夫が早逝したのち、商いに徹し、一代で興行会社を築き上げた、如何にも大阪の商人の話らしいど根性物語である。
小説自体、一気に読みあげてしまうぐらい面白かった。それ以上に僕には、今はなき船場の言葉、風俗が興味深かった。「御寮人(ごりょん)はん」「後家(おえ)はん」「こいさん」などに代表される大阪の船場を中心とした商家の言葉がなんとも懐かしい。ほわっと物腰の柔らかい言葉がである。といっても直接、そういった言葉を聞いたことはないのだが、僕の小さい頃は、まだテレビなどでそういった言葉を聞く機会が多かった。
今は、大阪というと、どぎつい直截的な言葉が大阪弁と受け取られている節があるのだが、どちらかというこういった言葉は、河内弁に近いような気がする。
本来の大阪弁というのは、長年の、商いのまちであったことから、むしろ婉曲的な表現を好んでいるように思える。本書の随所にそういった大阪弁が語られているのがここち良かった。
風俗的なもので言うと、昔の商家の旦那はんは、道楽芸を持っていて、それを教えたり、見せたりする芸人さんがいて、文化が重層的になっていたのだが、そういった習い事をする旦那はんがいなくなり、大阪の芸能文化というのはすたれていったのかもしれない。(この小説の、旦那はんは芸人道楽が過ぎて、お店を傾けたうえ、妾宅で死んでしまう。大阪を舞台にした小説は、割とこういう人が書かれているような気がするのが・・・。)
ただ、服装や髪形などもきちっと小説の中に書かれているのだが、すでに僕には全くわからなくなっている。この小説の舞台となっている時代は、大正から昭和戦前、あるいは戦争直後ぐらいまでなのだが、、時代の移り変わりの速さにびっくりする。なんせ100年もたっていないのだから。
大阪の船場があったあたりは、もう高層ビルばかりで面影は残っていない。水の都と呼ばれ、八百八橋と言われたがいくつかの堀は埋められ、川は幾分かきれくはなっているとは言え、まだまだ汚い。考えれば、大阪都構想よりももっと議論をしないといけないものがたくさんあるはずなのである。文化の街、大阪はいずこ。
そういえば、この小説のモデルは吉本興業の創業者であった。洗練された船場文化を片隅においやり、河内的な土着文化を大阪の文化として、日本中に広めたのは吉本発の芸人であった。何となく皮肉なもんだ。
僕自身は、土曜日のお昼、学校から帰ってきたら、夕方までずっと吉本のテレビ、新喜劇にはじまり、モーレツしごき教室、道頓堀アワーなどを見て過ごしてきた口なので、そういったお笑いは好きなのだが、今の大阪のイメージはちょっとちゃうぞという気分も持っているのも確かではある。こういったことも40年ほど昔の話になっている。世の移り変わりは激しいものだなと最近つくづく思う。
山崎豊子著 新潮文庫
ちょうど読書日記で取り上げた本の数が、100冊になった。このブログを始めてから実際に読んだ本はもっとあるのだが、なんとなく書く気になってブツクサと書いたものが100になったということか。
山崎豊子さんの直木賞受賞作である。大阪の商人を描いた、それも女一代で大阪の寄席をいくつも買い、果ては通天閣まで買った商売人の生涯を描いた小説である。この小説の主人公のモデルは、吉本興業を興した吉本せいだといわれている。
遊び人の夫が早逝したのち、商いに徹し、一代で興行会社を築き上げた、如何にも大阪の商人の話らしいど根性物語である。
小説自体、一気に読みあげてしまうぐらい面白かった。それ以上に僕には、今はなき船場の言葉、風俗が興味深かった。「御寮人(ごりょん)はん」「後家(おえ)はん」「こいさん」などに代表される大阪の船場を中心とした商家の言葉がなんとも懐かしい。ほわっと物腰の柔らかい言葉がである。といっても直接、そういった言葉を聞いたことはないのだが、僕の小さい頃は、まだテレビなどでそういった言葉を聞く機会が多かった。
今は、大阪というと、どぎつい直截的な言葉が大阪弁と受け取られている節があるのだが、どちらかというこういった言葉は、河内弁に近いような気がする。
本来の大阪弁というのは、長年の、商いのまちであったことから、むしろ婉曲的な表現を好んでいるように思える。本書の随所にそういった大阪弁が語られているのがここち良かった。
風俗的なもので言うと、昔の商家の旦那はんは、道楽芸を持っていて、それを教えたり、見せたりする芸人さんがいて、文化が重層的になっていたのだが、そういった習い事をする旦那はんがいなくなり、大阪の芸能文化というのはすたれていったのかもしれない。(この小説の、旦那はんは芸人道楽が過ぎて、お店を傾けたうえ、妾宅で死んでしまう。大阪を舞台にした小説は、割とこういう人が書かれているような気がするのが・・・。)
ただ、服装や髪形などもきちっと小説の中に書かれているのだが、すでに僕には全くわからなくなっている。この小説の舞台となっている時代は、大正から昭和戦前、あるいは戦争直後ぐらいまでなのだが、、時代の移り変わりの速さにびっくりする。なんせ100年もたっていないのだから。
大阪の船場があったあたりは、もう高層ビルばかりで面影は残っていない。水の都と呼ばれ、八百八橋と言われたがいくつかの堀は埋められ、川は幾分かきれくはなっているとは言え、まだまだ汚い。考えれば、大阪都構想よりももっと議論をしないといけないものがたくさんあるはずなのである。文化の街、大阪はいずこ。
そういえば、この小説のモデルは吉本興業の創業者であった。洗練された船場文化を片隅においやり、河内的な土着文化を大阪の文化として、日本中に広めたのは吉本発の芸人であった。何となく皮肉なもんだ。
僕自身は、土曜日のお昼、学校から帰ってきたら、夕方までずっと吉本のテレビ、新喜劇にはじまり、モーレツしごき教室、道頓堀アワーなどを見て過ごしてきた口なので、そういったお笑いは好きなのだが、今の大阪のイメージはちょっとちゃうぞという気分も持っているのも確かではある。こういったことも40年ほど昔の話になっている。世の移り変わりは激しいものだなと最近つくづく思う。
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