平安時代の歌人和泉式部は、深泥池について次のような和歌を詠んだ。
「名を聞けば影だに見えじ深泥池に住む水鳥のあるぞ怪しき」と平安時代の昔からどうも気味の悪い場所というイメージがあったようだ。
実際、この池に足を運んでみると、人通りの多い北山通から少し入っただけなのだが、人影もなく、車道のすぐそばまで池が迫っており、何となく薄気味悪い気がしたのも事実である。
深泥池の周囲が山で囲まれており、北山通に抜ける南西部だけが開いている構造になっている。
深泥池は、昔から、この池には大蛇が住んでいると言われている。確かに水面を水草らしきものが覆っていて、池の中に何かいても不思議ではない気がする。
この池に住んでいる大蛇の話は、代表的なものでは中世の語り物「小栗判官」の話は著名であろう。この道を通りかかった小栗判官に一目ぼれした大蛇が、美女に姿を変え、首尾よく小栗判官の妻となるが、解任した大蛇が、神泉苑の龍女と諍いを起こし、7日間も暴風雨を続けたため、その罪を追って小栗判官が東国に流されることからこの物語は始まるのである。
深泥池は、どうやら「あの世」と「この世」との境界のような位置にあったのではないか。北山通の外側というのは、都人にとっては何やら得体のしれない世界であったのかもしれない。
現在でも、深泥池はあの世とこの世の境界にようで、真夜中のタクシーが、深泥池を行き先を告げる女性を乗せて目的地に着くと女性はおらず、シートがびしょびしょになっていたという怪談が有名である。
池の中には、死体がゴロゴロ沈んでいるという話もある。
どんよりとした池の水面を見ているとさもありなんという気もする。
しかし、この深泥池は実はたいした池で日本最古級の池で1万年前からここに存在しており、池にはいろいろと希少な動植物が生息しているらしい。自然科学的な視点で見るとさらにそのすごさがわかるのだろうが、文科系な私にはこの池のおどろおどろしさだけが感じられる。
それも歴史の古層のなす業なのであろう。
※令和の時代に入って初めて書いたブログがこの話というのもどうなんだろう。(笑)