佛教大学から東の辺りは、古くから紫野と言われている。平安時代には、朝廷の遊猟地であったそうだ。紫野という地名がつけられた由来は定かではない。森谷尅久氏は著作の中で、紫野周辺は、蓮台野と呼ばれ、葬送の地であったことから、浄土から来迎する仏たちが乗る紫雲たなびく地ということから紫野と言われたのではないかと述べている。そういわれればそんな気がしてしまう。美しい地名であることは違いなく、この辺りは、住宅街でもあり、落ち着いたたたずまいを見せている。
紫野を北へ向かって歩いていると、紫野高校にでた。ここは、京都では数少ないアメリカンフットボール部のある高校である。たぶん、大学時代の友人にも同校の出身者がいたような気がする。
もう少し歩くと、今宮神社である。2層造りの朱塗りの楼門が見える
1001年(長保3年)疫神をまつる御霊会がこの地で行われたことが今宮神社の始まりであると言われる。1001年というと、藤原道長が実権を握り、摂関政治がピークであった頃である。その後も疫病が流行るたびに紫野御霊会が営まれ、今宮神社の祭礼として定着している。
また、今宮神社で良く知られているのが、京都の三大奇祭の一つである「やすらい祭」であり、これは摂社疫神社の祭礼として、毎年4月の第2日曜日に行われている。やすらい祭も御霊会を起源として始まったものであり、こちらは、民間から始まったものである。
神社の境内は、広く、摂社や末社も多くあり、京都の市民の信仰を集めてきた様子がうかがえる。ちなみに祭神は、大己貴命、事代主命、奇稲田姫命の3柱であり、出雲系の神様である。疫病と深い関係のある素戔嗚尊は、疫神社の祭神とされている。
なお、今宮神社は、別名玉の輿神社といわれている。それは、玉の輿という言葉の由来と言われる京都の八百屋の娘から、徳川家光の側室となり、徳川綱吉の生母となった桂春院の崇敬を集めたことによる。
今宮神社の門前の名物に、あぶり餅が有名である。東門を出ると、2軒のお店が参道を挟んで建っている。店頭で竹串に刺して焼いており、匂いが本当に香ばしくてついつい香りに誘われる。入ってみると、小さな庭を見ながらお餅が焼き上がるのを緑茶を飲みながら待つことになる。しばらくすると親指より少し小さいぐらいのあぶったお餅が串に刺した状態で10数本出てくる。これで500円。雰囲気とお餅を味わって満足。
この2件のお店が並んでいる雰囲気は、平成の世の中ではないような気がする。100年ぐらい昔にタイムスリップしたような感じだ。今度は、もう1件の方に行ってみたい。
この後、大徳寺を抜けて北大路に出たのだが、この辺りに紫式部のお墓があるのだが見つけることができなかった。残念。ちなみに、紫野の由来は、この地に紫式部のお墓があるからというガセネタがある。気をつけましょう。
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