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アメフト観戦記や読書日記を綴っていましたが、最近は古墳(コフ)ニストとして覚醒中!横穴式石室をもつ古墳にハマっています。

大安寺第139次発掘調査 現地説明会

2017-04-08 17:38:11 | 現地説明会
 平成28年10月29日(土)
 奈良市にある大安寺の発掘調査現地説明会があるということで、JR奈良駅から南へ歩いて大安寺へ向かう。JR奈良駅でも東側はバスターミナル等があり賑やかなのだが、南側へ行くと案外静かで人通りも少ない。そういえば、大安寺って随分昔、父に連れられて一度着た覚えがあるが、それっきりでおそらく40年ぶりぐらいではないだろうか。古来、南都七大寺と呼ばれた寺院は、興福寺、東大寺、西大寺、薬師寺、元興寺、大安寺、法隆寺とされ、現代にいたるまで法灯が受け継がれている。そして、特に興福寺、東大寺、薬師寺、法隆寺というのは、寺域も大きく、訪れる観光客で賑わっている。そうした中、大安寺については、観光地と少し離れているためか、他の寺院と比較すると目立たない印象を受ける。実際、他の寺院については、何度も訪れているのだが、大安寺にいたっては、先ほどの述べたように過去に1度だけ来ただけである。
 そういうところで発掘調査の説明会があるということで、せっかくの機会なので行ってみようという気になり、JR奈良駅からてけてけと歩いて説明会に参加してみた。

 

 今回の発掘調査の範囲としては比較的小さく、東西5m、南北40mの細長い調査区域を平城京の六条大路南側にかかるように設定されている。今回の発掘調査では、溝2条、建物1棟、井戸1基が検出されている。

 

 写真のように溝が2条並行するように見つかっている。溝1については、幅1.5m~2.0mで東西に走っており、多数の瓦等が溝の中から出土している。中には室町時代のものと考えられるものにあった。この溝1については、平城京の六条大路の南側溝と考えられ、大安寺の南大門前にあることから、何度か溝の中の泥などを取り除いたりして維持管理していたと考えられそうである。

 

 また、溝2については、溝1と同様に大量の瓦等が出土しているが、奈良から平安時代に収まっており、この溝2については、築地塀の雨落ち溝と考えられている。

 

 溝1と溝2の間の少し盛り上がったところが六条大路の南側の築地塀が建っていたと推定されている場所である。
 この六条大路のものと思われる遺構が検出されたことにより、平城京が作られた時には、大安寺の寺域と考えられておる部分に六条大路が通って、寺域を分割していたということが言えそうである。

 さらに南側では、掘立柱建物と井戸の遺構が検出されている。

 
 
 そして、遺構の重複関係からいうと、井戸の方が古い関係にあると考えられ、出土した遺物からは考えると8世紀の初め、奈良時代には利用されていたと考えられている。

 

 井戸からは斎串や土師器、須恵器などが見つかっている。

 

 一番南では、平安時代に整地されたであろう遺構が見つかっている。

 

 大安寺の西塔が整備されるまでは、この土地は使われていなかったことを示している。おそらく奈良時代の大安寺は、六条大路の北側に主要な施設が固まって建築されたが、南側については、東塔、西塔ができるまでは閑散としていたと考えられそうである。

 今回の発掘調査については、小さい発掘調査ではあったが、六条大路が大安寺を貫通していたのかどうかがこれまで判明していなかったことを考えると、大安寺の寺域を考える上では大きな成果があったと言えそうである。

 

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