釘抜地蔵から、道を渡って、北へ上がっていくと2階が100円ショップになっているスーパーマーケットの横に千本ゑんま堂と書かれた看板と赤い提灯をぶら下げた門のある引接寺と刻まれた石碑のあるお寺がある。
境内の中には、閻魔像を祀る本堂と迎え鐘がつられている鐘つき堂がある。
本堂の感じが、普通のお寺と違う。何となくだが、まちで祀られているお地蔵さんのお堂が大きくなったような感じだ。引接寺が千本ゑんま堂と呼ばれるのは、本堂に司命、司録を従えた大きな閻魔王を本尊として祀っているからである。この辺りは、京の三大墓地の一つである蓮台野の入り口にあたる。あの世との境目というところにあたる。
六道の辻に珍皇寺があるように、蓮台野には、千本ゑんま堂こと引接寺がある。面白いことに、ここも珍皇寺同様に小野篁と関係のある場所である。伝説では、引接寺の開基は小野篁と言われている。小野篁については、あの世とこの世との間をいったりきたりし、あの世では閻魔王に使え、この世では天皇に使えていると語られる人物である。実際は、平安時代の末期に源信の弟子である定覚というお坊さんが、この辺りに埋葬された人を引接せんとして建てたのが引接寺であるという。「引接」とは、仏が衆生を救い取って極楽へ導くことをいう。この辺りが葬送の地であったことを表しているのであろう。
お堂の鐘の上には、閻魔さんの湯呑みと伝わるものが乗っている。人々の中に閻魔さんへの信仰が生きているようである。
鐘つき堂は、お盆の時期は、あの世から精霊を迎える迎え鐘が行われる。この精霊迎えは、小野篁の創始であると伝えられる。お盆の時期は多くの人々で賑わうのであろう。
この鐘つき堂の奥に、十重石塔が建っており、紫式部の供養塔と言われている。
なぜ、この場所に???
昔、紫式部は、死後、源氏物語を書いたことにより地獄に落ちた紫式部が、小野篁によって地獄から救われたという伝説があり、どうもそれにちなんで、この石塔が紫式部の供養塔と呼ばれているのであろう。この石塔自体は、至徳3年(南北朝時代)の銘を持っており、国の重要文化財に指定されている。
供養塔の前には、その伝説にちなんで紫式部の像が置かれている。
また、十重石塔の横には、普賢象桜がある。残念ながら、桜が咲くのはまだまだ先のようである。(ここを訪れた時は、2月の末頃であった。)
ゑんま堂を出ようとしたとき、左手にある建物の2階のまどを見ると、閻魔像らしき姿がうっすらと写っている。ここが狂言堂と呼ばれる場所なのか?
千本ゑんま堂は、千本ゑんま堂狂言でも知られている。
最後に、千本ゑんま堂は、中世以来、京の町衆が自然発生的に街の小堂を信仰の対象として庇護してきた町堂の名残が見られる。多くの民衆の信仰をつないで今に至っているのである。
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