京都は千本上立売上ル東側に釘抜地蔵と呼ばれるお寺さんがある。
本来は、家隆山石像寺という浄土宗のお寺なのだがいつの間にか、釘抜地蔵と呼ばれている。小さなお堂なのだが、参拝する方が、絶えないお寺である。ご本尊は、石造の地蔵菩薩で鎌倉時代のものなのだそうだ。このお地蔵さんが霊験あらたかであり、釘抜地蔵と呼ばれている。
お寺の境内に入ると、お堂の正面に大きな釘抜が置かれている。
いきなり大きな釘抜がドンとあるのでちょっとびっくりしてしまう。
この釘抜地蔵については、次のような伝承が伝わっている。
室町時代の終わりごろ、京都の油小路下長者町に紀ノ国屋道林という商人が両手の痛みに耐えかねて、このお地蔵さんを参ったところ、夢の中に前世で犯した罪(呪いの人形を作り、この人形に釘を2本打ち込んだこと)がこの苦に繋がっているのだと伝え、釘抜きで2本の釘を抜いて与えた結果、道林の両手の痛みが消えていたという話が伝わっている。
苦しみを抜き取る苦抜地蔵が釘抜地蔵となまったという話もある。ただ、民衆の現世の苦しみをきれいに抜き取りたいという願いのもと、多くの民衆の信仰を得ている。
お堂の壁には、ずらりと釘抜きと釘をセットにした絵馬が飾られている。少し異様な感じもするが、それだけ人々の願いが込められているということなのだろう。古いものは明治時代のものもあるそうだ。
今でも、人々の信仰を集めていて、願をかけてお堂の周りをぐるぐる回って拝む人は絶えない。歳の数だけ竹の棒を持って本堂を回り一本ずつ納めていくと無病息災でいられるという。その雰囲気に、ちょっと戸惑ってしまった。
この石像寺は、家隆山と呼ばれるのは、新古今和歌集の選者の一人藤原家隆、定家、寂蓮法師の供養塔があることにちなんでのもの。お堂の裏に小さな墓地があるので、探してみたが残念ながら見つけることができなかった。
しかし、ここに来ると中世からの民衆の信仰は今に生きていることを感じされられる場所である。
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