明日香村の中央大通りとも言える県道155号線を東に向かって歩いていくと、史跡川原寺跡が右手に見える。その道を挟んだ向かい側に、橘寺の聖徳皇太子御誕生所と書かれた大きな石碑がある。
この辺りの田園風景は、段々畑が橘寺の白い壁まで続いていて、非常に飛鳥らしい景色である。
ちょうど9月末ということで、黄金色に色付いた稲の穂先と真っ赤な彼岸花が咲いていて、日本の秋だなあと思う光景だった。
その石碑のすぐ横は、小さな駐車場と休憩所があり、その横にひっそりと万葉歌碑が1基置かれている。
犬養孝氏揮毫の万葉歌碑で、歌碑は万葉仮名で書かれているのだが、読み下すと次のようになる。
「世間(よのなか)の 繁き仮盧に 住み住みて 至らむ国の たづき知らずも」
結構、難しい言葉が入っていて、至らむ国は極楽浄土のことであり、たづきは手段、手がかりという意味である。
歌意としては、世の中という煩わしいことが多い仮の住処に住み続け、死後行きつく極楽浄土へ行く手掛かりはわからないということであろうか。
万葉集の詞書によりと川原寺の仏堂の琴にこの歌ともう一首の歌が貼り付けられていたとある。修行中の僧侶が書いたと思うとまだまだ先が見えないなあという想いで書いたのかもしれない。
少し厭世的な気分も引きずってしまう歌でもある。最近、自信の気持ちもどこかこの世に嫌気がさしている所もあり、こういう気分に呼応してしまうところがある。煩わしいこの世から逃げ出したいような厭世的な感情が芽生え始めている所もあるのだが、周りの田園風景を眺めていると、まだまだこの世は美しいものがいっぱいあるというもう一つの感情も芽生えてくるから不思議だ。
まだまだ、この世の中には知りたいことや見たいことがいっぱいあるなあ。
そういえば、犬養孝氏の「万葉の旅」では、川原寺がまだ、整備される前の写真が掲載されている。
今は、塔跡、金堂、回廊などはきれいに整備されている。ここもだんだん周りの景色と馴染んできたような気がする。
もう十数回はここにきているのに、実はお堂の中に入ったことが一度もない。近いうちに入ってみようと思う。
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