県立万葉文化館の駐車場の売店よりの場所に、平成31年3月に建てられた真新しい万葉歌碑がある。漫画家の里中満智子氏の絵と揮毫によるものである。近年、里中満智子氏はすっかり古代史家という感じである。確かに、持統天皇を描いた文化館の駐車場の売店よりの場所に、平成31年3月に建てられた真新しい万葉歌碑がある。漫画家の里中満智子氏の絵と揮毫によるものである。近年、里中満智子氏はすっかり古代史家という感じである。確かに、持統天皇を描いた「天上の虹」をはじめ、長屋王の時代を描いた「長屋王残照記」や同じく続編とも言える「女帝の手記」など飛鳥時代から奈良時代を対象にした漫画をものにしている。(かくいう僕も「長屋王残照記」と「女帝の手記」は持っている。)
ただ、僕の印象から言うと、里中満智子氏は、水島新司の「野球狂の詩」で共作をしており、どうしてもその作品のイメージを引きずっている所がある。(ちなみにドカベンの里中智の名前は、里中満智子に由来するのだそうだ。)
そんなことはどうでもいいのだが、話を戻そう。
この歌碑には、「八釣川 水底絶えず 行く川の 続ぎてそ恋ふる この年頃を」という歌がこれも万葉仮名で書かれている。
この歌に詠まれている八釣川は今も残っていて、県立万葉文化館の東側の道をさらに東へ行ったところにある。源流は桜井市の高家というところから、飛鳥の奥山を通り、ここから北上し、香久山、耳成山の裾を通り、寺川へと流れる小川である。
古くは、顕宗天皇の宮も八釣に営まれたという伝承もある。飛鳥人には身近なところであったのかもしれない。
歌意としては、八釣川の水底を絶えず流れゆく水の様に絶えず恋しく思う、この何年間もということであるらしい。恋の歌である。万葉集に収録されている柿本人麻呂歌集に採録されているものである。柿本人麻呂歌集については、万葉集の成立前に存在していたと思われる柿本人麻呂が編んだと伝えられる歌集である。人麻呂の歌もあるが、人麻呂以外の作者のものも混じっていると考えられている。
とうとうと水が流れる川底のように、自分の恋心も、表に出すのではなく、川底の様に長い間心に秘めたままなのであろうか。そう思うと飛鳥川のような大きい川よりも、八釣川のような小さい川の方がイメージしやすい気もする。
解説によると、里中満智子氏は県立万葉文化館友の会の会長を長らくされており、その縁でこの歌碑に絵と揮毫をされたようである。
ちょうど、この場所を訪れた時は、県立万葉文化館では、里中満智子原画展を開催していた。
こんなフラッグがいたるところに立っていた。「天上の虹」読んでみるかなあ。
考えると、主人公の持統天皇のイメージって戦後70年の間にすごく変わっている気がする。律令国家の成立の立役者は、天智天皇から天武天皇へ、そして、持統天皇へとスライドしているような感じさえある。ただの天武天皇の皇后と言うだけの人物ではなさそうである。
いわば、天武天皇と共同して政治を行っただけでなく、後継者でもあったんだろう。考えれば血統から言えば最高の人物であったもんな。
最後は、この場所のすぐそばにある飛鳥民俗資料館の展望スペースからみた日の入りである。
実は、この後大雨が降って、令和最初に光の回廊は中止になってしまった、残念至極である。
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