休日はデジカメ持ってぶらぶらと📷

アメフト観戦記や読書日記を綴っていましたが、最近は古墳(コフ)ニストとして覚醒中!横穴式石室をもつ古墳にハマっています。

片平大塚古墳(仲野親王高畠墓)

2014-06-01 23:00:17 | 史跡を歩く
 5月だというのにうだるような暑さの中、チンチン電車で知られる嵐電を「帷子ノ辻」駅で下車。駅の北側にある住宅街の中を登っていくと参道に出る。この日は残念ながら、参道の途中で柵が閉じられており、近くに近寄ることが出来なかったため、遠目からの観察となった。

 

 
 古墳自体は、前方後円墳であり、拝所のある方が前方部にあたる。航空写真を見ると、盾形の周濠が墳墓全体をめぐっているのがわかる。大きさとしては、全長約75mとのこと。陵墓として管理されているため詳しくはわからないが、前方部が広がっていることから、古墳時代後期の築造と考えらえる。太秦周辺に存在する嵯峨野古墳群の中では、清水山古墳や天塚古墳に次いで、蛇塚古墳よりも古いと考えられている。
 
 

 急速な都市化に伴い、周辺の古墳が消滅していく中、この古墳だけは、宮内庁の管轄ということもあり、比較的良好な状態で保存されている。但し、宮内庁が治定している仲野親王は、平安時代の人物であり、この古墳の築造された時代とは全く合わない。ちなみに仲野親王とは、平安京を開いた桓武天皇の第12皇子で、式部卿や太宰師などを歴任した人物で、娘の班子女王が、宇多天皇を生んだことから、後に太政大臣の官位が贈られている。仲野親王流平氏の祖でもある。

 

 嵯峨野古墳群については、6世紀にわたって築造された古墳群であり、太秦という地名から秦氏との関係が想定される古墳群である。

 片平大塚古墳がある帷子ノ辻という地名について、怪談話がありそうなので少し調べてみると、この地は平安時代から、鳥辺野や蓮台野と並ぶ風葬の地であったそうだ。平安初期、嵯峨天皇の皇后である壇林皇后が亡くなられたとき、この地で埋葬することなく打ち捨てよと遺言され、その遺体が白骨化していく様子を見て、諸行無常を感じ僧侶が修行に励んだという故事に由来する。後には、この地で白骨化する幽霊が見られるようになったとの話も残っている。

 現在は、閑静な住宅街となっている。

 

 嵐電の帷子ノ辻駅は、駅舎全体がビルになっており、上の階にはスーパーは入っている。昔、近くに友人が下宿していたはずだが、全くどこかわからなかった。時代は、移り変わっているのである。

 清水山古墳については、こちらを参照⇒「消滅した古墳 清水山古墳」
 天塚古墳については、こちらを参照⇒「天塚古墳に行ってみた」

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