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高松塚古墳の壁画修理作業室の公開に久しぶりに当選した。見学が朝一番の組だったので、早い目に現地に行って、朝の早い、比較的涼しい時間帯にいくつかの古墳を見て回れればということで、現地に到着したのは8時半ごろであった。
見学の集合時間までは1時間ほどあるので、高松塚古墳の壁画修理作業室のある国営飛鳥歴史公園の敷地から北側にある平田梅山古墳に向かった。
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公園を抜けて、少し歩くと田んぼの中に右にカナヅカ古墳、左には平田梅山古墳の大きな墳丘が見える。
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まずは、墳丘長約140mもある大型古墳の平田梅山古墳から見て回ることにしよう。
万葉歌碑のある遊歩道を古墳をめざしていると歩いていると足元に何か動くものが、よく見ると亀がもぞもぞと動いていた。
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案外、こういう場で見ることは難しいよなあと思いながらも、こいつどこから来たのかなと古墳の周濠からだろうか?それでも20~30mはありそうだ。
平田梅山古墳は、現在、欽明天皇陵として宮内庁が管理している。ただ、欽明天皇陵については、長い間その所在地がわからなくなっており、蒲生君平の「山陵志」で初めて平田梅山古墳が欽明天皇陵とされ、それを現在も踏襲しているのだそうだ。
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ただ、現在は、この平田梅山古墳ではなく、五条野丸山古墳が真の欽明天皇陵であるとの説が有力ではあるものの、日本書紀等の記述からそのままでよいとする説も最近出ている。
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個人的には、大きいけれども何となく上手く造られていない感じがする五条野丸山古墳よりも、平田梅山古墳の方が形もいいし、存在感がある。
それと、この古墳とカナヅカ古墳、鬼の雪隠・俎古墳、野口王墓古墳(天武・持統天皇陵)と東西に一直線に並ぶという地理上の問題も考えるとこの場所にあるのがふさわしい様な気がする。
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ただ、この平田梅山古墳の周濠は、文久の修陵の際に大幅に改変されたもののようである。
今となっては、この古墳の魅力の一つになっている気がする。
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古墳の周濠から離れて、今度は拝所の方へ歩いていこう。
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拝所の西側は少し高くなっていて、そこからの景色がなかなか良い。
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こんな感じかな、反対側では、近鉄電車の向こうに岩屋山古墳が見える。岩屋山古墳の被葬者とこの古墳の被葬者とは何か関係があったのかなという考えも自然と沸き起こる。(笑)
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本来は、この丘を越える道が正しい参道なんだろうな。
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ちなみに欽明天皇の皇子皇女から、敏達、用明、崇峻、推古と四代の天皇が出ており、飛鳥時代はこれらの天皇から始まる。欽明天皇が王統の系譜を語るうえでは重要な存在であったと言える。
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朝の柔らかい陽ざしも徐々に時間の経過とともに厳しいものに変わっていく。
完全に暑くなる前に、あと一つ、二つは見て回りたいという事で、平田梅山古墳のすぐ西側にある吉備姫王墓へ行ってみることにした。
あとは時間との戦いだな。(笑)
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