休日はデジカメ持ってぶらぶらと📷

アメフト観戦記や読書日記を綴っていましたが、最近は古墳(コフ)ニストとして覚醒中!横穴式石室をもつ古墳にハマっています。

白球残映

2015-03-22 13:49:29 | 読書日記
 「白球残映」
 赤瀬川 隼著 文春文庫

 赤瀬川原平の著作をちょくちょく読んでいるうちに、お兄さんも作家なんだということに気付き、読んでみようと思い立ち、本書を読んでみることにした。
 本書には、5編の短編が収録されている。
 「ほとほとと・・・・・」
 「夜行列車」
 「陽炎球場」
 「春の挽歌」
 「消えたエース」
 主人公が、中学生から始まり、青年期、壮年期と徐々に年齢層が上がっていく。そしていずれもが、野球が物語に絡んでいる。「野球と人生は似たようなもの」と言葉が全体のテーマと言えそうである。全体を通して、読後感が非常にしっとりとしていて、ストーリーに情感がこもっており、爽やかであった。
 作者の原体験に基づいており、いずれの小説も、現代と過去を絶えず行き来するような展開があり、ノスタルジックな想いを感じてしまう。ただ、戦争後すぐに少年期を迎えた世代に主人公が置かれているので僕の父親ぐらいの世代なんだろうなと感じた。読んでいて、どことなく井上ひさしの小説世界を思い起こしてしまった。特に「四十一番目の少年」。

 「春の挽歌」では、主人公の父の葬式の時の話が書かれている。最後、葬式の時に初めて、自分の父親が、国鉄球団ができる時に、陰で、人知れず尽力を尽くしていたことを弔問に訪れた元選手から、聞かされる場面は、ちょっと胸が熱くなった。僕は比較的早く父親を亡くしたので、あんまり、家以外での父を知ることはなかった。いろいろと伝えたかったこともあったのかもしれないなあと今になって思うことがある。
 また、弟である赤瀬川原平氏の尾辻克彦の名前で、「父が消えた」などの著作で自分の父親の葬式をテーマに小説を書いている。比べてみるのも一興かもしれない。
 「春の挽歌」では、父と野球とのかかわりを知ることがなかった。しかし、「消えたエース」では、父と野球のかかわりを、父は教えることはなかったが、いつの間にか子どもの方が知っていた。この2つの小説は、どこかつながっていて親子の絆を確認するためのツールが野球なのである。
 また、小説の中で野球が、主人公の過去と結びつける道具として使われている。たぶん、僕らから上の世代ってどこに行っても野球ができた世代で、ちょっとした広場があれば、庭球や軟球で三角ベースなどの野球をしていたように思う。とにかく学校が終わって公園や広場に行けば、誰かが野球をしていたし、路地へ行けばキャッチボールも誰もがやっていた。車とかも少なかったからそんなことも全く気にしなかったなあ。たぶん、野球というものが、少年期、青年期の記憶と繋がっていた世代というのがあったと思う。僕らよりもう少し下の世代では、そんな感覚は持ちようもないだろう。この時代は間違いなく野球がお茶の間のヒーローだったのである。そして野球というスポーツを思い入れたっぷりに語れる世代だったのだと思う。そういった意味では、幸せな時代であったのかもしれない。

 ちょうど、春の選抜、甲子園大会が開催されている。今年は、ついに自分の子どもたちよりも年下の子ども達が出場する。僕もずいぶんと年を取ったような気がする。そして可能性に満ちたキラキラした時代を懐かしく思い返している。
 
ちなみに、赤瀬川隼氏は本書で第113回直木賞を受賞している。
コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 飛鳥の古墳③ 小谷古墳 | トップ | 飛鳥の石造物 益田岩船 »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

読書日記」カテゴリの最新記事