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アメフト観戦記や読書日記を綴っていましたが、最近は古墳(コフ)ニストとして覚醒中!横穴式石室をもつ古墳にハマっています。

飛鳥寺西方遺跡 平成27年度調査 現地説明会

2016-04-02 23:38:10 | 現地説明会
 2016年2月11日(祝)
 今年も奈良の飛鳥寺の西側にある飛鳥寺西方遺跡で平成27年度の発掘調査の現地説明会が行われた。飛鳥寺西方遺跡については、飛鳥寺西方遺跡の規模や構造を明らかにするために平成20年度から連続して行われている。この飛鳥西方遺跡については、昨年度もこの時期に現地説明会が開催され壬申の乱とかかわりのあると考えられる建物跡2棟が検出されている。(→「飛鳥西方遺跡 現地説明会」を参照)
 今回は、昨年度の調査場所の東側、飛鳥寺の西門跡から西へ約60m、入鹿の首塚から南へ約40mの地点で行われた。

 【1区 石組み溝】

 

 1区の西側部分では、飛鳥時代のものと考えられる石組みの溝が検出されている。幅は110cm、深さは10cmほどで、溝の底石と両側の側石が南北の続いている。この遺構については、平成24年度の発掘調査で検出された砂利敷面と同一面で作られており、おそらくその時に発掘されたものと繋がっていて一体のものになっているのであろうと思われる。

 【1区 石組み溝】

 

 石の組み方も写真を比較するだけだが同じように見える。この溝については、説明会の時には、砂利敷広場の排水や敷地の境界を示しているのではという見解を示されていた。この溝の周辺にあった砂利敷は平安時代に削平されなくなっている。

 【1区 東側全景】

 

 1区の東側の区画では、平安時代の祭祀跡とみられる土器の集積遺構が2か所見つかっている。

 【1区 土器集積1】

 

 

 土器が数枚ずつの塊で等間隔に並んでおり、近くには火床と見られる穴も確認されている。

 【1区 火床】

 

 火床と見られる穴である。よく見ると同じような土器が埋まっている。

 【1区 土器集積2】

 

 もう一つの方は、土器を2枚口縁部で貝のようにあわせています。5組集積して置いていることから、五穀と呼ばれた穀物と関係があるのではというお話をされていた。(取り上げて解析してみれば、何が中に入っていたかはわかるでしょうとのこと。)ちなみに五穀とは、米、麦、粟、豆、稗もしくは黍を指すらしい。五穀豊穣を祈ったのだろうか?

 飛鳥西方遺跡が、飛鳥時代から平安時代まで、形を変えながらも、儀礼、祭祀の場として長く使われていたのであろう。

 また、今回の調査では、砂利敷の遺構よりも古い時代の遺構が見つかっている。

 【2区 石列】

 

 石列は、1区の南側の部分で、東西に4mに渡って、2~3段に積み上げられた石列が見つかっている。1区で見つかっている石組みよりも見るからに技術が稚拙な様な気がする。ただし、何のためのものかはわかっていないようだ。

 今回の発掘調査から、この地が長らく神聖な場として意識されていたのがわかった。しかし、残念ながら、この地が大化の改新等に出てくる槻の木広場であることを示す欅の根っこは見つからなかった。それは、これからの楽しみに残してい置きましょう。

 

 最後に、昨年の調査区は、埋め戻されて、すっかり田んぼになっていた。

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