前回の続きで、今回は埴輪について取り上げることにしたい。今城塚古墳は、大王を埋葬したと考えられる古墳で詳細に発掘調査が行われた唯一のものである。そのため、墳丘だけでなく埴輪などの出土品でも、素晴らしい成果を上げている。
古墳の北側、歴史館の方の古墳の内堤には、堤の上にずらりと円筒埴輪や家形や人物、動物といった形象埴輪が並べられており、その迫力には圧巻するほかない。
内堤は、幅25~32mあり、その内縁と外縁に沿って、びっしりと隙間なく円筒埴輪が並べられている。
今城塚古墳の内堤で特徴的なのは、内堤の北側中央部の外縁に付設された幅約10m、長さ65mにも及ぶ張り出しである。この張り出しは、古墳がいったん完成してから新たに設けられたと考えられるもので、ここには、家形や人物、動物などの様々な形象埴輪が数多く置かれていたようだ。
そして、現在は、発掘調査の成果を生かして、復元された大量の埴輪が並べられている。
これらの大量の埴輪が何を意味するのかということであるが、大王の殯宮の様子を再現したものではないかと考えられている。つまり殯の期間が明けたのち遺体埋葬時に、殯の様子を再現した大量の継承の埴輪を整然と並べることで、祭式を大いに盛り上げたのではないかとのことらしい。
ここに再現されている姿は、葬列をなしているようにも見える。ちなみに殯とは、古代の葬法で、人が没したのち、死者に対して親族や従者等が哀悼の気持ちから慎む状態をいい、遺体は、棺の中に仮安置され、死者の復活を願いつつも、最終的には死を確認するものである。
これらの埴輪は、塀型埴輪に仕切られた四つの区画に分けられるという。上記の2枚の写真は3区とされるものである。
一区は、祭祀場全体の最奥部に位置することから喪屋を配置した私的な儀礼空間とされる。ここには、人物が配置されていず、おそらく建物になかに籠っていることを表していると考えられている。
二区と三区は連結しており、殯宮での公式儀礼の様子を表しており、さまざまな儀式の様子を多彩な埴輪で再現している。いろいろな埴輪が飾られていて、見ていても楽しい。(ちょっと不謹慎かな。)
四区は宮門西側に広がる殯庭に当たるものとされ、宮門外での公的儀礼の様子を表している。
ずらっと並んだ馬は、参列者の乗り物であるのだろうか。武人は、宮を警護しているのかもしれない。
これらの葬送儀礼の様子をします埴輪群像が検出されたのは、今城塚古墳だけだそうだ。
ちなみに、これらの大量の埴輪については、この古墳の近くにある新池埴輪制作遺跡で焼成されたと考えられている。この遺跡については、現在遺跡公園として整備されている。(まだ、機会がなく未踏の地である。)
次はいよいよ歴史館の中に入ってみることにしよう。
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