新潮社から出ているとんぼの本シリーズの「こんなに面白い奈良公園」という本を読んでいるうちに、早立ち早着きが仏像鑑賞の鉄則とあり、東大寺大仏殿であれば、朝8時には空いているとのことで、朝、靄がかかってうすぼんやりした奈良公園を見てみたいと突如思い立ち、急いで家を出て、近鉄電車に飛び乗る。近鉄奈良駅には8時過ぎに到着した。
奈良公園に向かう登大路には誰もいない。心なしか公園にいる鹿たちも寝起きのように見える。
奈良県庁前の横断歩道で、いつもは車でごった返している道もほとんど車がない。これは珍しいということで横断歩道で記念撮影。パチリ
早起きは、三文の得と言うが本当にそうかもしれないときもちワクワク感を押さえることができない。東大寺へは、本にしたがって登大路ではなく、京都街道から雲井坂を通って向かうことにした。
途中にある東大寺の戒壇院が正面に見える。いつもは観光客や修学旅行生でいっぱいの道だが、人がいない。
人っ子一人いない。街並みも美しく見える。
戒壇院の前を左折し、吉城川に沿って歩いていくと、東大寺の南大門の裏側に出る。
東大寺の南大門は鎌倉時代の代表的な建造物で、国宝に指定されている。この南大門は、大仏様という建築様式を採用している。(たぶん、私たちの学生時代は天竺様と習ったような気がする。)大仏様の特徴としては、貫と呼ばれる水平材を用いて、建物を堅牢にしていること、天井がなく構造材をそのまま総則として見せていることなどが挙げられる。
こんな人がいない南大門の写真なんてめったに取れることはないのでわざわざ正面に回って写真を撮ってみた。
教科書に出てくるような雰囲気の写真が撮れた。金剛力士像も金網越しだけれどもパチリ。
共に鎌倉時代の優品。国宝に指定されている。運慶が制作の総指揮を執ったと考えられている。
南大門のくぐって、少し参道を歩くと近年、建設された東大寺ミュージアムがあり、その横には、奈良の古刹には必ずあると言われる会津八一の歌碑が建っている。
歌碑には、「おほらかに もろてのゆびを ひらかせて おほきほとけは あまたらしたり」と刻まれている。この歌碑は、1950年會津八一の古希を祝って建てられたという。
いよいよ大仏殿の中に入る。
大仏殿は、聖武天皇の発願により奈良時代に建立されたが、平重衡や松永久秀の焼き打ちにあい、焼失。現在の大仏殿は、江戸時代の宝永年間に再建されたものである。大仏殿の高さは、47.5m、東西57m、南北50.5m、正面5間、側面5間、1回裳階付の構造になっている。改めて大きいなあと思う。さすが、世界最大の木造の古建築である。これでも、創建時の3分の2のスケールであるという。
大仏殿前の国宝金堂八角燈籠。人が少ないからゆっくり見ることができた。基本は奈良時代のものだが一部レプリカになっている。
さあいよいよ大仏殿の中に入る。「お酒なら二石召し上がってもほんのりする程度」との名言もあるとおり、本当に大きい。像の高さは14.7m。
奈良の大仏は、正確には盧舎那仏といい、仏教の教えを体現している法身仏と呼ばれ、万物の中心にいる仏様なのだという。大仏殿には、小学校の遠足以来何度も来ているのだが、ざっと見るばかりであんまりじっくり見た記憶がない。今回初めて気が付いたのだが、大仏には、ちゃんと脇侍がいる。如意輪観音菩薩と虚空蔵菩薩である。どちらも大きな仏像なので、あんまり一体感がない。そのため、じっくり記憶がないのだろうなあ。
大仏の裏側に回ると、かつての大仏殿を復元した模型などが飾られており、また、未完成に終わった四天王の2体の頭部がある。これってたぶん手塚治虫の「火の鳥 鳳凰編」に主人公の我王が彫った仏さまのモデルになっているよなあと思う。
大仏の鼻の孔と同じ大きさと言われる柱穴。十辺舎一句の「東海道中膝栗毛」では、弥次さん喜多さんのどっちだったかが挟まって抜けられなくなったものだ。子ども達が楽しそうにやっている。筆者は、たぶんおなかが出てきているので無理だな。
しっかし大きい手だなあ。調べるとだいたい2.5mあるらしい。全世界を普く照らさないといけないのだからそら大きいわなあ。
などと思いながら、大仏殿の中を見終わり、外へ、外へ出るころにはだいぶ観光客も集まってきた。「早起きは・・・。」だね。
出口の所の梅の木にまだ花が残っていた。大仏殿と一緒に記念撮影。さあ!次ぎへ行こう。
奈良公園に向かう登大路には誰もいない。心なしか公園にいる鹿たちも寝起きのように見える。
奈良県庁前の横断歩道で、いつもは車でごった返している道もほとんど車がない。これは珍しいということで横断歩道で記念撮影。パチリ
早起きは、三文の得と言うが本当にそうかもしれないときもちワクワク感を押さえることができない。東大寺へは、本にしたがって登大路ではなく、京都街道から雲井坂を通って向かうことにした。
途中にある東大寺の戒壇院が正面に見える。いつもは観光客や修学旅行生でいっぱいの道だが、人がいない。
人っ子一人いない。街並みも美しく見える。
戒壇院の前を左折し、吉城川に沿って歩いていくと、東大寺の南大門の裏側に出る。
東大寺の南大門は鎌倉時代の代表的な建造物で、国宝に指定されている。この南大門は、大仏様という建築様式を採用している。(たぶん、私たちの学生時代は天竺様と習ったような気がする。)大仏様の特徴としては、貫と呼ばれる水平材を用いて、建物を堅牢にしていること、天井がなく構造材をそのまま総則として見せていることなどが挙げられる。
こんな人がいない南大門の写真なんてめったに取れることはないのでわざわざ正面に回って写真を撮ってみた。
教科書に出てくるような雰囲気の写真が撮れた。金剛力士像も金網越しだけれどもパチリ。
共に鎌倉時代の優品。国宝に指定されている。運慶が制作の総指揮を執ったと考えられている。
南大門のくぐって、少し参道を歩くと近年、建設された東大寺ミュージアムがあり、その横には、奈良の古刹には必ずあると言われる会津八一の歌碑が建っている。
歌碑には、「おほらかに もろてのゆびを ひらかせて おほきほとけは あまたらしたり」と刻まれている。この歌碑は、1950年會津八一の古希を祝って建てられたという。
いよいよ大仏殿の中に入る。
大仏殿は、聖武天皇の発願により奈良時代に建立されたが、平重衡や松永久秀の焼き打ちにあい、焼失。現在の大仏殿は、江戸時代の宝永年間に再建されたものである。大仏殿の高さは、47.5m、東西57m、南北50.5m、正面5間、側面5間、1回裳階付の構造になっている。改めて大きいなあと思う。さすが、世界最大の木造の古建築である。これでも、創建時の3分の2のスケールであるという。
大仏殿前の国宝金堂八角燈籠。人が少ないからゆっくり見ることができた。基本は奈良時代のものだが一部レプリカになっている。
さあいよいよ大仏殿の中に入る。「お酒なら二石召し上がってもほんのりする程度」との名言もあるとおり、本当に大きい。像の高さは14.7m。
奈良の大仏は、正確には盧舎那仏といい、仏教の教えを体現している法身仏と呼ばれ、万物の中心にいる仏様なのだという。大仏殿には、小学校の遠足以来何度も来ているのだが、ざっと見るばかりであんまりじっくり見た記憶がない。今回初めて気が付いたのだが、大仏には、ちゃんと脇侍がいる。如意輪観音菩薩と虚空蔵菩薩である。どちらも大きな仏像なので、あんまり一体感がない。そのため、じっくり記憶がないのだろうなあ。
大仏の裏側に回ると、かつての大仏殿を復元した模型などが飾られており、また、未完成に終わった四天王の2体の頭部がある。これってたぶん手塚治虫の「火の鳥 鳳凰編」に主人公の我王が彫った仏さまのモデルになっているよなあと思う。
大仏の鼻の孔と同じ大きさと言われる柱穴。十辺舎一句の「東海道中膝栗毛」では、弥次さん喜多さんのどっちだったかが挟まって抜けられなくなったものだ。子ども達が楽しそうにやっている。筆者は、たぶんおなかが出てきているので無理だな。
しっかし大きい手だなあ。調べるとだいたい2.5mあるらしい。全世界を普く照らさないといけないのだからそら大きいわなあ。
などと思いながら、大仏殿の中を見終わり、外へ、外へ出るころにはだいぶ観光客も集まってきた。「早起きは・・・。」だね。
出口の所の梅の木にまだ花が残っていた。大仏殿と一緒に記念撮影。さあ!次ぎへ行こう。
おはようございます。
私も昨年の秋留学生たちとバス旅行で東大寺へ行ってきました。
この風景が懐かしくてついお邪魔してしまいました。
朝早く訪れると静かでしょうね・・・
古墳の話題ですが、私は子供の頃古墳で遊んでいたふとどき者です(^-^;)