奈良まほろばソムリエ検定というのが、奈良商工会議所主催で行われている。昨年末になって、何を思ったか試験を受けることを決意。まずは、2級から受けてみることにした。例年、帝塚山大学で試験が行われていたのだが、今回から天理大学へ会場が変更になったとのこと。とにかく当日は遠路はるばる天理大学へ向かうことになった。
天理大学は、杣之内キャンパスで試験が行われる。天理大学の入り口の建物にびっくり😲!なんだこれは?
何とも立派な建物。天理大学の付属の博物館、天理参考館もこの建物の中にある。建物の中をくぐって、キャンパスへ。結構、大きい。のんびり行き過ぎた所為で試験の説明が始まる直前に入室。危ない、危ない。
試験終了後、構内を歩いていたら、西山古墳と書いた標識を発見。遠目に、古墳らしき小山が見える。今年の古墳はじめはここだと言わんばかりに喜び勇んで、かの有名な天理高校の前を通って西山古墳へ。
広い原っぱのようなところに、樹木や草が刈り取られ墳丘がむき出しになったこんもりとした丘が見える。これが、西山古墳である。
見た目ではっきりと三段築造の古墳であることがわかるのだが、前方後円墳かと思うと違いような感じで、説明板を読んで納得。前方後方墳の古墳とのこと。また面白いことに、二段目より上は前方後円形をしているらしい。これもなるほどと思う。
古墳としては、全長190m、後方部の一辺は90m、前方部幅87mという規模で前方後方墳としては国内最大級である。墳丘のそばまでは近づくことができるし、どうやら墳丘上にも上ることができるようである。ただ、どこから上がっていいのかわからなかったので、上らなかった。少し残念。(調べると、後方部には、竪穴式石室の天井石と思われる石材が露出しているらしい。😢)
古墳の周濠があったあたりは、天理大学の施設として使われているようで、北側は、アーチェリー部の練習場になっており、一部ドラム缶が並べられている所があり、一瞬、遠目には円筒埴輪が並べられているようでもあった。
また、反対側は農園になっていた。こっちから見ると後方部も確かに方形であることが確認できる。
前方部には、周濠が一部残っており、こっちから周濠を通りてみる古墳が美しい。ここがフォトスポットである。
しかし、なぜ前方後方墳から造り始めて、途中から前方後円墳に作り替えたのだろうか?造っている途中に前方後円墳を造ってもいいというお許しが出たのかな。不思議なものである。
西山古墳のフェンスに、「塚穴山古墳通路入口」と書かれた案内が貼り付けてあり、入ろうとすると鍵がかかっており、古墳に近づくには、天理高校の許可がいることが判明。
何たることか・・・。おそらく目の前の藪の中にあるのだろう。調べてみると塚穴山古墳は、西山古墳の周濠上に造られた古墳で、かなり立派な横穴式石室をもつ古墳時代の終末期の古墳であるらしい。
悲しいなあ・・・。いつの日かお会いできることを楽しみにして、古墳の前を後にする。
隣接した墓地には、幕末の画家、冷泉為恭という人のお墓があった。幕末の攘夷運動の中、攘夷派によって、殺害されたそうです。
お墓に手を合わせて、帰路に就くことにした。
ちなみに奈良検定の合格発表は2月中旬だそうだ。結果はどうなっていることであろう。
天理大学は、杣之内キャンパスで試験が行われる。天理大学の入り口の建物にびっくり😲!なんだこれは?
何とも立派な建物。天理大学の付属の博物館、天理参考館もこの建物の中にある。建物の中をくぐって、キャンパスへ。結構、大きい。のんびり行き過ぎた所為で試験の説明が始まる直前に入室。危ない、危ない。
試験終了後、構内を歩いていたら、西山古墳と書いた標識を発見。遠目に、古墳らしき小山が見える。今年の古墳はじめはここだと言わんばかりに喜び勇んで、かの有名な天理高校の前を通って西山古墳へ。
広い原っぱのようなところに、樹木や草が刈り取られ墳丘がむき出しになったこんもりとした丘が見える。これが、西山古墳である。
見た目ではっきりと三段築造の古墳であることがわかるのだが、前方後円墳かと思うと違いような感じで、説明板を読んで納得。前方後方墳の古墳とのこと。また面白いことに、二段目より上は前方後円形をしているらしい。これもなるほどと思う。
古墳としては、全長190m、後方部の一辺は90m、前方部幅87mという規模で前方後方墳としては国内最大級である。墳丘のそばまでは近づくことができるし、どうやら墳丘上にも上ることができるようである。ただ、どこから上がっていいのかわからなかったので、上らなかった。少し残念。(調べると、後方部には、竪穴式石室の天井石と思われる石材が露出しているらしい。😢)
古墳の周濠があったあたりは、天理大学の施設として使われているようで、北側は、アーチェリー部の練習場になっており、一部ドラム缶が並べられている所があり、一瞬、遠目には円筒埴輪が並べられているようでもあった。
また、反対側は農園になっていた。こっちから見ると後方部も確かに方形であることが確認できる。
前方部には、周濠が一部残っており、こっちから周濠を通りてみる古墳が美しい。ここがフォトスポットである。
しかし、なぜ前方後方墳から造り始めて、途中から前方後円墳に作り替えたのだろうか?造っている途中に前方後円墳を造ってもいいというお許しが出たのかな。不思議なものである。
西山古墳のフェンスに、「塚穴山古墳通路入口」と書かれた案内が貼り付けてあり、入ろうとすると鍵がかかっており、古墳に近づくには、天理高校の許可がいることが判明。
何たることか・・・。おそらく目の前の藪の中にあるのだろう。調べてみると塚穴山古墳は、西山古墳の周濠上に造られた古墳で、かなり立派な横穴式石室をもつ古墳時代の終末期の古墳であるらしい。
悲しいなあ・・・。いつの日かお会いできることを楽しみにして、古墳の前を後にする。
隣接した墓地には、幕末の画家、冷泉為恭という人のお墓があった。幕末の攘夷運動の中、攘夷派によって、殺害されたそうです。
お墓に手を合わせて、帰路に就くことにした。
ちなみに奈良検定の合格発表は2月中旬だそうだ。結果はどうなっていることであろう。
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