令和元年10月6日(日)
この日3か所目は、藤原宮跡で行われた第200次調査の現地説明会である。さすがに3ケ所目ともなるとちょっと頭の中が混乱気味になってしまう。
しかも、見た目は基壇跡と溝ばかりなので、地味な印象を受けるが、成果としてはこれまで空き空間として考えられていた大極殿の北方に空間を南北に区切る回廊の存在が明らかになったということで、これまで考えられてきた大極殿院の姿が書き換えられるということになりそうである。
調査区の平面図、東門から北へ延びる東面北回廊があり、途中西へ延びる大極殿後方東回廊がつながっている。
東門の存在は過去の調査で明らかになっており、回廊は複廊であると考えられている。調査区ぎりぎりのところに礎石の据え付けた痕跡が見える。
ピンクのビニール紐が礎石の並びを示しており、この場所から西へ延びる大極殿後方東回廊と接続している。ちなみに写真左下部分の木枠は、後世の物で当時の物ではない。いい位置にいるので一瞬ハッとしてしまう。(笑)
東面北回廊の礎石据付痕跡、小さい石は根石か?
南北溝2は、東面北回廊に伴う溝で、南北溝3は、東西溝2と繋がっていることから、今回新たに検出された大極殿後方東回廊に伴うものと考えられる。藤原宮の建物は、その外側に溝を掘ってその区画を区切っている。今回も南北溝1~7、東西溝1,2といった溝がそれにあたる。
大極殿後方東回廊についても複廊形式になっている。
調査区の西端には運河の存在が明らかになっている。大極殿院の造営に先行するものと考えられる。
東西溝3は運河に直接取りついている溝で、運河から東に伸びているが、大極殿後方東回廊の下に埋まる形になっている。
また、後方東回廊の上に掘立柱塀の痕跡が見つかっている。どうやら西へ延びているらしく、後方東回廊との関係がどうなるのだろうか。
最後に、現地説明会の最中に、調査区の端から軒丸瓦が見つかった。
なかなかこういうところを見ることはできないよね。
形も美しい。複弁の蓮華文様だ。割と藤原宮跡ではよく見る瓦である。
軒平瓦も出てきている。
この日は、宮跡のコスモスが満開。おそらく現地説明会の日程を合わせたのだろう。
なかなか見ごたえがあった。
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