今回は天王寺七坂のうち清水坂と天神坂を紹介。
【写真は愛染坂。清水坂はこの一本南にある】
清水坂というと、京都の清水寺に繋がる清水坂という印象になるのだが、大阪にも清水坂、清水寺がある。天王寺七坂の一つ、愛染坂の一つ南側にある坂が清水坂である。間にはちょうど星光学院高校が挟まっている形にはなっている。
愛染坂から清水坂へ行く途中に、金龍井という説明板があった。このあたりは、名泉が多くあり、増井・逢坂・玉手・安井・土佐(有栖)・金龍・亀井を天王寺の7名泉というらしい。このあたりでは、昔、江戸時代には、水売りといった商売もあったらしい。
清水坂を上ったところに、清水寺がある。創建の時期とかは不明とのこと。昔は、有栖寺と呼ばれていたらしい。江戸時代の寛永年間に今はないが舞台造の本堂を立てて清水寺と呼ばれるようになったらしい。新清水寺とも呼ばれている。
三方が崖になっていて、江戸時代には風光明媚の地として人気があった場所のようである。清水坂の名称も、このお寺に由来する。
清水寺には、境内がほとんど墓地になっているのだが、舞台になっているところ(清水の舞台)からは、大阪平野が一望できる。
舞台からは、通天閣がよく見える、やっぱり通天閣の方が大阪らしくていい。通天閣を見るとああ、大阪やわあと思う。大阪人の心のよりどころみたいな感じかな。
清水寺の中には、京都の清水寺の音羽の滝を模した玉出の滝がある。
大阪市内唯一の天然の滝であり、今でも滝修行に使われているのだそうだ。そういえば、僕が行ったときも、法螺貝の音が聞こえていた。
滝の水は、言い伝えでは四天王寺の金堂の地下にある青龍池から流れ出ている霊水なんだそうだ。残念なことに飲料には適していないらしい。
その清水坂から少し南に行くと次は天神坂がある。
天神坂ぐらいになると、坂が急というよりはなだらかになって、距離が長くなっている感じである。天神坂の名称の由来は、坂の下にある安居天神から来ている。また、坂の下の安居天神への入り口の所には、相坂の清水と呼ばれた名泉があり、そのこ明泉をイメージした案内板が建っている。
この天神坂からすぐ南に真田幸村(今は真田信繁の方が有名か)の終焉の地として知られる安居天神がある。
【参考リンク】
天王寺界隈を歩く③ ~口縄坂と源聖寺坂~
【写真は愛染坂。清水坂はこの一本南にある】
清水坂というと、京都の清水寺に繋がる清水坂という印象になるのだが、大阪にも清水坂、清水寺がある。天王寺七坂の一つ、愛染坂の一つ南側にある坂が清水坂である。間にはちょうど星光学院高校が挟まっている形にはなっている。
愛染坂から清水坂へ行く途中に、金龍井という説明板があった。このあたりは、名泉が多くあり、増井・逢坂・玉手・安井・土佐(有栖)・金龍・亀井を天王寺の7名泉というらしい。このあたりでは、昔、江戸時代には、水売りといった商売もあったらしい。
清水坂を上ったところに、清水寺がある。創建の時期とかは不明とのこと。昔は、有栖寺と呼ばれていたらしい。江戸時代の寛永年間に今はないが舞台造の本堂を立てて清水寺と呼ばれるようになったらしい。新清水寺とも呼ばれている。
三方が崖になっていて、江戸時代には風光明媚の地として人気があった場所のようである。清水坂の名称も、このお寺に由来する。
清水寺には、境内がほとんど墓地になっているのだが、舞台になっているところ(清水の舞台)からは、大阪平野が一望できる。
舞台からは、通天閣がよく見える、やっぱり通天閣の方が大阪らしくていい。通天閣を見るとああ、大阪やわあと思う。大阪人の心のよりどころみたいな感じかな。
清水寺の中には、京都の清水寺の音羽の滝を模した玉出の滝がある。
大阪市内唯一の天然の滝であり、今でも滝修行に使われているのだそうだ。そういえば、僕が行ったときも、法螺貝の音が聞こえていた。
滝の水は、言い伝えでは四天王寺の金堂の地下にある青龍池から流れ出ている霊水なんだそうだ。残念なことに飲料には適していないらしい。
その清水坂から少し南に行くと次は天神坂がある。
天神坂ぐらいになると、坂が急というよりはなだらかになって、距離が長くなっている感じである。天神坂の名称の由来は、坂の下にある安居天神から来ている。また、坂の下の安居天神への入り口の所には、相坂の清水と呼ばれた名泉があり、そのこ明泉をイメージした案内板が建っている。
この天神坂からすぐ南に真田幸村(今は真田信繁の方が有名か)の終焉の地として知られる安居天神がある。
【参考リンク】
天王寺界隈を歩く③ ~口縄坂と源聖寺坂~
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