纒向矢塚古墳から北東へ向かうと、纒向小学校の裏手に纒向勝山古墳がある。古墳の後円部の周りを周濠を利用した池が巡らされており、纒向矢板古墳からはちょうど池の前に出ることになる。
纒向勝山古墳は、周濠の周りを整備されているのでぐるっと歩いて回ることができる。
周濠の外に目をやると、太陽光発電のソーラパネルが並べられている。
環境問題を考えると、こういったものが必要であるというのも理解できるのだが、著しく景観を損なっているような気がする。奈良県下を歩いているとこの手のものをそこら中にある。一定制限をかける必要もあるような気がする。
さて、纒向勝山古墳であるが、これまでの纒向古墳群の古墳と同様に、箸墓古墳に先行するあるいは同時期の古墳であると考えられている。ただ、纒向勝山古墳については、周濠から木製品が多数見つかっており、年輪年代法によると3世紀の初め頃を示すものと3世紀後半を示すものとが検出されており、古墳の築造年代を確定させることについて、決め手を欠いているようである。
前方部まで来ると、古墳の前方部を横切って反対側に出ることができる。
反対側に渡るとどことなく前方後円墳のように見える。纒向勝山古墳は、全長115mで、後円部径70m、前方部長40mと後円部に比べて前方部がかなり短い様子がうかがえる。墳丘には、周辺の古墳と同様に葺石や埴輪はないそうだ。
また、周濠のほとりにある桜井市教育委員会の解説では、ここも「墳丘墓」という言葉が括弧書きで付け加えられている。箸墓古墳とかかわりがありそうな、これらの古墳は、これから書く予定の纒向石塚古墳と纒向矢塚古墳とこの2つの古墳よりは少し長い前方部を持つ纒向勝山古墳と東田大塚古墳に分けられるという。そして、後者については、箸墓古墳と墳丘の形について、類似が指摘されている。
石野博信氏は、この二つの分類には理解しつつも、いずれも長突円墳としている。
しかし、これらの古墳と箸墓古墳との間にはかなり隔たりがありそうである。箸墓古墳は、これらの古墳と系譜上つながっているのか、あるいは突然現われたものなのかは意見の分かれるところだという。
纒向勝山古墳を観察した後、次は日本最古の古墳とも言われる纒向石塚古墳へ向かうことにしよう。
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