「赤頭巾ちゃん気をつけて」
庄司薫著 新潮文庫
ご存知薫くんシリーズ四部作の1作目である。このたび新潮文庫から新装版として刊行されたことから、懐かしさのあまり四部作ともに購入し、読了してしまった。
初読は、たぶん高校1年生の時、この小説を読んで、もろに影響を受けた作文を書いて国語の先生に激賞された記憶がある。
正直、冒頭の文章からしびれちゃったわけで、引用すると「ぼくは時々、世界中の電話という電話は、みんな母親という女性たちのお膝の上かなんかにのっているのじゃないかと思うことがある。特に女友達にかける時なんかがそうで、どういうわけか、必ず「ママ」が出てくるのだ。」このあたりなんぞは、小説の文章というのは固いのが当たり前といった先入観から解き放ってくれる。こんな話し言葉でいいんだ何て思ったりしたのだ。(でも、今の子どもたちに電話の話は通じるのだろうか???)
そんなこんなで高校時代、大学時代を通じて、薫くんシリーズは、ぼくの思想の一部を完全に形作っていて、やっぱり彼女が出来た時は、薫くんよろしく、「ぼくは海のような人間になろう。」とか「好きだからこそ手を出してはいけない。」なんてことを忠実に守ってたりしていた。
そしてぼく自身、「ばかばかしさの真っ只中で犬死」しないために、書斎派として、客観的に世の中を見つめるようにしていた。
そんな風に学生時代を過ごしていたもんだから、周りにも幾人か薫くん信者がいてたりして、「おまえも読んだのか。」と同志を見つけるような思いで話し合ったりしたものだ。
今回、何十年ぶりかに読み返してみて、結構、薫くんは、理屈っぽかったのだなあと思ったりしました。もっとスマートだったような気がしたのだけど、違ったんだなあこれが。でも知性に全面的に信頼を置いている。これが時代というものなのだろうか。ぼくの学生の頃はまだ、大学生は、社会的にもエリートと目されていたし、なんとなくそれなりの使命感もあったような気がする。それ以上に、そういった雰囲気がすごく色濃く出ている時代だったんだろうな。
薫くんシリーズは、このあと「白鳥の歌なんか聞こえない」「さよなら怪傑黒頭巾」「ぼくの大好きな青髭」と続く。
主題がわかりやすいのは「さよなら怪傑黒頭巾」、そしてたぶん一番重要なのは、四作目の「ぼくの大好きな青髭」ではなかろうか。
「ぼくの大好きな青髭」では、最後、「若さとは」何なのか、結局は「敗北」するしかないのかと思うのだが、「翌日に読んで欲しいささやかなあとがき」の中で「ぼくはますます深まる眠気の中で、万一眠りこんだ時、間違っても両側の二人とくに由美の膝に倒れこんだりしないよう、もたれかかった巨木の幹に頭と背中をしっかりと押しつけようと努めたけれど、どうやらそれを最後に気を失うように眠ってしまったものだった。気がつくと小林が、おい、素晴らしい夜明けだぞ、と言っていた。」復活と再生を予感させる終わり方になっていた。
今の若い人たちの受け入れられるのかどうかわからないが、読んで欲しい本の一つのような気がする。読書をきっかけに少し深く考えてみるのもいいんじゃないのかな。それはきっと学生時代しか出来ない気がする。
そういえば、最近、書店でこの本の有名なコピー「女の子にもマケズ、ゲバルトにもマケズ、男の子いかに生くべきか。」の女の子版を見た。何の本か忘れたけどね。
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