陵西陵墓参考地に号陪冢を訪ねたのち、北に向かって歩いていると、最近建てられたと思われる真新しいハイツの駐車場に入る道から、古墳らしきものが顔を出していた。駐車場の中に入っていくと古墳の巨大な姿を目にすることができた。
これが茶臼山古墳と呼ばれる古墳で、築山古墳の陪冢と考えられ、磐園陵墓参考地陪冢として宮内庁が管理している。
墳丘の上に樹とかがなく、草もきれいに刈り取られているので二段築造の円墳であることが明瞭にわかる。
大きさは、直径50mで葺石や埴輪等は確認されている。また周囲に周濠があったようで、航空写真等を見ていると何となくその痕跡が見て取れる。
古墳の前にあるハイツからすると玄関を出たら、ドーンと目の前に古墳がある。不思議な感じであろうな。まあ、奈良あるあるなのかな。
古墳の南側は、住宅が密集していて、家と家の間の隙間からしか古墳の姿を見ることができない。古墳の頂上の辺りが窪んでいる。盗掘抗なのかな。
茶臼山古墳の東側に栂池公園と呼ばれる公園があり、そこから築山古墳の全体像を見ることができる。
この公園は周りから低くなっているので、築山古墳の二重濠の外側の濠の跡かもしれない。
ここから、住宅街を抜けるとちょうど築山古墳の後円部にあたる。ちょうどここからぐるっとほぼ古墳の周りを一周することができる。
後円部から前方部に向けて、濠と民家の間の細い道を通っていくのだが、フェンスが濠の方に傾いているところがあるので、ちょっとビビッてしまう。
でも濠も立派だし、墳丘の姿もいいので一見の価値はあると思う。
築山古墳は、全長210mもある大型古墳で、墳丘は、後円部が4段、前方部が3段で築造されており、南側のくびれ部には、造り出しがある。(ただし、後円部、前方部ともに3段と書かれているのもある。)築造されたのは、4世紀末から5世紀の初めの古墳時代の中期前半だと考えられている。現在は磐園陵墓参考地として宮内庁が管理している。被葬者としては、顕宗天皇が想定されているが、古墳の築造年代と時代が合わない。
そして、古墳の北側に回ると周濠がかなり狭くなっている。ただ、これは後世の改変であるらしく、もとは南側と同じ幅であったらしい。
一部渡堤があり、宮内庁の管理用の小屋が建っていた。
陵墓参考地を示す制札が建てられていた。
築山古墳の姿は、近くのかん山古墳や古屋敷古墳の近くからでもよく見ることができる。この築山古墳は、いい形の古墳である。来てよかった。
この後は、築山古墳の周辺にある古墳をいくつか見て回ることにした。
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