休日はデジカメ持ってぶらぶらと📷

アメフト観戦記や読書日記を綴っていましたが、最近は古墳(コフ)ニストとして覚醒中!横穴式石室をもつ古墳にハマっています。

雄綱と雌綱と飛び石と

2013-02-12 08:11:37 | 史跡を歩く
 奥飛鳥についての投稿の続きである。祝戸から稲渕地区の集落に入ってしばらくすると、飛鳥川に両岸から綱をかけており、綱の真ん中に怪しげなものがかけられている、ちょっとした陽物に見える。これが、著名な雄綱である。両岸から綱をかけられており、この綱の長さは8メートルにも及ぶそうである。

   


 近くの橋の欄干には、南淵請安が講義をしている様子が浮き彫りにされている。これは、おそらく大化の改新前夜、南淵請安の塾に、中大兄皇子と中臣鎌足とが教えを乞うていたという故事に基づくのであろう。

 しばらく飛鳥川に沿って歩いていくと、栢森の集落の入り口に、もう一つ、飛鳥川に綱が渡されている。これが雌綱である。そして右の写真の右下に写っている注連縄をまいた岩が福石といわれるものである。

   


 稲渕の雄綱と栢森の雌綱で一対のものであり、これで結界を張っており、稲渕の雄綱は、川下からくる禍をここで防ぎ、栢森の雌綱は、川上からくる幸いをここで受け止めるのだそうです。そして子孫繁栄と五穀豊穣を祈るものなのだそうだ。
 古くからある民間信仰が名残なんだろう。たぶん飛鳥が、日本の政治の中心となる以前から。
 毎年1月には、稲渕、栢森の集落で網掛神事として、新しい綱がかけられている。それは今年もしめやかに行われている。

 その雄綱と雌綱の間には、万葉集にも歌われている飛鳥川の飛び石が残っている。

   


 稲渕の集落から少し出たところに標識が立っている。

 飛び石を渡っていると、昔の人の生活が浮かんでくるような気がする。岸を渡る行為にいろいろな想いが込められてるのだろう。
 そして、岸には、万葉集の一首を記した歌碑がひっそりと建てられている。すっかりと周りの景観に溶け込んでいるようだ。

 
 


 歌碑には、次のような歌が刻まれている。

 「明日香川 明日も 渡らむ石橋の 遠き心は 思ほえぬかも」
 石橋を渡る想いが、うかがえる。そういった時期は、あったような気がするなあ。
 飛鳥川にかかる飛び石には、この上流にももう一か所あるとのこと。見つけることができなかった。

 この辺りは、棚田もきれいで、時期が良ければ、本当に日本の原風景といったものが見ることができる。懐かしい気がする風景である。飛鳥の地が観光地と化してしまった今、大宮人の姿は、ここら辺りまで来て、偲ぶほうがいいような気がする。

 雄綱、雌綱をみるといつも、水木しげるの書く妖怪が浮かぶんだけど、なんて奴だろう。気になる。

 


 
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