●今日の一枚 133●
Jackie Mclean 4, 5 and 6
ジャッキー・マクリーンがその73年の人生を終えたのは、そういえば去年の今頃だった。2006年3月31日、ジャッキー・マクリーン死去。ずいぶんと以前のことのように思っていたのだが、月日が流れるのははやいものだ。
歌心溢れるソロでいつも我々を魅了してくれ、あの名曲「レフト・アローン」によって哀愁のアルト吹きというイメージの強い彼だが、意外にもその人生の軌跡を追うと、時代の流れに敏感に反応して自身の音楽を大胆に変化させていることがわかる。1950年代にチャーリー・パーカーの後継者的な評価を受けていた彼は、1960年代初頭まで、ファンキーなテイストも感じさせるハードバップ作品を多く残している。しかし、1960年代のマクリーンは、モードやフリージャズの影響をうけ、より大胆な演奏へと変化していく。以後マクリーンは多彩なミュージシャンと競演し、より自由で創造的な演奏を展開していく。ところが、1960年代末以後、マクリーンはジャズシーンの表舞台から忽然と姿を消すのである。1970年代の彼は何と大学の先生をしていたのだ。コネチカット州にあるハートフォード大学でジャズ理論やジャズ史を教え、アフロ・アメリカン音楽学部の学部長まで務めるのである。マクリーンは演奏活動をやめ、幻のミュージシャンとなったわけだ。晩年といっても1980年代以後だが、彼は再び演奏活動をはじめるのだが、その演奏はかつてのハード・バッパーの姿であった。フリーや大学での研究を通り抜け、マクリーンは自身のハードバップを再武装したのかもしれない。
1956年録音の『4,5&6』(prestige)。マクリーンが、カルテット、クインテット、セクテットによる演奏を収録した一枚である。若い頃は、この作品のよさがわからず、退屈な演奏だと思っていた。年齢を重ねるにつれてこの作品がじわじわと心にあるいはからだに沁みてくるようになった。メロディーはスムーズに流れ、音色はどこまでも伸びやかである。もはや古い本だが、最近たまたま『名演 Modern Jazz』(講談社)のページをめくっていたら、この『4,5&6』についての次のような文章に出会い、「ほほう」と感じ入った。
「……つまり弱冠24歳のマクリーンの演奏が聴けるわけだが、そのテーマの部分ではさながら海千山千のベテランの演奏のごとき余裕さえ感じられる。しかし、それがいったんアドリブパートに入るとどうだろうか。演奏はガラリと様相を変えて、”ぬきさしならぬ”といった気配をただよわせるのである。高い音域での鋭い音色が、それを一層助長する。ジャッキー・マクリーンの思いのたけがこめられたその”ぬきさしならぬ”一音一音は当然のごとく聴き手に手に汗をにぎらせる。……」