●今日の一枚 143●
Keith Jarrett
My Song
キース・ジャレットの『マイ・ソング』(ECM)。全曲がキースのオリジナル曲からなる、ヨーロピアン・カルテットによる演奏である。
録音されたのは1977年だったのですね。30年も前のレコードだ何て信じられない程、今聴いても新鮮である。録音だって悪くない。しかし、逆説的な言い方だが、このようなポップでしかも斬新な作品というのは、現代にはむしろ少ないのではなかろうか。キースは、その音楽の中で自己の世界を構築し、更なる何ものかを探究しているかのようである。ポップだが、その世界が完結的でなく、聴くたびに生成・進化を繰り返すような作品である。
久々にこの作品を聴いたが、聴きながら読んだ、若き日の小野好恵によるライナーノーツが興味深かった。いかにも文学者然とした過剰な思い入れが感じられる文章だ。結論として何が言いたいのかいまひとつ不明な文章であるが、随所に印象的な表現が登場する。それらを紹介することはしないが、若き日の小野好恵はその文章を次のように結んでいる。
《 いずれにしても、帰るべき故郷などどこにもないジプシーの子キース・ジャレットは、"亡命者の時代"である20世紀が生んだ宿命の子であり、彼の音楽が有している優しさと悲しみが多くの人の心を打つのは、こういったこと決して無縁ではないだろう 》
「こういったこと」とは、キースに黒人の血が流れておらず、ブルース、ゴスペル、ニグロ・スピリチュアルなどの要素が内在的なものではない、ということをさしている。
知識人特有の《 俗物性 》を感じさせる表現ではあるが、キースの一側面を考える上で示唆的ではなかろうか。