●今日の一枚 246●
Ry Cooder
Chicken Skin Music
昨日は、妻の妹の嫁ぎ先の母親のお通夜のため、車で2時間程の宮城県は多賀城まで行き、帰宅したのは10時過ぎであった。今日もこれから、火葬&告別式等に参加しなければならない。今日は丸一日かかりそうだ。浄土真宗の葬儀は、法名も葬儀自体も実に簡素かつシンプルなもので、なるほどと考えさせられることが多く、先日書店で少しだけ立ち読みした宗教学者の島田裕巳の著書『葬式は、要らない』(幻冬社新書)を思い出した。日本人の平均葬儀費用は231万円。で、イギリスの12万円、韓国の37万円と比較して格段に高く、浪費の国アメリカでさえ44万円なのだそうだ。
ところで、先月の上旬に政治評論家の福岡政行氏の講演会を聞いた。なかなか楽しい講演会だったのだが、その中で福岡氏は今日入った最新情報ということで、来月のはじめ頃、新党が2つ誕生する見通しであると述べ、その1つを与謝野鉄幹・晶子の孫にあたる与謝野馨氏にらよるものだ、と「予言」されたのであるが、マスコミ報道によるとどうもその通りになりそうである。とすると、もうひとつの新党とはどのようなものであろうか。
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今日の一枚は、ライ・クーダーの1976年作品、『チキン・スキン・ミュージック』だ。駄作の少ないライの作品の中でも傑作といわれることの多いものだ。ライ・クーダーは、ローリング・ストーンズなどのセッションマンとして出発し、「レット・イット・ブリード」や「ジャミング・ウィズ・エドワード」などでその名を知られるようになったミュージシャンであり、カントリー・ミュージックやフォーク・ミュージック、ブルースなどをベースに、そういう民俗音楽的なものに現代的な息吹を与えることに取り組んできた人だ。渋谷陽一氏は、「彼が古い曲を取り上げると、そこには現代的タッチがみられ、同時にオリジナル曲は、今書かれているにもかかわらず、何十年も前から歌い継がれているような感覚がある」(『ロック/ベスト・アルバム・セレクション』新潮文庫)と述べているが、まことに首肯できる見解である。また、細川真平氏などは、CDライナーノーツの中で、山口昌男氏の「中心と周縁」理論を引き合いに出し、ライの音楽を中心と周縁の交じり合いをめざしたものとして評価している。ちょっと考えすぎな「俗物的」発想だなどと思いつつも、まったく見当はずれではなさそうな気もする。
ライ・クーダーの作品は、若い頃よりも年齢を重ねるごとに、その良さが理解できるようになってくるようだ。歳をとっても、昔の思い出ではなく、今のために聴くことができる数少ないアーティストである。チープなギターのテイストが何ともいえずいい。
「チキン・スキン」とは、ハワイの言い方で「鳥肌」のことなのだそうだ。「鳥肌の立つ音楽」とでも訳すのだろうか。しかし、私には「鳥肌が立つ」というより、もっとじわじわと身体の細部にゆっくりとしみこんでくる音楽のように思える。