WATERCOLORS ~非哲学的断章~

ジャズ・ロック・時評・追憶

サンフラワー

2007年03月10日 | 今日の一枚(A-B)

●今日の一枚 135●

The Beach Boys     Sunflower

Watercolors0001_10  今日の午後は久々のオフ。春近しということで、ホームセンターで買った草花を庭に植える作業をしたが、夕方から冷えてきたので、家に入りいくつかのCDを聴きつつ、書物を読んだ。

 ビーチポーイズの1970年作品『サンフラワー』。麻薬漬けのブライアン・ウイルソンが、最後の力を振り絞ってつくりあげた作品といってもいいかもしれない。イギリスでは「ビーチボーイズにとっての『サージェント・ペパーズ』」と絶賛されたアルバムである。

 ブライアン・ウイルソンの才能はやはりすごい。精神的錯乱とドラックによってフラフラの状態ですら、② This Whole Worldや③ Add Some Music To Your Day のような素敵な曲を創造できるのだから……。

 それにしても、不思議なアルバムである。前半は明るく溌剌としたポップなビーチボーイズがいる。ちょっとファンキーなテイストのナンバーすらある。ところが、後半にいくにしたがってどこか切ない雰囲気が漂い、胸がしめつけられる。そして、それらは聴けば聴くほど輝きを増してくるのだ。考えてみれば、『ペットサウンズ』以降の彼らのサウンドにはいつも切なさがあった。いや、もっと以前のカリフォルニアの青い空と太陽とサーフィンとクルマと女の子を歌った脳天気な曲たちの中にすらその切なさはあったのだ。思いおこせば、ビーチボーイズのサウンドの核心部分にはいつだって切なさがあったのではなかろうか。

 そして最も奇異なのは、幻のアルバム『スマイル』に収録されるはずだったといわれる⑫ Cool,Cool, Waterで終わるというところだ。素晴らしい曲ではあるが、それまでのアルバムの流れから考えて、どう考えても場違いな曲だ。サイケデリック・ポップとでもいうべきだろうか。いかにも深遠で意味のありげな、ドラックで錯乱した精神にしか見えないような「歪んだ世界」である。危険な曲である。しかし結局のところ、このCool,Cool, Waterこそが、このアルバムを尋常でない作品に昇華しているように思えてならない。アルバムを聴き終えた後、どこか見知らぬ土地の歪んだ風景の中に、行き先も教えられずにたったひとり取り残されたような気持ちになるのだ。

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ペットサウンズ

サーフズ・アップ

スマイル(ブライアン・ウィルソン)


I Can See Forever

2007年03月10日 | 今日の一枚(G-H)

●今日の一枚 134●

Harry Allen     I Can See Forever

Watercolors_10  昨日は近くの中学校の卒業式だったらしく、花束や卒業証書の入った筒を抱えた中学生たちが私の家の前を通り過ぎていった。そういった光景は、もうすぐ春だ、という思いをつのらせる。といっても今年は暖冬で私の住む町(東北地方)でもほとんど雪が積もらなかったが……。しかしやはり、もうすぐ春だと思うと、気分が開放的になるのをおさえ難い。

 開放的な気分になると聴きたくなるのがボサノヴァだ。ハリー・アレンの2002年録音『アイ・キャン・シー・フォーエヴァー』。数年前に結構売れたアルバムである。発表された当初は悪くはないとは思っていたものの、ボサノヴァを聴くならやはり王道のジョビンやジルベルトやスタン・ゲッツのほうがいいやという感じだった。けれどもその後、このアルバムのもつウォームな雰囲気がじわじわと沁みてきて、しばしば再生装置のトレイにのせるようになった。今では、お気に入りのボサノヴァ・アルバムの一枚といってもいい。

 ライナーノーツの小川隆夫が「アレンは、時代をリードするサックス奏者とは違う。しかし、心地のよいジャズを聴かせてくれるという点では、いまや彼の右にでる人はいない。」と語るように、ハリー・アレンのテナーは鬼気迫る「呪われた部分」に属するものではない、けれどもウォームで歌心を大切にしたプレイは、しばしば我々の胸をキュンとしめつける。アレンのテナーは決して奇をてらわず、いつでも朗々と響く。ノスタルジックな雰囲気をただよわせながら……。

 


4,5&6

2007年03月09日 | 今日の一枚(I-J)

●今日の一枚 133●

Jackie Mclean     4, 5 and 6

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 ジャッキー・マクリーンがその73年の人生を終えたのは、そういえば去年の今頃だった。2006年3月31日、ジャッキー・マクリーン死去。ずいぶんと以前のことのように思っていたのだが、月日が流れるのははやいものだ。

 歌心溢れるソロでいつも我々を魅了してくれ、あの名曲「レフト・アローン」によって哀愁のアルト吹きというイメージの強い彼だが、意外にもその人生の軌跡を追うと、時代の流れに敏感に反応して自身の音楽を大胆に変化させていることがわかる。1950年代にチャーリー・パーカーの後継者的な評価を受けていた彼は、1960年代初頭まで、ファンキーなテイストも感じさせるハードバップ作品を多く残している。しかし、1960年代のマクリーンは、モードやフリージャズの影響をうけ、より大胆な演奏へと変化していく。以後マクリーンは多彩なミュージシャンと競演し、より自由で創造的な演奏を展開していく。ところが、1960年代末以後、マクリーンはジャズシーンの表舞台から忽然と姿を消すのである。1970年代の彼は何と大学の先生をしていたのだ。コネチカット州にあるハートフォード大学でジャズ理論やジャズ史を教え、アフロ・アメリカン音楽学部の学部長まで務めるのである。マクリーンは演奏活動をやめ、幻のミュージシャンとなったわけだ。晩年といっても1980年代以後だが、彼は再び演奏活動をはじめるのだが、その演奏はかつてのハード・バッパーの姿であった。フリーや大学での研究を通り抜け、マクリーンは自身のハードバップを再武装したのかもしれない。

 1956年録音の『4,5&6』(prestige)。マクリーンが、カルテット、クインテット、セクテットによる演奏を収録した一枚である。若い頃は、この作品のよさがわからず、退屈な演奏だと思っていた。年齢を重ねるにつれてこの作品がじわじわと心にあるいはからだに沁みてくるようになった。メロディーはスムーズに流れ、音色はどこまでも伸びやかである。もはや古い本だが、最近たまたま『名演 Modern Jazz』(講談社)のページをめくっていたら、この『4,5&6』についての次のような文章に出会い、「ほほう」と感じ入った。

 「……つまり弱冠24歳のマクリーンの演奏が聴けるわけだが、そのテーマの部分ではさながら海千山千のベテランの演奏のごとき余裕さえ感じられる。しかし、それがいったんアドリブパートに入るとどうだろうか。演奏はガラリと様相を変えて、”ぬきさしならぬ”といった気配をただよわせるのである。高い音域での鋭い音色が、それを一層助長する。ジャッキー・マクリーンの思いのたけがこめられたその”ぬきさしならぬ”一音一音は当然のごとく聴き手に手に汗をにぎらせる。……」


恋に落ちた時

2007年03月06日 | 今日の一枚(I-J)

●今日の一枚 132●

Junior Mance    Ballads 2006

Watercolors0007_1  ジュニア・マンスの2005年録音盤(発表は2006年)、『恋に落ちた時』。ジュニア・マンスはこの作品について、「『ジュニア』と並ぶ出来になった」といって喜んだそうだが、そのことはふたつのことを示している。一つは、この作品が素晴らしい出来であるということ。もうひとつはジュニア・マンスというピアニストがデビュー作にして名作といわれる『ジュニア』という作品をずっと引きずって来たのだということだ。若い時分に素晴らしい作品を創造するという鮮烈な経験をすると、我々はしばしばそれを引きずって以後の人生を送ることがある。『ジュニア』という作品は、彼にとってそれほどまでに重要なものなのだろう。ジュニアは78歳になって自分自身を超え、あるいは更新したということなのだろうか。

 ところで『恋に落ちた時』だが、私は好きだ。CD帯にあるように「ジュニア・マンスの新たなる代表作」かどうかはわからないが、とにかく美しい作品だ。彼特有のブルースフィーリング溢れる雰囲気やスムーズなメロディーラインももちろんすばらしいが、この作品に関しては音の響き、和音のニュアンスが何ともいえずいい。Swing journar誌2006-6号で藤本史昭さんは「老境の芸術とはかくあるべしという見本」と記したが、そのやや大げさな表現も首肯できるほどにいい作品だと思う。新しい作品だけあって、録音もいい。

 


スピーク・ライク・ア・チャイルド

2007年03月03日 | 今日の一枚(G-H)

●今日の一枚 131●

 Herbie Hancock     Speak Like A Child

  ハービー・ハンコックの1968年録音盤『スピーク・ライク・ア・チャイルド』、新主流派の傑作だ。ロマンチックなジャケットだ。どこかで読んだような気がするのだが、キスをしているこの2人は、ハービー・ハンコックとその奥さんなのだそうだ。本当だろうか。私もやってみたいものだ。

 ハービー・ハンコックに熱狂したことはない。作品を長い期間フォローしたこともない。けれども、すごい演奏家なのだと思う。マイルス・グループでもVSOPでもハービー・ハンコックが加わると、そのサウンドはハービー・ハンコック的サウンドになる。ジャズ評論家の内藤遊人は、『はじめてのジャズ』(講談社現代新書)で彼を「マイルス・スクールの最優等生」と表現したが、やはり才能のある人なのだろう。

 好きなアルバムであるし、比較的よく聴くアルバムでもある。ただ、かつて村上龍の次のような発言の意味がいまだによくわからない。

「『スピーク・ライク・ア・チャイルド』。最初の一音で、とても日本人はかなわない。『ああ、ジャズをやってなくてよかった』と思わせる。」(『ジャズの事典』冬樹社)

 そんなにすごい「最初の一音」だろうか。ああ、理解できない。それとも、村上龍的な挑発的なプロパガンダ発言に過ぎないのだろうか。いつもの日本的貧困に対する嫌悪感を表明する発言なのだろうか


ブルースエット

2007年03月03日 | 今日の一枚(C-D)

●今日の一枚 130●

Curtis Fuller     Blues-ette

Watercolors0004_3  超名盤である。カーティス・フラーの1959年録音、『ブルースエット』。わかりやすい。気持ちいい。最高だ。

 リーダーはカーティス・フラーだが、いうまでもなく、全体のコンセプトは、ベニー・ゴルソンのもの。1950年代後半、長々と展開されるソロが全盛で、クールやモードやフリーといった新しいジャズがつぎつぎと誕生したこの時代に、ゴルソンがファンキージャズの枠に留まりつつ、あくまでアンサンブルを追求したのは興味深いことだ。彼は、古くて新しいアレンジといものにこだわることによって、時代の扉を開けようとしたのかもしれない。

 「ファイブスポット・アフター・ダーク」、なんだかんだいっても、やはりかっこいい曲である。テナーとトロンボーンの低音のアンサンブルにぞくぞくと鳥肌が立つ。


It could happen to me

2007年03月01日 | 今日の一枚(C-D)

●今日の一枚 129●

Chet Baker     It Could Happen To You

Watercolors0002_5  忙しくて、Swing Journal を買うのを忘れていた。だいぶ遅れて書店に一冊だけ残っていた3月号を買うと、何とチェット・ベイカー特集だ。ぺらぺらめくってみて、ちょっとうれしくなってしまった。何が嬉しいって、チェットのトランペットプレイを評価するコメントがいくつか載っていたからだ。その特異で中性的なトーンのボーカルが特色の中心として語られることの多いチェットだが、トランペットプレイだってかなりいいんじゃないかと、ずっと思っていたのである。

 同誌の特集記事では、同じトランペッターのアルトゥーロ・サンドバル、ティル・ブレナー、ランディー・ブレッカー、そしてあのドン・チェリーまでもがチェットのボーカルではなく(あるいはボーカルとともに)、そのトランペット演奏を大きく評価しているのだ。いちいち首肯できる意見ばかりだった。

 例えば、ドン・チェリーは、「チェットをシンガーとしてではなくトランペッターとして評価している。……一音で彼だってわかるじゃないか。独特の音を持っている点ではマイルス・デイヴィスに匹敵する。」といい、ランディー・ブレッカーは、「チェットは音の伸ばしかたがうまい。伸ばしながら強弱をつけることで独特のリリシズムを生み出している。ビブラートをつけずにそういうことをやる人はあまりいない。あとはマイルスがそうだ。でもふたりのやりかたは違う。チェットは最初から強く吹かないで、途中で鼻から息を吹き込んで音を伸ばしていく。サーキュラー・ブリージング(循環呼吸)みたいな手法だね。マイルスはいっきに吹いてそれを伸ばしてみせる。こちらは強弱がつけにくい。テクニックからいけばチェットのほうが難しい。それを何気なくやっているところも、同じトランペットを吹くものにはかっこよく映る。」と語っている。

 というわけで今日の一枚は、チェット・ベイカーの1958年作品『It Could Happen To You』、先のランディー・ブレッカーのコメントの中にも登場する作品だ。しばらくぶりに聴いたのだが、やはりとても気持ちのいい作品である。チェットのボーカルとトランペット演奏が最良の形で表現されているものの1つだと思う。名作『チェット・ベイカー・シングス』に比べても、よりメリハリがあってこちらの方が好きだ。チェットのボーカルも楽しげだ。