WATERCOLORS ~非哲学的断章~

ジャズ・ロック・時評・追憶

For lady

2010年04月08日 | 今日の一枚(W-X)

●今日の一枚 251●

Webster Young

For Lady

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 確かにいいジャケットだ。山本隆氏は、このジャケットを「ジャズ史上に燦然と輝く名ジャケット」と評した。それはいくら何でもいいすぎではないかと思うのだが、いいジャケットであることは疑いない。マイルス・デイヴィスに影響を受けたコルネット奏者、ウェブスター・ヤングの1957年録音作品。ビリー・ホリディの愛唱曲を集めた、彼の唯一のリーダー作だ。

 ウェブスター・ヤングが1940~50年代のマイルスの影響を強く受けているのは誰が聴いてもわかる。訥々とした語り口が好ましい。演奏それ自体に感情移入ができ、安心して聴ける。魂を揺さぶられ、啓発を受けるような種類の音楽ではないが、音楽がゆっくりと身体にしみこんでゆき、何だか気分がいい。波長があうのだ。幸せである。

 余談であるが、「幸せってなんだっけ、なんだっけ、ポン酢醤油のあることさ」というのは明石家さんまのCMだった。これは案外、人生の真理(そんなものがあればの話だか)ではないかと思うのだがいかがだろうか。


「ポール・ウィナーズ」

2010年04月07日 | 今日の一枚(A-B)

●今日の一枚 250●

Barney Kessel

The poll Winners Ride Again !

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 私は右翼ではないしシンパシーも感じないのだけれど、若い頃から日本の右翼思想の展開にはなぜか興味があり、折に触れて関連の書物を読んだりしてきた。私の周りにはそういう人はあまり見当たらず、もしかしたらちょっと危ない奴とみられているのではないかと危惧するのだが、単純に日本の右翼思想がよくわからないというのが興味関心の理由だ。

 これまでいくばくかの書物を読み考えた素直な感想は、日本の右翼思想には北一輝と石原莞爾以外には取るにたるものはないのではないかということだ。一年ほど前に読んだ片山杜秀『近代日本の右翼思想』(講談社選書メチエ:2007)は、独自の視点から日本の右翼思想の展開を周到に整理し、次のようにまとめる。

 「今の日本は気に入らないから変えてしまいたいと思い、正しく変える力は天皇に代表される伝統にあると思い、その天皇は今まさにこの国に現前しているのだからじつはすでに立派な美しい国ではないかと思い、それなら変えようなどと余計なことは考えないほうがいいのではないかと思い、考えないなら脳は要らないから見てくれだけ美しくしようと思い、それで様を美しくしても死ぬときは死ぬのだと思い、それならば美しい様の国を守るため潔く死のうと思う。」

 ややチャート式すぎるきらいもないではないが、意外に納得されられるものがあり、私などは結構ストンとおちた。

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 バニー・ケッセル(g)、シェリー・マン(ds)、レイ・ブラウン(b) からなるグループ「ポル・ウィナーズ」の1958年録音作品『ザ・ポル・ウィナーズ・ライド・アゲイン』。いいなあ。こういうの好きだなあ。バンドはよくスウィングし、バニー・ケッセルはブルースフィーリング全開である。いろいろなタイプのジャズを聴いていても、たまにこういうやつが無性に聴きたくなるのは、やはりそこに私のジャズ聴きの原点があるということなのだろうか。深夜ひとりで、ウイスキーグラスを片手に聴きたい一枚である。ジャズ作品の多くはそうなのだが……。


「聖域」

2010年04月06日 | 今日の一枚(A-B)

●今日の一枚 249●

Barney Wilen

Sanctuary

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 先日話題にした原武史『昭和天皇』(岩波新書)という本はなかなかに面白い本だ。天皇や皇室をめぐる問題を、「お濠の外」の政治史からではなく、「お濠の内側」からみようという試みである。そこでは当然、天皇個人の思考や感覚、皇室内部の人間関係と確執、宗教観、側近の動向などが話題となるわけだが、やはり興味をひかれるのはこの書物の叙述の中心である宗教の問題と皇室内部の人間関係についてである。「お濠の内側」とはいわば「聖域」であり、皇室問題に関する言論を自粛しがちなわが国にあっては、実に興味深いテーマである。

 貞明皇后(大正天皇妃)が大正天皇の病状悪化をきっかけに、東京帝国大学教授で法学者の筧克彦が提唱する「神ながらの道」にのめりこみ、皇太后となる昭和期に入ると、神がかりの傾向をつよめていったこと。昭和天皇が貞明皇太后との確執の中で、それに反発しつつも徐々に影響を受け、太平洋戦争を契機に宮中祭祀に異様に熱心になっていくこと。明治天皇・大正天皇も熱心でなかったこの宮中祭祀を、昭和天皇は戦後も熱心に続けたこと。また、昭和天皇が最後まで固執したのは、皇祖神アマテラスから受け継がれてきた「三種の神器」の死守であったこと。貞明皇太后との関係が深かった弟の秩父宮や高松宮と昭和天皇の間には大きな確執があったことなど、興味は尽きない。

 また、原武史氏が別の著書(『松本清張の「遺言」』)で、この大正末期に皇室にうまれたシャーマニズム的世界=宮中祭祀に、昭和天皇妃の淳香皇后や現皇后、さらには秋篠宮妃も熱心であるのに対して、雅子皇太子妃は熱心ではないことに注目し、「皇太子妃の病気が長引いているのは、数々の宮中祭祀に出席し、皇祖皇宗の存在を信じて心から祈らなければならない皇室という環境に適応できないことが原因とも考えられるのです。」と述べていることは傾聴に値する。さらには、かつて昭和天皇に変わって秩父宮(あるいは高松宮)を皇位につけようとする勢力が存在したことと、現在の皇太子と秋篠宮の関係との類似点など重要で示唆に富む指摘も多い。

 なお、原氏は、これまでの「大正天皇」「昭和天皇」などの研究成果をベースに新たな視角から近代全体を俯瞰する新たな天皇制論を立ち上げたいと宣言しており、その構想の公表が待たれる。

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 「聖域」ということで、今日の一枚は、バルネ・ウィランの1991年録音作品『サンクチュアリ』である。晩年のバルネの作品はどれも好きだ。音色に情感がこもり、表現力豊かで、実にいい。テナー&ソプラノサックスとギター、ベースのみという小編成の本作品では、その穏やかで寂しげな情感がより直接的に伝わってくる。「リーカド・ボサ・ノバ」、「マイ・フーリッシュ・ハート」、「ボヘミア・アフター・ダーク」、「グットバイ」といったモダン・ジャズの人気曲も多く収録され、情感豊かな素晴らしい演奏をじっくり聴くことができる。書斎にたったひとりの深夜、ウイスキーを片手に、耳を傾けるには最高の作品だ。

 ところで、「サンクチュアリ」=「聖域」というアルバムタイトルは、どこからきたのだろう。恐らくは、アルバム全体に漂う、密やかで静かな雰囲気からきたのだろうと想像されるが、たまたまジャケット裏をのぞいてみたら、次のようなちょっと卑猥な絵が載っていた。まさか、「サンクチュアリ」とはこのことだったのでは……??

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ラバーズ・コンチェルト

2010年04月05日 | 今日の一枚(S-T)

●今日の一枚 248●

Sarah Vaughn

Best Collection

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 サラ・ヴォーンの『ベスト・コレクション』というCDがここにある。今は次男のものだ。株式会社タスクフォースという会社が発売した廉価盤である。定価は2600円とあるが、もっと安く買ったように思う。カーステレオで聴くために、ずっと以前、CDショップではなく、どこかのホームセンターで買ったもので、その後、次男にあげた。有名曲ばかり集めたもので、ちなみに収録曲は次の通りだ。

   1.煙が目にしみる
   2.マイ・ファニー・ヴァレンタイン
   3.スターダスト
   4.オール・オブ・ミー
   5.セプテンバー・ソング
   6.ミスティー
   7.ラバーズ・コンチェルト
   8.酒とバラの日々
   9.イエスタディ
  10.イパネマの娘
  11.ミッシェル
  12.シャレード
  13.ムーン・リバー
  14.ラブ
  15.いそしぎ
  16.誰かが誰かを愛している

 今春、中学生になる次男が、1年ほど前、何かの学校行事でラバーズ・コンチェルトをリコーダーで演奏することになり、毎日家で練習していたので、「その曲を有名な歌手が歌っているのを聞かせてやろうか」ともちかけ聞かせてやると、「お父さん、このCD、ちょうだい」と、めずらしくおねだり………。廉価盤なのでまあいいかと進呈したところ、その日以来、次男は毎日このCDを聞きはじめた。はじめはラバーズ・コンチェルトだけだったが、そのうち他の曲も繰り返し聴くようになり、私がダビングしてあげた同じくサラ・ヴォーンの『サラ・ヴォーン・ウィズ・クリフォード・ブラウン』やマイルス・デイヴィスの『ワーキン』『カインド・オブ・ブルー』なども聴くようになるなど次男の興味はどんどん深みにはまっていった。小学生がJAZZを聴く光景はちょっと奇妙である。

 ところが、学校で放送委員をつとめる次男はさらにエスカレート、自分が担当する毎週火曜日の昼休みの放送で、なんとJAZZを流しはじめたのだ。ヒット曲やアニメソングを欲する小学生たちに不評で迷惑になりはしないかと心配していたのだが、先日の卒業式の際、複数の先生方から「毎週火曜日の放送で素敵な曲がかかるのを本当に楽しみにしていました」というお話をいただいた。肝心の小学生諸君の感想はさだかでないが、先生方からだけでもそういっていただき、ほっと胸をなでおろしたしだいである。 

 ところで次男であるが、最近はインターネットでYou Tube を自由にあやつり、勝手にいろいろな曲(JAZZ)を探しては聴いている。げに恐ろしきは子どもである。

 


The Artistry of…………?

2010年04月05日 | 今日の一枚(A-B)

●今日の一枚 247●

Buddy Defranco

Autumn Leaves

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 モダンクラリネットの最高峰、Mr.クラリネット、バディ・デフランコの1954年録音作品、『枯葉』である。「verveお宝コレクション」の一枚として発売され、最近購入したものだ。バディ・デフランコは、チャーリー・パーカーらのBe Bop革命をいち早くクラリネットに持ち込んだ人として知られている。スウィング期には花形楽器として君臨したクラリネットも、モダン期以降はサックスやトランペットにその座を奪われ、驚くほど少なくなった。哀愁の音色をもつこの楽器も、展開の速いジャズではマッチしにくいということなのだろうか。実際、ちょっと間違えると、日本人の耳には今は懐かしき「ちんどんや」の演奏に聞こえそうである。しかし、バディ・デフランコは、このアルバムでも哀愁の音色はそのままに、はやい展開のイマジネイティブなアドリブををプレイする。時折聞こえる、この楽器特有の穏やかでどこか寂しげで消え入りそうなヴィブラートが心にしみる。② You Go To My Head は出色だ。私の中では、アート・ペッパーのものに匹敵する演奏だ。アルバムタイトル曲の⑤ Autumn Leaves もいい。哀愁の雰囲気全開である。後半のアドリブ展開もよく歌っている。

 ところで、この作品を購入したのはジャケットが気に入ったからなのだが、よく調べてみると、バディ・デフランコには『枯葉』と題するジャケットの違う作品が存在するようだ。1954年8月9日(ロサンジェルス録音)という録音データや、曲目、参加ミュージシャンなどから恐らくは同じ内容のものだと考えられる。ジャケットには美女が写っている。いいジャケットだ。できれば、こちらの方がよかった。どちらが本物なのだろう。よくみると、購入したもののジャケットには「Autumn Leaves」という表記は見られず、かわりに「The Artistry of Buddy Defranco 」と記されている。それに対して、美女のジャケットの方にははっきりと「Autumn Leaves」とある。もしかして、購入したものはオリジナルジャケットではないのでは……? そんなはずはない、「verveお宝コレクション」の一枚である。一体、とちらがオリジナルなのだろうか。?? 

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チキン・スキン・ミュージック

2010年04月04日 | 今日の一枚(Q-R)

●今日の一枚 246●

Ry Cooder

Chicken Skin Music

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 昨日は、妻の妹の嫁ぎ先の母親のお通夜のため、車で2時間程の宮城県は多賀城まで行き、帰宅したのは10時過ぎであった。今日もこれから、火葬&告別式等に参加しなければならない。今日は丸一日かかりそうだ。浄土真宗の葬儀は、法名も葬儀自体も実に簡素かつシンプルなもので、なるほどと考えさせられることが多く、先日書店で少しだけ立ち読みした宗教学者の島田裕巳の著書『葬式は、要らない』(幻冬社新書)を思い出した。日本人の平均葬儀費用は231万円。で、イギリスの12万円、韓国の37万円と比較して格段に高く、浪費の国アメリカでさえ44万円なのだそうだ。

 ところで、先月の上旬に政治評論家の福岡政行氏の講演会を聞いた。なかなか楽しい講演会だったのだが、その中で福岡氏は今日入った最新情報ということで、来月のはじめ頃、新党が2つ誕生する見通しであると述べ、その1つを与謝野鉄幹・晶子の孫にあたる与謝野馨氏にらよるものだ、と「予言」されたのであるが、マスコミ報道によるとどうもその通りになりそうである。とすると、もうひとつの新党とはどのようなものであろうか。

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 今日の一枚は、ライ・クーダーの1976年作品、『チキン・スキン・ミュージック』だ。駄作の少ないライの作品の中でも傑作といわれることの多いものだ。ライ・クーダーは、ローリング・ストーンズなどのセッションマンとして出発し、「レット・イット・ブリード」や「ジャミング・ウィズ・エドワード」などでその名を知られるようになったミュージシャンであり、カントリー・ミュージックやフォーク・ミュージック、ブルースなどをベースに、そういう民俗音楽的なものに現代的な息吹を与えることに取り組んできた人だ。渋谷陽一氏は、「彼が古い曲を取り上げると、そこには現代的タッチがみられ、同時にオリジナル曲は、今書かれているにもかかわらず、何十年も前から歌い継がれているような感覚がある」(『ロック/ベスト・アルバム・セレクション』新潮文庫)と述べているが、まことに首肯できる見解である。また、細川真平氏などは、CDライナーノーツの中で、山口昌男氏の「中心と周縁」理論を引き合いに出し、ライの音楽を中心と周縁の交じり合いをめざしたものとして評価している。ちょっと考えすぎな「俗物的」発想だなどと思いつつも、まったく見当はずれではなさそうな気もする。

 ライ・クーダーの作品は、若い頃よりも年齢を重ねるごとに、その良さが理解できるようになってくるようだ。歳をとっても、昔の思い出ではなく、今のために聴くことができる数少ないアーティストである。チープなギターのテイストが何ともいえずいい。

 「チキン・スキン」とは、ハワイの言い方で「鳥肌」のことなのだそうだ。「鳥肌の立つ音楽」とでも訳すのだろうか。しかし、私には「鳥肌が立つ」というより、もっとじわじわと身体の細部にゆっくりとしみこんでくる音楽のように思える。

 


ブルースがいっぱい

2010年04月01日 | 今日の一枚(I-J)

●今日の一枚 245●

Johnny Hodges

Blues-a-Plenty

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 すこし前に、原武史『昭和天皇』(岩波新書)という本を読んだのだが、中々面白い本でしばらくぶりに知的な興奮をおぼえた。以来、ここ数週間、日本近代の天皇や皇室の問題を違った角度からもう一度整理しなおしてみたいという欲望にとりつかれ、同じく原武史『大正天皇』(朝日選書)、『松本清張の遺言』(文春新書)、原武史・保坂正康『対論・昭和天皇』、小谷野敦『天皇制批判の常識』(洋泉社y新書)などを立て続けに読み、さらには以前読んだ吉田裕『昭和天皇の終戦史』(岩波新書)、近代日本思想研究会『天皇制論を読む』(講談社現代新書)、ハーバード・ビックス『昭和天皇/上・下』(講談社)、『昭和天皇独白録』(文春文庫)など、主に一般向けの書物を本棚から引っ張り出して次々に再読した。明確な目的意識をもって集中的に本を読むなどしばらくぶりだった。日本近代史の専攻などではない私にとっては、論文やレポートにまとめることなど毛頭念頭になく、ただ自分なりにこの問題を整理してみたいという欲望を満たすためだけの行為である。近代天皇制という政治構造や、それへの肯定や否定を前提としたものではなく、まったく別の視点から考えなおしてみたいという欲望だ。考えるべきことはたくさんあり、頭の中は混乱を極めているが、不思議に爽やかな気分だ。目的を意識を持つことによる、自分が無為に生きているのではないという感覚がそうさせるのだろうか。

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 今日の一枚は、スイング系ジャズのアルトサックス奏者、ジョニー・ホッジスの1958年録音作品、『ブルース・ア・プレンティー』だ。これも最近、「verveお宝コレクション」からジャケットが気に入って購入したもののひとつである。

 一聴、いいなあ、と思う。① Don't Know About You から哀愁のムード全開だ。全編にわたって、のびやかで優しさに満ちたサックスの音色に加え、やや大袈裟なビブラートを多用した、歌心溢れるフレージングが何とも好ましい。こういうアルバムは、20代の頃に聴いていたら、古いスイング系の退屈なアルバムとして片付けていたかも知れない。けれども今は、こうした情感豊かなプレイが心のひだに沁みてくる。自分から進んでスイング系のものを買うことはなかっただろうが、お洒落で美しいジャケットが私をこのアルバムに引き合わせてくれた。ジャケ買いの効用のひとつである。