王様の耳はロバの耳

横浜在住の偏屈爺が世の出来事、時折の事件、日々の話、読書や映画等に感想をもらし心の憂さを晴らす場所です

靖国神社自主解散 麻生案

2006-08-10 07:11:17 | 靖国関連
麻生外相が靖国改革で見解、自主解散し特殊法人に (読売新聞) - goo ニュース

読売の報道によれば外務大臣麻生氏が靖国改革について見解を発表した:
以下は抜粋
9月の自民党総裁選に出馬する意向を示している麻生外相は8日の閣議後の記者会見で、靖国神社の改革に関する見解を発表した。
 同神社が自主的に宗教法人を解散した上で、国が関与する特殊法人に移行することが柱だ。無宗教の国立追悼施設とすることで、憲法の政教分離原則に抵触しない形態とし、天皇や首相が参拝しやすい環境を整えるのが狙いだ。
 見解は、「靖国神社の代替施設はあり得ない」とした上で、「靖国神社を可能な限り政治から遠ざけ、静ひつな祈りの場所として、未来永劫(えいごう)たもっていく」ことが必要だと強調した。 引用終わり

麻生氏は朝日新聞8日「私の視点」欄に外相 麻生太郎で 「靖国問題 非宗教法人化こそ解決の道」と題して同様の趣旨(当然だけど)を述べている

 靖国神社国神社の非宗教法人化は、自民党の古賀誠・元幹事長、中川政調会長らも提唱している。麻生氏は、小泉首相や安倍官房長官の靖国参拝の是非が注目を集める中で、見解を明示することで、議論をリードしたい考えだ(読売の解説)

重複を避け朝日の投稿で補足すると
1:宗教法人靖国神社は全国52の護国神社と共に任意解散 非宗教法人移行する
2:最終的には特別立法で「国立追悼施設靖国社」とする
3:祭式は宗教的なものでなく伝統的なものとする
4:この過程で慰霊対象者をどうするのかの点につき合意を得る 又この過程で52の護国神社は靖国の支部として保全 敷設の遊就館は行政府に移管する
5:財政基盤の確立は国が責任を持つ
6:(靖国神社の)崇敬奉賛会は新靖国社の支持母体として存続
7:財団法人日本遺族会は公益財団法人とする
ここまで整えて初めて、晴れて天皇陛下を靖国へお招きできる 英霊は安堵の息をつくことができる 云々

麻生案は国権による靖国神社の解散を想定していないから靖国側が(麻生案に)納得して阿吽の呼吸で自主解散しないと成り立たない 従って麻生案は宗教法人を止めればこれだけの国家護持しますよといっている訳で爺の様な靖国史観(自衛戦争の強調・極東裁判否定)とご都合主義(戦後非戦死者の受け入れ)に反感を持つ者から見ると宗教法人から国の省庁への看板の架け替えにしか見えない

早速9日靖国神社前宮司湯浅氏から 靖国神社の非宗教法人化案についてうかつには乗れない あわせ古賀氏のA級戦犯分祀論には教義上受け入れられないとの反論があった

第一ラウンドの開始という事である
麻生氏の真意が何処にあるのか目下不明だが「公約は生きている」から8月15日に参拝を強行しそうな小泉総理より上であろうか

靖国参拝は日本人の「大東亜戦争」をどう受け止めるかの根幹の問題である 総裁候補に限らず与野党幹部は立場を明らかにして大いに議論して欲しい


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靖国の季節 その2

2006-08-08 08:40:50 | 靖国関連
今朝は5時頃から大雨 雷も鳴る 7時にTV朝ズバを点けると自民党世攻氏と民主党川村氏がゲストで出ている なんの話の続きか川村氏が「原爆を落としたくせに何が極東裁判か」と怒っていた 川村氏にしてこの極東裁判感は興味深い

さて昨晩はたけしのTVタックルを又見てしまった 前段は靖国参拝が主題で米カ露中韓の外人ゲストと三宅・勝谷・青山の日本人ゲスト 

極東裁判受け入れの是非、総理の参拝、A級戦犯などについて話は広がるが大声で叫びあうだけで論点がかみ合わない 

しかしついに出た 爺が6日言及した様に東条大将の孫娘 東条由布子さんが靖国神社を背景にインタビューに答えた 「(東条大将は)全ての責任者であり責任は追う それは中韓が言う事でない」「(当時の行為は)国際法違反ではない A級戦犯は犯罪人ではない」「自衛戦争であって侵略戦争でない」「(東条が靖国から出る事で)216万人が侵略の汚名を着る事が許せない、耐えられない」と 更に富田メモについて「天皇様は東条の身を気遣ってくださった メモの様な内容の人格でない 信じられない」「分祀は教義上できない」と100%靖国側の主張をしていた

これでは朝日らしくないと思っていると小泉総理が折々に国会で答弁する画像をカットする
「いわゆる東京裁判ですが裁判を受諾する」「A級戦犯は犯罪人である」であると

この後 最近の靖国本殿が写る 色とりどりのTシャツ、サンダル履き等 カジュアルと言えばそうだがそういう方は外域で参拝 本殿はノースリーブ、サンダル禁止の様な規制は出来ないだろうな?

最後にたけしがA級裁判分祀ですむのかと締めくくった

今朝の朝日新聞には麻生外務大臣の「非宗教法人化」との見解が載った
いよいよ暑い夏模様である

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靖国の季節

2006-08-06 13:29:41 | 靖国関連
核保有国に交渉訴え 平和記念式典で広島市長 (共同通信) - goo ニュース

今朝は野暮用でバタバタしていて広島の原爆の日のニュースをちらと見た後 次にTVの日曜討論を見ると最後の5分ほど どこやら大学の所教授(この人は靖国神社総代のはず)と東京大学の姜尚中教授 靖国問題と中韓の関係をどうなんてやっていたのだな これに小説家上坂冬子、T条大将の孫娘(と言っても60歳以上)が出ると靖国の季節だ

10時からサンデープロジェクト 自民党の政調会長中川秀直氏がゲスト 爺はこの人は幹事長の時奥様以外の女性を部屋に入れピースかなんかしてる所をフォーカスされ短期で辞任したので余りよい印象を持っていなかったがここ1年位言うところを聞くと中々しっかりしている 甘いものも辛いのもいける器用な方なのであろうか?

冒頭広島原爆被害者に対する黙祷で始まった
靖国参拝に関して中川氏は「大東亜戦争を自存自衛のための戦争であるとかA級戦犯は濡れ衣である」とする様な所謂「靖国史観」は政府の見解とは異なる 政府は東京裁判を受け入れA級戦犯を認識してこの戦争は近隣諸国に多大な迷惑を掛けたと認識している
小泉総理も同じ認識である」そうだ

それでも小泉総理は「戦争で尊い命を国に捧げた方々に哀悼と感謝の誠を捧げる為靖国神社を参拝する」のだそうである

それなら何故靖国神社でなければならないのであろうか??
隣接する千鳥が淵の戦没者墓苑に陸海空三軍より儀仗兵を選抜し威儀を正してお参りをすれば良いのに 靖国に眠る戦没者の霊には「力なくて靖国神社の政治主張を正す事が出来ないので墓苑で感謝を捧げる」と心で念じれば思いは通じると思う
それをしないのは靖国でなければならない裏の理由が無いのか?

そうでなければ元民主党の西村慎吾氏の様に「次回の戦争の際は必ず勝つから」と靖国神社にお参りすると発言している方が分り易い

前週の遺族会会長古賀氏の発言ともあわせ「宗教法人の(自主)取りやめ」「A級分祀」「無宗教となった施設の国家護持」の方向に向うかもと示唆 昭和49年頃までの靖国神社国家護持運動に触れていた あの頃は遺族会は一大政治団体で会推薦の参議院議員を1名当選させる程の実力があった
戦後はや61年が経っている 古賀氏が文芸春秋8月号で語る公務扶助料が6400億円 編集長の辛口時評のK氏によれば(昨年の記事で)旧軍人軍属の本人及び遺族124万人に1兆円と232億円とある 
国税実収が50兆円として1兆円は2%である 124万人という大人数に対し金銭扶助する事を戦後61年経って(と言う事は2世代が終わり第三世代に入る)いるのであるからいい加減打ち切られないと可笑しくないか この当りの検証をする必要がある
国家による靖国護持の迂回融資を残したまま無宗教を装い国家護持する事等は止めてもらいたい物である

平和記念式の市長の挨拶は政治色の強いものであったがくたびれた顔して列席していた小泉総理を非難するものはいない 犠牲者の慰霊に重心があるのだから

共同通信:
広島は6日、人類史上初の原爆投下から61年となる原爆の日を迎えた。広島市中区・平和記念公園では「原爆死没者慰霊式・平和祈念式」(平和記念式典)が営まれ、被爆者や遺族ら約4万5000人が出席。秋葉忠利市長は平和宣言で、核保有国に対し核軍縮に向けた「誠実な交渉義務」を果たすよう訴えた
引用終わり
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靖国参拝と極東軍事裁判

2006-08-05 06:11:01 | 靖国関連
4月15日に安倍官房長官が靖国神社をお参りした事実 8月15日に小泉総理が靖国神社を参拝するのでないかとの観測 いよいよ季節も政治も熱い夏になってきた

さて8月1日に書き込めなかった極東国際軍事裁判の話です 難しい話は抜きにして極東裁判とか東京裁判と呼ばれる物の話です

極東裁判は開かれたのですがそれが「そもそも違法であるとか無効であるとか」はかなり長い事叫ばれています

極東裁判はポツダム宣言の受諾を受けて戦勝国による敗戦国の戦争犯罪人の(国際的)裁きの場です その結果を捉えて桜井よしこさんや自民党の稲田さんが強調するように極東裁判そのものが違法で「極東裁判は罪刑法定主義や不遡及の原則に反するとかサンフランシスコ(講和・平和)条約の題11条の解釈がとか最近ではjudemenntsの解釈に疑義とか発言するのは何だかなーと爺は思うのです
まづ初めに法曹家がその様な主張をする場は有るかも知れません 法理論としてその様な考え方があると思えば国際法廷で議論するやり方があるでしょう 或いは学術論として専門家の間で検証してゆくのも良いでしょう

しかし 現実的に見ればそれは喧嘩過ぎての棒千切りの様な物です
また近代法で言えばとの前口上を黄門様の印籠の様に使いますが、その頃の王様は彼の命令一下数万人から十数万人の兵隊が動員されていた頃の話であり「不遡及とか一事不再理」は彼の臣下や臣民が王様により過度の不都合に合わない様に考え出された法理であります 王に代わって国策を誤り2千数百万人の命を奪った者達には別の法理論が必要でありましょう

話を進める為、その法律が有効か無効かを抜きにして大東亜戦争を考えたときに日本だけで前線銃後330万人+の戦死者海外に1500万人~2000万人以上の戦死者を出した戦争が日本国民により道義的・文化的・宗教的・哲学的・歴史的或いは政治的に検討されその責任の所在を追及し、意思決定上の欠点を発見しその不具合を直すべく努力する必要があろう その検証は日本国内の問題であり日本人の今日にもつながる問題なのである 

それ故極東裁判の法律論はそのものが視野狭窄であるし総合的な考察にかける

次にA級戦犯についてです
GHQにより作成されたA級戦犯容疑者は110名に及びました
極東軍事裁判にかけられたものは28名です その内3名は訴追免除と病死をしていますのでA級戦犯の判決を受けた者は25名です
中でも以下の14名は最終的に靖国神社に祀られましたので俗に言うA級戦犯として通っています
1)死刑判決により絞首刑
東條英機 板垣征四郎 木村兵太郎 土肥原賢二 松井石根 武藤章 広田弘毅
2)終身刑により服役中に獄中で死亡
梅津美治郎 小磯国昭 平沼騏一郎 白鳥敏夫
3)禁固20年により服役中に獄中で死亡
東郷茂徳
4)その他、判決前に病のため病院にて死亡
永野修身 松岡洋右

この14名を巡って戦犯釈放に沿って無罪なのかあいまいな解釈で有罪なのかその他の法律論争があります
昭和27年(1952年)4月サンフランシスコ講和条約の発効により日本は敗戦による外国軍の占領状態から独立国に戻りました 国民は独立平和とはしゃぎたて(新聞に煽られ)ました 学校でも爺は米軍は進駐軍から駐留軍と呼び名が変わるなんて教えられた事が頭に隅に残っています

この機を捉え講和発効時で1224名(英霊に答える会-靖国資料では1860名)の戦犯釈放運動が起き国会では戦犯の釈放要求決議がなされます 昭和27年から30年に亘って述べ4000万人の「戦犯釈放要求」署名が集まる国民運動になっています 国会では衆議院議員社会党右派の堤ハルヨ氏の様に「戦犯の遺族は国家の補償も受けられないでいる。しかも、その英霊は國神社の中にさえも入れてもらえない!」と熱弁を振るい先頭に立ち活動された方々がいました
この間をウィキペディアからコピペすると:
昭和27年(1952年)6月9日「戦犯在所者の釈放等に関する決議」、1952年12月9日「戦争犯罪による受刑者の釈放等に関する決議」、1953年8月3日「戦争犯罪による受刑者の赦免に関する決議」が可決された。そして「恩給改正法」では受刑者本人の恩給支給期間に拘禁期間を通算すると規定され、1955年には「戦争受刑者の即時釈放要請に関する決議」がされた。そして国際的にも、サンフランシスコ講和条約第11条の手続きにもとづき関係11ヶ国の同意を得て、A級戦犯は1956年に釈放された。(ウィキペディア)BC級戦犯の釈放は1958年になり釈放された(爺の追加)

ウィキペディアですから中立的に事実を書き連ねますが講和発効からA級戦犯釈放まで5年BC級戦犯釈放まで7年掛かっている つまりその間日本が決議しようと署名が何枚集まろうと米英国は戦犯の釈放に賛成しなかったのである

この間戦犯の遺族に対し遺族年金給付のため戦犯は「日本国内では犯罪人でない」との解釈基準が出来ます さらに戦死者の範囲の拡大や死刑死を公務死と呼んだりします 釈放が認められぬのにこの突出振り? 

国内では講和だ独立だと熱気に浮かされ「戦勝国による犯罪人は国内では無罪」との扱いとサンフランシクコ条約11条により1956年迄に戦犯全員が「釈放された」事で戦犯に戦争責任が無くなったのであろうか? 無くなった/いや責任ありとする人の間で極東裁判同様の論議がある

日本の国内の決議は一方的だし戦勝国も釈放に反対であれば何故釈放に際して戦犯の扱いに条件を付けなかったのであろうか

このあたりを法律論でなく戦後の東西冷戦構造の絡みで読み解いてみたい

昭和20年(1945年)8月日本の敗戦の後、それまで連合国であった米国とソ連の覇権争いは激しく欧州ではドイツ、アジアでは朝鮮半島、中国本土、そしてインドシナでつばぜり合い 銃を撃たないだけの戦いから米ソの冷戦と呼ばれた
日本もその例外でない 日本の分割占領に失敗したソ連は政治的占領を狙いデレビアンコ中将指揮下500名以上の要員を日本に送り込んできた 彼の部下イワン・コワレンコはシベリア抑留者の内20万人は洗脳し帰国後は日本共産党に入党させ親ソ化の尖兵とすると豪語した 戦後の労働争議、ゼネスト騒動はこの延長上に有る

昭和25年6月朝鮮戦争勃発 昭和28年7月停戦
戦後の不景気に喘いでいた日本は米軍の後方基地としての機能を果たす事で経済的に大いに潤い朝鮮特需等と呼ばれた
又米国の戦後の対日政策は当初リベラル色の強い面が見られたがソ連工作の進捗、朝鮮戦争により急速に右傾化する
昭和25年8月警察予備隊の発足 これは朝鮮へ出動する米軍の空白を埋めるべく治安部隊の創設で後日の自衛隊になる 昭和26年9月旧日米安保条約締結 アジアにおける反共防波堤として日本国の独立の為 昭和27年4月サンフランシスコ条約発効 日本を含む49カ国により署名された ソ連・ポーランド・チェコは参加したが署名しなかった
連合国対日理事会は解散 デレビアンコ中将以下のソ連要員の引き上げ 
この間吉田総理に対する南原東大総長の「全面講和論」対する総理の「曲学阿世」との痛罵
戦後の政治的日本の立場を理解できない者達に対する怒りの言葉である

日本独立と共にソ連の政略は社会党・共産党をして議会内で議席を獲得する闘争に切り替えられた 堤ハルヨ氏の真意がどこにあるか分らぬが国会議員としての議席を守る事は与野党緊急の課題であった
講和条約締結を以て吉田総理は引退するがその後の鳩山氏は「米国に対する防衛分担金の削減」を選挙公約にしてみたり「日ソ国交回復」で米国と日本の関係において一致して守るべき線を持っていなかった ために河野一郎の暴走を許し北方4島の一括返還に失敗し「ソ連と平和条約を結べず」失意の内に総理の座を降りた

連合国がA級戦犯釈放に応じたのはこの年である
話が長くなったのでここで終わる この後55年体制ができる
おサルの電車はおサルが運転しているのでなく柱の影で電気のスイッチを入れたり切ったりしているおじさんが運転しているのである この仕組みが分ると(子供の頃の)爺は視野が広くなった


参考
アメリカ下院は現在も「極東国際軍事裁判の決定、及び“人道に対する罪”を犯した個人に対して言い渡された有罪判決は有効」との立場を取っている(2005年7月14日決議)
あとがき:
突っ込みが足りない気がします TBあるいはコメントに触発され助けられ補強して行きます
  
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TVタックル 「昭和天皇のA級合祀不快感」メモ

2006-08-01 08:51:58 | 靖国関連
昨日の夜 たけしのTVタックル 「昭和天皇のメモで大紛糾 A級戦犯分祀論VS中韓の思惑!!」が有ったので見たいと思っていたが仕事の都合の途中から見る事となった 幸い昭和天皇のメモの論争には間に合ったようだ

TVなので次々に画像と会話が流れるので印象に残った事を中心に書いてみたい
番組の最後にたけしが「靖国神社を小学校や子供の遠足で行けるような場所にする事が大切だ そこで平和や兵隊さんの事を知る場所に」と締めくくっていたのは流石だ

話題からして右派の錚々たる顔ぶれが揃っていたが中でも浜幸の発言は驚いた
「昭和天皇は大東亜戦争を裁可されたのであるからその命に従って戦争に行き天皇陛下の為に命を捧げた人々の眠る靖国神社をお参りされない理由は何か」と剛速球を投げる

これについては民社党の原口・長島議員から反論がでる
「明治憲法下で天皇は内閣の奏上を拒否されないので責任は無い」と、これにはコラムニスト勝田が賛成する 

浜幸の真意は分からぬが「米国の謀略によって挑発され戦争をハワイに仕掛けた日本と敗戦により象徴天皇になった天皇制を廃止し大統領制にしようする者(米国?の)陰謀」との奇説を披露し福岡教授に脱線を止められた

天皇戦争責任論は戦後ソ連共産党の指嗾に乗った日本共産党・社会党の汚点である 戦後のメーデーに「朕は鱈腹食っている汝ら人民飢えて死ね」とのプラカードが出たり火炎瓶闘争が行われたのはその一例である

国民の心の錘である天皇を国民から切り離せば国民バラバラになり共産主義社会が現出し易くなるとの戦略はその後も手を変え品を変えて繰り返されその残渣があちこちに残る

爺の見解では「昭和天皇は明治憲法下でも無答責(政治責任は負わない)なのです その責任は輔弼の臣(主に国務大臣その他閣外の重臣)にあります 特に軍の統帥権を盾に取り天皇のお名前を騙り軍を動かし他国に侵入しついには米国の参戦を呼んだ責任は軍人に有るのです」「戦時中戦争指導を行ったとか早期終戦を退けた等を挙げて責任を問う意見もあります しかしこれが本当であったとして一部は権限の範囲内の問題であろうし、判断が間違えであればまさに輔弼の臣が十分に機能していれば有り得ない話であります」「それでも責任を問う方に答えたい 最後は陸海軍首脳の反対を抑えてポツム宣言を受諾 戦争を終わらせ 300万将兵をして一斉に武器を置かせた事は昭和天皇の威光であります」仮に功罪を考えるなら十分に功が罪を上回っていると考えます

さて討論はA級戦犯の分祀に触れます
古賀氏が中国で「A級戦犯分祀論」を述べた件はスタジオ外参加の自民党稲田により「中国に賛同を絵に行くなんて 有り得ない」と切って捨てられます

山拓が「国立追悼施設を建設」との動きに福岡教授もいやしいと拒否

話は極東裁判にも触れます
稲田はサンフランシスコ条約11条は戦犯の「国内における釈放と手続きを決めたもので極東裁判を受けう入れたと日本に不利なように理解するか分からない」と極東裁判否定論をぶちます

ここから極東軍事裁判を認める派と認めない派に別れ「谷垣と安倍」の靖国参拝の有無を論評する

この後自民党枡添が「政治家は結果責任であるから(極東裁判の結果に関わらず)東条他の罪はあろう」と物凄く納得行く意見を述べた
東条英機の評価も分かれるが福岡先生の「生きて虜囚の辱めをーーの戦陣訓を作ったのは彼だ」勝田「A級戦犯を一括りするのでなく」「日本人が戦争責任を評価する」両者「どうすれば天皇・首相が問題なくお参りできるのか」と本音は分からないが靖国神社のあるべき方向はうっすら見えた

爺が不思議に思っている事が一つある
富田メモが世に出た事について評論家三宅は「不忠の臣」等と叫ぶび「墓場まで持って行くべき云々」とまで語る 欧米では著名の政治家は「回想録」を書くし中国で要人は「正史に名を残す事を意識し発言する」

天皇は違うと強弁するよりある年限を経たら「専門機関」により検証され発表されたら歴史上の出来事を時系列で並べるだけ(日本人の得意)でなく歴史上の変換点その機微を知る手がかり(日本人に欠落している)になろう
終戦直後日本軍は丸秘資料はじめ大量の資料を焼却破砕したが資料を隠すという発想は官僚の遺伝子そのものである

極東軍事裁判については長くなるので後日(8月5日)述べたい
靖国神社の有り方についてはこのエントリー



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