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横浜在住の偏屈爺が世の出来事、時折の事件、日々の話、読書や映画等に感想をもらし心の憂さを晴らす場所です

大島渚さん 逝去!

2013-01-17 18:33:39 | 芸能
大島渚さん死去=映画監督、タブーに挑み続け―「戦場のメリークリスマス」など(時事通信) - goo ニュース

世界的な映画監督で知られた大島渚氏が15日肺炎で逝去されたそうです。 80歳だそうです。死因は肺炎だそうですから体力低下での志望だったのでしょう。
浜爺の若い頃は「ヌーベルバーグの旗手」何て呼ばれていた事と、女優の小山明子さんと結婚しておしどり夫婦なんて言われていた事を思い出しました。
でも大島監督の映画に感動した記憶が有りません。感性が違うのでしょうね。

「戦場のメリーXマス」も大島監督の作品だったそうですが余りピンとこない作品でした。それよりも96年脳出血でで倒れ大変なリハビリで回復された話が印象に残っています。単純な引き算で63歳ですから結構若い年での若年性の脳出血ですよね。結構不摂生の結果でないかと思いますがはてどうだったのでしょう?

3年もかけたリハビリの後、また多発性脳梗塞やその他で再度倒れてしまった様です。十二指腸潰瘍とか聞きましたけどこれは郷土のストレスかななんて思ったことが有りました。
男の寿命80歳 もうちょっと長生きして欲しかった思いが有ります。
謹んでご冥福をお祈りします。


写真:大島監督


時事通信:
「青春残酷物語」「愛のコリーダ」など、社会のタブーや人間の深層に迫る作品を発表し、世界的な映画監督として知られた大島渚(おおしま・なぎさ)さんが15日午後3時25分、肺炎のため神奈川県藤沢市の病院で死去した。80歳だった。京都市出身。葬儀の日程は未定。喪主は妻で女優の小山明子(こやま・あきこ、本名大島明子=おおしま・あきこ)さん。

 京大法学部卒業後、松竹入社。1959年「愛と希望の街」(原題「鳩を売る少年」)で監督デビュー。日米安保闘争で揺れる60年に「青春残酷物語」「太陽の墓場」を発表。予定調和に陥らない物語や斬新な演出が評判となり、「松竹ヌーベルバーグ(新しい波)の旗手」と評された。

 しかし、学生運動を描いた次作の「日本の夜と霧」が公開4日目で上映中止となったことから松竹を退社。その後、独立プロダクションの創造社を立ち上げ、「飼育」「白昼の通り魔」「絞死刑」「少年」「儀式」など、日本社会が抱える闇にメスを入れた問題作を次々と発表した。

 70年代半ばからは海外との合作にも乗り出し、76年にはフランスとの合作で「愛のコリーダ」を発表。阿部定事件を素材に、ハードコアポルノとして完成した作品は、シカゴ映画祭特別賞、英国映画協会賞を受賞するなど、高く評価された。一方でスチール写真と脚本が掲載された単行本がわいせつ文書とされ、大島監督も起訴(その後無罪確定)されるなど、スキャンダラスな話題も呼んだ。

 その後も「愛の亡霊」「戦場のメリークリスマス」「マックス、モン・アムール」などの合作映画を精力的に製作。「愛の亡霊」はカンヌ国際映画祭で監督賞を受賞し、日本を代表する国際的な映画監督としての地位を揺るぎないものにした。 
(引用終わり)

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