所愛妻、涙 亡くなる直前まで「芳子、芳子」…大鵬さん死去(スポーツ報知) - goo ニュース
大鵬関は強かったですね!!
強い人は「憎らしいほど強いのですね」もう少し前の初代若乃花も憎らしいほど強かったですね。
大鵬は柏戸と両横綱を張ってましたが柏戸よりずーっと強かったのを思い出しました。
横綱在位中の業績を認められ一代限りの大鵬部屋の創設を認められました。
残念ながら36歳で脳梗塞になり半身に麻痺が残ってしまいました。
小部屋と大鵬関の体調もあってか大物力士が出た記憶がありません。
大鵬の各界引退で部屋は大嶽部屋に変わりましたが親方のとばく事件でごたごたがあり出身の二所ノが関部屋に吸収されて終わりましたね。
その二所ノ関部屋も一時閉鎖とか。
娘さんの子(孫)が角界を目指すとか格闘技デビューとか言われています。
お爺さんの血を引いていたら強くなりそうです。
頑張ってください。
写真:大鵬夫人 礼子さん
スポーツ報知:
大相撲で史上最多の優勝32回を誇る第48代横綱・大鵬の納谷幸喜さん(享年72歳)の遺体は20日、東京・江東区の大嶽部屋稽古場に安置され、静かに眠る横で21日から稽古が再開されることになった。妻・芳子さん(65)は大鵬さんの死去後初めて口を開き「厳しい中にも情があり、優しい人だった」と悲しんだ。既に相撲を始めている幸林(たかもり)くん(埼玉・大宮西中3年)ら3人の孫は今後、角界に入門の意向という。通夜は30日、告別式は31日に東京都青山葬儀所で営まれる。
日本中に愛された昭和の大横綱が死去してから一夜明け、妻の芳子さんが愛する夫へ初めて口を開いた。「全部に感謝したい。本当に厳しかった分、情があって、優しい人だった」と語った。
芳子さんの実家は秋田県の老舗旅館。大鵬さんが巡業で一目ぼれし、67年5月に結婚した。10年後の77年、大鵬さんは36歳で脳梗塞に倒れた。介護の励みは夫の深い愛情。亡くなる直前まで電話で、病床で「芳子、芳子」と連呼していた。「大変だったけど、うれしかった」と大粒の涙を流した。
最後の会話は亡くなった19日の午前8時頃。「おはよう。元気か。お久しぶりです」と電話が来た。すると返す間もなく「いいから早く来て」と言われ、駆けつけた時には意識はなかった。「(意識がある中で)最後に抱きしめたかった」と心残りも明かした。
遺志は3人の孫が受け継ぐ。三女の美絵子さんは元関脇・貴闘力の鎌苅忠茂さんとの間に4男をもうけたが、次男・幸林くん、三男・幸之介くん(埼玉・大宮西中1年)=ともに埼玉栄中相撲部で稽古=、四男・幸成くん(東京・有馬小5年)の3人が将来角界を志すという。
芳子さんは孫の秘話も明かした。08年、東京・有馬小の開校135周年記念誌で、当時5年の幸林くんは「将来三十二回の記録をぬりかえて、おじいちゃんより強い相撲取りになりたい」と書いた。芳子さんは「期待しています」と孫が国技館に立つ姿を想像していた。
(引用終わり)
大鵬関は強かったですね!!
強い人は「憎らしいほど強いのですね」もう少し前の初代若乃花も憎らしいほど強かったですね。
大鵬は柏戸と両横綱を張ってましたが柏戸よりずーっと強かったのを思い出しました。
横綱在位中の業績を認められ一代限りの大鵬部屋の創設を認められました。
残念ながら36歳で脳梗塞になり半身に麻痺が残ってしまいました。
小部屋と大鵬関の体調もあってか大物力士が出た記憶がありません。
大鵬の各界引退で部屋は大嶽部屋に変わりましたが親方のとばく事件でごたごたがあり出身の二所ノが関部屋に吸収されて終わりましたね。
その二所ノ関部屋も一時閉鎖とか。
娘さんの子(孫)が角界を目指すとか格闘技デビューとか言われています。
お爺さんの血を引いていたら強くなりそうです。
頑張ってください。
写真:大鵬夫人 礼子さん
スポーツ報知:
大相撲で史上最多の優勝32回を誇る第48代横綱・大鵬の納谷幸喜さん(享年72歳)の遺体は20日、東京・江東区の大嶽部屋稽古場に安置され、静かに眠る横で21日から稽古が再開されることになった。妻・芳子さん(65)は大鵬さんの死去後初めて口を開き「厳しい中にも情があり、優しい人だった」と悲しんだ。既に相撲を始めている幸林(たかもり)くん(埼玉・大宮西中3年)ら3人の孫は今後、角界に入門の意向という。通夜は30日、告別式は31日に東京都青山葬儀所で営まれる。
日本中に愛された昭和の大横綱が死去してから一夜明け、妻の芳子さんが愛する夫へ初めて口を開いた。「全部に感謝したい。本当に厳しかった分、情があって、優しい人だった」と語った。
芳子さんの実家は秋田県の老舗旅館。大鵬さんが巡業で一目ぼれし、67年5月に結婚した。10年後の77年、大鵬さんは36歳で脳梗塞に倒れた。介護の励みは夫の深い愛情。亡くなる直前まで電話で、病床で「芳子、芳子」と連呼していた。「大変だったけど、うれしかった」と大粒の涙を流した。
最後の会話は亡くなった19日の午前8時頃。「おはよう。元気か。お久しぶりです」と電話が来た。すると返す間もなく「いいから早く来て」と言われ、駆けつけた時には意識はなかった。「(意識がある中で)最後に抱きしめたかった」と心残りも明かした。
遺志は3人の孫が受け継ぐ。三女の美絵子さんは元関脇・貴闘力の鎌苅忠茂さんとの間に4男をもうけたが、次男・幸林くん、三男・幸之介くん(埼玉・大宮西中1年)=ともに埼玉栄中相撲部で稽古=、四男・幸成くん(東京・有馬小5年)の3人が将来角界を志すという。
芳子さんは孫の秘話も明かした。08年、東京・有馬小の開校135周年記念誌で、当時5年の幸林くんは「将来三十二回の記録をぬりかえて、おじいちゃんより強い相撲取りになりたい」と書いた。芳子さんは「期待しています」と孫が国技館に立つ姿を想像していた。
(引用終わり)