今朝も「ちむどんどん」のあと、「羽鳥慎一モーニングショー」にチャンネルを切り替えたら、山上容疑者の犯行に至る心理を述べたと思われるツイッターの分析や今朝は元統一協会に支援された「参院選」に当選した代議士の名前と映像までが流れました。この方は安倍元首相が殺害された直後からネットでは名前が挙がっていました。参院議員 井上義行氏で月初の参院選出陣式?みたいな場で、「元統一゚協会の信者になった」と紹介されていましたし、安倍元首相他関係団体の役員とか大勢壇上で紹介されていました。そして井上氏は第1次安倍内閣の時、首相主席秘書官だったことも紹介されていました。この日のゲストは現立民党の有田芳生議員で「オウム真理教の騒動の頃」随分と見た懐かしい顔でした。さて、元統一教会の霊感商法や献金活動で多額の金が集められているのは、連日のマスコミの報道で知られている所ですが、ここ10数年で1200億円もの金が宗教家都通の名前で集められているのは問題です。
TVもマスコミの多くも「霊感商法は悪い」が「安倍元総理殺害はもっと悪い」としています。原理原則はその通りでしょう!!
昔、田中元首相が全盛を極め「首相で無いのに首相以上の力を持ち日本政治を動かした」結果、米国筋が「グレーは駄目! クリーン三木だ!」として三木元首相に替わったとの変化が有りました。最近の週刊Pの見出し広告には「安倍元本首相の祖父岸信介、父安倍晋太郎氏の統一教会との早い時期からの接触につき触れています。ここで問題なのは「票になるなら誰とでも何とでも手を結んで構わないのか?」という「1票の民主主義政治の根幹をどう考えるか!」本質の問題になります。日本のマスコミも本家のアメリカさえも「トランプ前大統領が”1人1票は民主主義の原則だ”とし、民主党のバイデン候補らによる2020年大統領選の不正投票の数々は自らの共和党の州知事による裏切りなども有り、クレージーなトランプ元大統領として議会襲撃の主犯に仕立てられ2期目の大統領を逃しました」がこの争いもまもなく中間選挙が本格化し、正しい選挙がどう行われるか試されます。
日本の政治が海外勢力の活動で歪められるとすれば「真の保守たる日本の公安部局が、しっかりしなければいけないの」ですが、そこまで骨抜きになってしまっているのですかね? 皆本当の事に触れると恐ろしいのでd触れない様に見えます。ジャーナリストとして真実に迫る人、組織或いは小グループはいなくなってしまったのでしょうか? ないが本当に悪いのかも触れてない様見の見えます!! もう少し、時間が必要なのかもしれません。
写真:山上徹也容疑者(10日、奈良市で) 【読売新聞社】
読売新聞オンライン:
安倍晋三・元首相(67)に対する銃撃事件で、逮捕された山上徹也容疑者(41)が、ツイッターで宗教団体「世界平和統一家庭連合(旧統一教会)」を批判する投稿をしていたことがわかった。初投稿は約3年前で、以前から同連合に恨みを持っていたことが改めて浮かんだ。その一方で、「母を信じたかった」など肉親への複雑な思いものぞかせていた。
山上容疑者は事件の直前、岡山市内から、安倍氏の殺害を示唆する手紙を松江市のルポライター、米本和広氏(71)に送っていた。手紙には、同容疑者のツイッターアカウントも記されており、奈良県警は17日、この手紙を押収した。
ツイッターの初投稿は2019年10月13日。同月上旬には、同連合トップが参加した集会が愛知県で開かれていた。山上容疑者は県警の調べに、「トップを火炎瓶を使って襲おうとしたが、近づけなかった」と供述しており、襲撃に失敗した直後に始めた可能性がある。
投稿は、「何十年も前から社会問題化していた」などと同連合への恨みのほか、自身の生い立ちや家族に関するものも目立った。特に母親への言及が目立ち、「オレは努力した。母の為に」「母を信じたかった」との投稿もあった。
その一方で、「(母親は)言葉では心配している、涙も見せる、だが現実にはどこまでも無関心」と突き放すような記述も見られた。
安倍氏については、敵視したり、殺害を示唆したりする書き込みはなかった。「安倍政権の功を認識できないのは致命的な歪ゆがみ」など、むしろ安倍政権を一定評価するものが多かった。
山上容疑者は調べに「(同連合と)安倍氏はつながりがあると思った」と供述している。しかし、ツイッターでは「安倍政権に言いたい事もあろうが、統一教会と同視するのはさすがに非礼である」としていた。
投稿は今年6月30日のロシアのプーチン大統領に関する論評が最後。別の人が前日29日に書き込んだ「人生、マイナスからのスタートをどうにか0に戻すのに必死になってるだけという感覚がある」という投稿をリツイート(転載)していた。
アカウントのフォロワー(登録者)は17日午前の段階で1件、フォロー(登録)しているのも週刊誌の公式アカウントなど2件しかなく、知人に見てもらうためのものではなかったとみられる。