王様の耳はロバの耳

横浜在住の偏屈爺が世の出来事、時折の事件、日々の話、読書や映画等に感想をもらし心の憂さを晴らす場所です

アルジェリア人質殺害 政府専用機 羽田に到着!!

2013-01-25 07:56:43 | 海外
9人の遺体乗せた政府専用機、羽田空港に到着(読売新聞) - goo ニュース

朝7時半頃TVニュースを見てますと7時前上るオレンジ色の太陽を背景に政府専用機が見事な姿勢で羽田空港へ着陸する映像が出ました。
その後は政府、多分日揮関係者が機体から引き出された台車に乗った棺に献花する場面に変わりました。
今回帰国した9名のご遺族のお気持ちはやり場のない怒りと悲しみで一杯だと思います。
謹んで哀悼のお気持ちを捧げます。                        合掌

さて政府専用機には事件の生存者7名が同乗されていたのですが隠れる様にバスで日揮本社方面に向かった様です。
当然お亡くなりになった方のご家族の気持ちを考えればもっともですが、それなら生存者はシンガポールかソウルで別機に乗り換えて時間差で羽田に連れ戻し無事生還の喜びを映像で流す必要が有ったのでないでしょうか。
要するに人質の名前を公表するか?しないか? てな事に政府が関与しているのに、今回のテロ事件で生き残って生還した人を称えるのに重点を置くのか犠牲者をひたすら悼むのか腰が定まっていないのですよ。
「テロのは屈しない、交渉もしない」と安倍首相も言ってましたよ。
その結果の犠牲と生還者なら「生還者はテロに対する英雄」として帰国を大歓迎しても良い筈ですがその様子は見られません。
某大国の様に「宣戦布告なき戦争だ!」と宣言して敵(と思う)国に攻め込む実力も法制もそうなっていません。
どうもアルジェリアの現場はBPが施主で日揮は現場の工事建設を請け負っていたみたいです。
英国首相は事件後間もなく「アルジェリアの対応は止むを得ない」と素早い対応を責める事をトーンダウンしました。
さてBPは自社の副社長の死亡と自国民の犠牲者にどんな対応を取るでしょうね?
日本もこれを契機に強かでしなやかな普通の国柄に変わっていってほしいと思います。


読売新聞:
アルジェリア東部イナメナスの天然ガス関連施設で起きたイスラム武装勢力による人質事件で、死亡が確認された大手プラントメーカー「日揮」の社員ら9人の遺体と救出された7人を乗せた政府専用機が25日午前6時48分、羽田空港に到着した。

 専用機には、特使としてアルジェリアを訪れていた鈴木俊一外務副大臣、川名浩一・日揮社長らが同乗した。

 政府はこの後、対策本部の会合を開いて鈴木副大臣から報告を受け、菅官房長官が記者会見で犠牲者10人の氏名を公表する。

 専用機は現地時間の24日朝(日本時間同日午後)、アルジェリアの首都アルジェの国際空港を出発。ドイツ・フランクフルトを経由して日本に向かっていた。
(引用終わり)

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アルジェリア 人質事件 7人死亡確認!!

2013-01-22 09:33:50 | 海外
「大変残念、無念の一言」=日揮、7人死亡確認で―アルジェリア人質事
件(時事通信) - goo ニュース


アルジェリアの人質事件ですが昨日夜日本人7人の死亡が確認されました。 2日?ほど前から最悪の事態もと情報の小出しで心理的衝撃を和らげる操作? 或いは工作がされていました。
これはアルジェリア政府と仏、英、米と日政府の交渉の結果でもある気がします。
亡くなられた7人の日揮社員の方のご冥福をお祈りします。           合掌

行方不明の3名も最悪の事態を覚悟しておかないといけません。

最初にこの事件に触れた時、隣国マリにおける仏の軍事介入と影響力を書きましたが、このテロと密接な関連があったのですね。実に複雑です。

さて安倍首相のこの事件についての行動に浜爺の違和感を述べておきたいと思います。
この事件の前に安倍首相はベトナム、タイ、インドネシアに2期目の初外遊を行っていました。タイの首相と並んで何か話をしている映像をちらりと見ました。事件はインドネシア訪問中に起きたようで1日予定を切り詰めての帰国でした。

初外遊は対中包囲網の構築の一環ですから、1億2千万人の指導者としてとても大切です。
遠隔地の過疎地で情報がまず入らないのですから、当面の対応は留守番大将の麻生副総理に任せておいても良かった筈です。
「人命が優先と」アルジェリア政府に伝えていたのですからね。

帰国と同時に「あれを指示した」「これもこうしろと」とか現場監督みたいな言動が気になりました。
近頃はやりの「指揮官による陣頭指揮」に影響された悪しき見本に見えます。
「日揮」の社長の現地入りもどこかの影響でしょうが、社長が混乱する現地に行ってなんなのでしょう?
もっと中堅の「仏語と英語も」べらべらな社員を派遣、できればアラビア語のわかる担当者を連れて行くが現地で手配しないといけないでしょう。
現地入りしている外務政務官と大使館に頭を下げる為の内向きのお出ましでない事を願うばかりです。
「日揮」といえば海外の危険地区で技術を売る(輸出する)会社ですからアルジェリアや他国での現場あの安全保障に取り組むんが急務と思います。
その上で「日揮」社長はまさかの場合の覚悟を語ることが大事だと思うのですが。
犠牲者の名を伏せるより、せめて遺族の面倒はしっかり見る程度の表明しないといけません。日本で広報部長に頭を下げさせるのはいただけません。
産業戦士の死亡事故はゲリラ雨で下水管の中での水死、製油所の出火や漁船の転覆至っては数名の犠牲者で済まない例も少なくありません。
安倍首相は7名死亡の報告を受け「痛切の極み 残念」みたいなコメントをしたようですが公務命令での死亡と違うのですからもう一寸抑えた言いようもあった気がします。

アルジェリア政府の強硬策も英国首相の(避難)トーンダウンと「テロとは交渉しない」とのアルジェリア政府の正論に英米は譲歩せざるを得ないようです。
一国の指導者は担当者を決め権限を与えてしっかりその仕事ぶりを見守る事が大切です。
一時の騒ぎにしないで現地警護をどうするのかしっかり担当者に考えさせてください。


時事通信:
 アルジェリアの人質事件で、日本人社員7人と外国人スタッフ3人の死亡が確認されたことを受け、21日深夜に横浜市の本社で記者会見したプラント建設大手「日揮」の遠藤毅広報・IR部長は「大変残念。多くの有能なスタッフを失ったことは無念の一言だ」と声を震わせた。

 遠藤部長によると、現地入りした川名浩一社長と現地の駐在員が10人の遺体を目視で確認。川名社長から本社に連絡があったといい、遠藤部長は「確認できるまではそう信じたくない気持ちがあったが、残念ながらそうだった」と話した。

 その上で、犠牲者や生存者の氏名は公表しないとし、「遺族や家族にストレスやプレッシャーを与えたくない」と述べた。

 今後もアルジェリアでビジネスを続けていくかどうかについては、「社員一人一人を大切にしながら、海外の資源国に貢献していくにはどうしたらいいのか、今回の件は立ち止まって考える機会になった。複雑な心境です」と胸中を明かした。
(引用終わり 
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大鵬関 逝去!!

2013-01-21 10:47:10 | スポーツ
愛妻、涙 亡くなる直前まで「芳子、芳子」…大鵬さん死去(スポーツ報知) - goo ニュース

大鵬関は強かったですね!!
強い人は「憎らしいほど強いのですね」もう少し前の初代若乃花も憎らしいほど強かったですね。
大鵬は柏戸と両横綱を張ってましたが柏戸よりずーっと強かったのを思い出しました。

横綱在位中の業績を認められ一代限りの大鵬部屋の創設を認められました。
残念ながら36歳で脳梗塞になり半身に麻痺が残ってしまいました。
小部屋と大鵬関の体調もあってか大物力士が出た記憶がありません。
大鵬の各界引退で部屋は大嶽部屋に変わりましたが親方のとばく事件でごたごたがあり出身の二所ノが関部屋に吸収されて終わりましたね。
その二所ノ関部屋も一時閉鎖とか。

娘さんの子(孫)が角界を目指すとか格闘技デビューとか言われています。
お爺さんの血を引いていたら強くなりそうです。
頑張ってください。


写真:大鵬夫人 礼子さん

スポーツ報知:
大相撲で史上最多の優勝32回を誇る第48代横綱・大鵬の納谷幸喜さん(享年72歳)の遺体は20日、東京・江東区の大嶽部屋稽古場に安置され、静かに眠る横で21日から稽古が再開されることになった。妻・芳子さん(65)は大鵬さんの死去後初めて口を開き「厳しい中にも情があり、優しい人だった」と悲しんだ。既に相撲を始めている幸林(たかもり)くん(埼玉・大宮西中3年)ら3人の孫は今後、角界に入門の意向という。通夜は30日、告別式は31日に東京都青山葬儀所で営まれる。

 日本中に愛された昭和の大横綱が死去してから一夜明け、妻の芳子さんが愛する夫へ初めて口を開いた。「全部に感謝したい。本当に厳しかった分、情があって、優しい人だった」と語った。

 芳子さんの実家は秋田県の老舗旅館。大鵬さんが巡業で一目ぼれし、67年5月に結婚した。10年後の77年、大鵬さんは36歳で脳梗塞に倒れた。介護の励みは夫の深い愛情。亡くなる直前まで電話で、病床で「芳子、芳子」と連呼していた。「大変だったけど、うれしかった」と大粒の涙を流した。

 最後の会話は亡くなった19日の午前8時頃。「おはよう。元気か。お久しぶりです」と電話が来た。すると返す間もなく「いいから早く来て」と言われ、駆けつけた時には意識はなかった。「(意識がある中で)最後に抱きしめたかった」と心残りも明かした。

 遺志は3人の孫が受け継ぐ。三女の美絵子さんは元関脇・貴闘力の鎌苅忠茂さんとの間に4男をもうけたが、次男・幸林くん、三男・幸之介くん(埼玉・大宮西中1年)=ともに埼玉栄中相撲部で稽古=、四男・幸成くん(東京・有馬小5年)の3人が将来角界を志すという。

 芳子さんは孫の秘話も明かした。08年、東京・有馬小の開校135周年記念誌で、当時5年の幸林くんは「将来三十二回の記録をぬりかえて、おじいちゃんより強い相撲取りになりたい」と書いた。芳子さんは「期待しています」と孫が国技館に立つ姿を想像していた。
(引用終わり)

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アルジェリア 人質事件 情報錯綜!!

2013-01-19 07:41:38 | 海外
人質数も二転三転=遠隔地、情報収集困難極める―アルジェリア拘束事件(時事通信) - goo ニュース

今朝19日になっても情報は錯綜している様です。
TVニュースでは日本人が新たに4人所在が確認できたと情報を伝えています。
どうやら人質にされた人とは別のグループの様でテロ組織に襲われた時、運よく施設内で隠れていた様に聞き取りました。
今朝の時事通信では「日本人1人が人質として拘束されている」と他国の情報を引用して伝えています。
TVのパネルでは早速「外務省の情報収集がお粗末!」「スタッフの増員を!」なんて言い出す与党の議員がいました。
アラビア語は愚か英語かフランス語を流暢に話せない人材を何人送り込んでも役に立たないと思うのですが。

人質の死亡情報もあります。
残った人質の無事を願っています。


時事通信:
【カイロ時事】アルジェリアで起きた外国人拘束事件では、16日の事件発生後にプラント建設大手「日揮」の関係者が日本人5人が拘束されたと発言、その後、日本政府は与党自民党に3人が拘束されたと伝えていた。政府が日揮の情報として17人のうち14人の安否確認が取れていないと公表したのは17日の救出作戦終了後で、人質の人数という基本的な情報でさえ、二転三転した。

 事件現場の南東部イナメナスの天然ガス関連施設は、首都アルジェから約1000キロ離れた砂漠の中にある。日揮関係者や日本政府関係者も、アルジェリア政府や英石油大手BPからの情報入手は困難を極め、中東の衛星テレビ局アルジャジーラなどのメディア報道に頼った部分も大きかった。

 日揮関係者は「どれが本当の情報か分からない」と困惑を隠さなかった。それでも、関係者によれば、16日の事件発生後に邦人数人の安全が確認されていたが、在アルジェリア大使館担当者は「人質の身の安全もあり、具体的なことは何も言えない」の一点張りだった。 
(引用終わり)
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大島渚さん 逝去!

2013-01-17 18:33:39 | 芸能
大島渚さん死去=映画監督、タブーに挑み続け―「戦場のメリークリスマス」など(時事通信) - goo ニュース

世界的な映画監督で知られた大島渚氏が15日肺炎で逝去されたそうです。 80歳だそうです。死因は肺炎だそうですから体力低下での志望だったのでしょう。
浜爺の若い頃は「ヌーベルバーグの旗手」何て呼ばれていた事と、女優の小山明子さんと結婚しておしどり夫婦なんて言われていた事を思い出しました。
でも大島監督の映画に感動した記憶が有りません。感性が違うのでしょうね。

「戦場のメリーXマス」も大島監督の作品だったそうですが余りピンとこない作品でした。それよりも96年脳出血でで倒れ大変なリハビリで回復された話が印象に残っています。単純な引き算で63歳ですから結構若い年での若年性の脳出血ですよね。結構不摂生の結果でないかと思いますがはてどうだったのでしょう?

3年もかけたリハビリの後、また多発性脳梗塞やその他で再度倒れてしまった様です。十二指腸潰瘍とか聞きましたけどこれは郷土のストレスかななんて思ったことが有りました。
男の寿命80歳 もうちょっと長生きして欲しかった思いが有ります。
謹んでご冥福をお祈りします。


写真:大島監督


時事通信:
「青春残酷物語」「愛のコリーダ」など、社会のタブーや人間の深層に迫る作品を発表し、世界的な映画監督として知られた大島渚(おおしま・なぎさ)さんが15日午後3時25分、肺炎のため神奈川県藤沢市の病院で死去した。80歳だった。京都市出身。葬儀の日程は未定。喪主は妻で女優の小山明子(こやま・あきこ、本名大島明子=おおしま・あきこ)さん。

 京大法学部卒業後、松竹入社。1959年「愛と希望の街」(原題「鳩を売る少年」)で監督デビュー。日米安保闘争で揺れる60年に「青春残酷物語」「太陽の墓場」を発表。予定調和に陥らない物語や斬新な演出が評判となり、「松竹ヌーベルバーグ(新しい波)の旗手」と評された。

 しかし、学生運動を描いた次作の「日本の夜と霧」が公開4日目で上映中止となったことから松竹を退社。その後、独立プロダクションの創造社を立ち上げ、「飼育」「白昼の通り魔」「絞死刑」「少年」「儀式」など、日本社会が抱える闇にメスを入れた問題作を次々と発表した。

 70年代半ばからは海外との合作にも乗り出し、76年にはフランスとの合作で「愛のコリーダ」を発表。阿部定事件を素材に、ハードコアポルノとして完成した作品は、シカゴ映画祭特別賞、英国映画協会賞を受賞するなど、高く評価された。一方でスチール写真と脚本が掲載された単行本がわいせつ文書とされ、大島監督も起訴(その後無罪確定)されるなど、スキャンダラスな話題も呼んだ。

 その後も「愛の亡霊」「戦場のメリークリスマス」「マックス、モン・アムール」などの合作映画を精力的に製作。「愛の亡霊」はカンヌ国際映画祭で監督賞を受賞し、日本を代表する国際的な映画監督としての地位を揺るぎないものにした。 
(引用終わり)

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