HIROZOU

おっさんの夜明け

串カツの思い出

2023-11-17 16:23:06 | メモリー

寒いせいか今晩は何故か秋刀魚の塩焼きが食べたい

前の家は広かったので庭の七輪で秋刀魚を焼いたんですが

今は狭い台所で焼くと部屋中に臭いがこもってしまいそれにIHだと風情が無いな

・・・

もうすぐ冬ですね

20歳の頃、虎の門の病院で働きながら夜間の専門学校に通っていた

専門学校は渋谷の桜ケ丘の坂の上にあって授業は夜6時からだ

夜間の医療系の学校に通う連中が大勢いたので晩御飯は病院で出た

授業が終わるのが9時半で大部分の学生はまた帰りの電車に乗るんだけど

僕のアパートは学校から徒歩5分の場所だった

渋谷駅から桜ヶ丘の坂道を上った逆方向に道を下りまた坂道を上ると鉢山町と言う地区があり

隣は南平台に猿楽町に代官山、代官山の駅にも近かった

アパートの住所は鉢山町、アパートの玄関に立つと同じ目線の高さに桜ヶ丘のビル群があった

もうその頃の僕は毎晩のように飲み歩いていた

渋谷の繁華街には徒歩7分ぐらいだったけれど友達が一緒の時以外はほとんど行かなかった

もっぱら飲みに行ったのは徒歩10分の中目黒のガード下だ

大使館通りと呼ばれる各国大使館や高級ブティックや外車専門店が店を構える旧山の手通りに出て

また大きな坂道を下ると東急東横線の中目黒の駅に着く

その頃の中目黒の駅はガード下に小さな飲み屋がひしめき合っていた

ガード下に着くのはだいたい夜の10時頃

いつもポケットに2000円を入れて馴染みの店に入る

馴染みはその頃東京では珍しかった大阪の串カツの店だ

愛想のよい御夫婦でやられていてカウンターには食べ放題の新鮮なざく切りのキャベツ

天ぷらネタも新鮮だ

僕はいつも揚げたて熱々のイカに鯵、それに鳥のささ身を頬張りながら

おもむろにキャベツのざく切りをアルミ缶に入ったソースにたっぷり浸してアテにする

もちろん2度漬け禁止だ

しだいにメインのアテは‘タダ,のキャベツに集中する

お酒は熱燗

酩酊した20歳の僕はめいっぱいおっさん化する

二合の熱燗2~3杯飲んで帰るんだけど

これで2000円出しておつりが来た

(アテがタダのキャベツが主だからな)

けっこう頻繁に通ったんだけど

いっこうに僕と数人の関西人の常連さん以外お客が増えないんだ

関西人がそれほど串カツを食べるかと言うとそうでも無くて

ましてや東京で受け容れられなかったんだろうな

串カツ屋は開店1年持たなくてあえなく止めてしまった

常連の客もキャベツばかり食べてる貧乏人ばかりだったし



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山びとの記

2023-11-17 08:26:30 | 

    

前回読んだ宇江敏勝さんの自伝的な本

宇江さんは和歌山の炭焼きの家庭に生まれご自分でも高校を卒業後炭焼きをなさっておられた

その後、林業に変わって一年のほとんどを熊野の山奥で仕事に従事するんだが

その時の暮らし自然、仕事出来事をこの本の中で書かれている

飯場はほぼ男だけの世界で余暇と言ったら小博奕か酒

宇江さんの場合は読書もされていたようだけど仕事も手を抜くことが無かった

文の一節に・・・

「仕事をしても他人に引けを取る事など無く、精神的に安定していた

飲むことはいわば慰安であり、酔えばぐっすりと眠って、あくる日は阿修羅のように働くのだ」

阿修羅のように働く!

わしも毎晩酒を飲んで眠るがあくる日は畜生のように怠けるぞ

宇江さんの本の何が良いかと言えば僕のようなひきこもり体質の人間って

人里離れた山奥で出来るだけ他人とかかわらずに生きる生活って憧れるんだよな

だけど宇江さんの本て図書館だけでも20冊以上あって

山の中で貧乏暮らしをしていた割に人生の後半は印税でウハウハしていたりして

関係ない話だけど・・坂本冬美さんと同じ高校なんだ

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