19歳の時か・・
現場で一つ年上で社員で先輩土方の丸山にいつも虐められていた
「われ!ショウレン、とれっ言うたんが分からんのか!」
「ぼくぅ~ショウレンなんて知りませんもん」
「ショウレン言うたらこの鉄の棒じゃ!」
(そんなん分かるかい)
丸山はなおもひつこく僕を睨みつけて手にはスパナを持って迫って来た
弱虫で気のちっちゃな僕も・・
(やったらあ~)
と睨み返した
そんな時先輩土方の西山さんが間に入って
「まあまあええやないか」
・・と丸山をなだめて納めてくれて
「ひろ造くん今度の土曜の晩、暇か?」と聞くんで
「暇ですよ」と言うと
「わしのアパートに遊びに来ぃへんか?焼き肉食べに連れてったるわ」
「行きます行きますわ」・・
僕は吉野家には入った事があったけれど焼き肉屋には入った事が無かった
と言う事で次の土曜の晩に西山さんのアパートに行った
アパートは環状線の玉造にあって鶴橋の近くだ
西山さんの部屋に入ると
数人の男女の若者が手を合わせてごにょごにょと何や分からんお経をあげていた
僕も座敷に座ると西山さんがおもむろに
「ひろ造くん君なんや悩みがあるやろ?」
「僕ぅ~悩みなんてありませんけど」
「いや!君はなんぞ悩んどる」
「この場で言うてみぃ皆で聞いたるから」
男女の若者の視線が僕に集中した
「いや・・・」
その後の成り行きはすっかり忘れてしまったがいよいよ焼肉屋である
(美味いなぁ~こんな美味いもんが世の中にあったんやな)
僕は焼き肉屋の焼肉に感動した
ふと周りの部屋でお経をあげていた男女を見たらほとんど焼き肉を食べてない
(こんな美味いもんなんで食わへんのやろ?)
ほとんど僕しか焼肉に手を付けてない
後で気が付いたんだが彼らは貧乏でお金が無かったんだ
その後、西山さんが僕を誘う事が無かった
何年か後、大阪に行くたんびに鶴橋によって焼き肉屋で豪遊した
どう言う訳か玉造の駅に差し掛かるたんび胸の奥で・・
(ふん、あほんだら)とつぶやくんだ
今朝もさぶいね
季節はもう秋から冬に
そう言えばこの時期、昔住んでいたアパート近くの西郷山公園から眺める富士山は綺麗だったな
高台の公園から目黒のビル群を見下ろして夕日の赤に富士山が映えていた
学校が夜間だったので公園に行くのは早朝か休みの日
誰もいない早朝の冷えた公園がええんじゃ
昭和57年、好景気が日本を包み込もうとした頃
アパートを出て坂道を上り商業高校を過ぎると右に折れ旧山の手通り通称大使館通りに出る
信号の一角に林があってそっと覗くと芝生の庭で数人の白人の女性がビキニで日光浴をしていた
この時期に
ここはアメリカの航空会社の社宅で仕事合間のスチュワーデスさん達だ
信号を渡りきるとヒルサイドテラス
僕の向かいの部屋に美人の陶芸家の仕事部屋があってその陶芸家の方のお店もあった
休みの日はここでモーニングコーヒーを飲むのが楽しみだった
公園に向かって歩くと島田順子さんのブティック
その先にデンマークやイラク、エジプトなどの大使館があった
今は代官山蔦屋書店がある辺りだろうか旧山の手通りに面して大きな敷地の古い木造アパートがあって
専門学校の花田ともう一人は忘れたが九州出身の二人の同級生が住んでいて
花田が実家から送って来た‘明太子,を大家さんにおすそ分けした
その明太子を大家のお婆さんがアパート前の敷地で七輪で焼いていたんだが
うちわで炭を扇ぐもんだから山の手通りに明太子の焼ける臭いが漂っていた
現在あんな好立地な場所に住んだら家賃をどれだけ取られるだろうか
もうその頃には巷でおしゃれな場所として話題にはなって来ていた
今は航空会社の社宅も古いアパートも無くなり
素晴らしい環境の通りになった
西郷山公園の夕日に富士山の見える景色
ふとたまに思い出すんだよな