人生チャレンジ20000km~鉄道を中心とした公共交通を通じて社会を考える~

公共交通と原発を中心に社会を幅広く考える。連帯を求めて孤立を恐れず、理想に近づくため毎日をより良く生きる。

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当サイトは列車の旅と温泉をメインに鉄道・旅行を楽しみ、また社会を考えるサイトです。

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●管理人の著作(いずれも共著)
次世代へつなぐ地域の鉄道——国交省検討会提言を批判する(緑風出版)
地域における鉄道の復権─持続可能な社会への展望(緑風出版)
原発を止める55の方法(宝島社)

●管理人の寄稿
規制緩和が生んだJR事故(国鉄闘争共闘会議パンフレット「国鉄分割民営化20年の検証」掲載)
ローカル鉄道に国・自治体・住民はどう向き合うべきか(月刊『住民と自治』 2022年8月号掲載)
核のない未来を願って 松井英介遺稿・追悼集(緑風出版)

●安全問題研究会が、JRグループ再国有化をめざし日本鉄道公団法案を決定!

●安全問題研究会政策ビラ・パンフレット
こんなにおかしい!ニッポンの鉄道政策
私たちは根室線をなくしてはならないと考えます
国は今こそ貨物列車迂回対策を!

今年1年を振り返って・・・

2020-12-29 17:19:57 | 日記
年の瀬を迎え、例年であればここで鉄道全線完乗達成状況を含めた目標達成度を皆さんにお伝えするのが恒例になっていた。だが、今年はそもそも新年早々から精神状態が良くなかったため、目標そのものを掲げなかった。極めて異例のことではあるが、目標自体、掲げなかったのだから達成状況も当然ながらお伝えすることはできない。異例の年末である。

だが、新型コロナ禍という異常事態が発生し、目標を掲げても達成が困難であったであろうことを考えると、無理せず目標設定を見送った年初の私の判断は、結果的に正しかったのかもしれない。

昨年秋から、何か凶事の発生を予兆するかのようなテレパシー性の強い夢を5回続けて見た直後に、新型コロナ禍が発生した。今にして思えば、あれは予知夢だったと言うほかない。

幸い、「車をなくし、探し回る夢」はこの記事で紹介した今年1月10日が最後で、それ以降、見ていない。新型コロナという異常事態がずっと続いてきたので皆さんにはお伝えできずじまいだったが、当ブログ管理人は結局、「詰んでしまった」札幌の職場から、千歳市内の別の職場へ4月1日付で異動となった。2007年から続いてきた出向がついに解除になり、「古巣」へ実に13年ぶりの里帰りだ。慣れた職場で「ホーム感」もあり、懐かしい気がした。かつての仲間も温かく迎えてくれた。コロナ禍という異常事態を乗り切れたのは、この環境変化を抜きにしては考えられない。

6月には職場から近い千歳市内に転居もした。悪い流れを振り払いたい気持ちもあったが、最大の理由は、コロナ禍が長期化しそうな予感もする中で、毎日、札幌から千歳まで30分以上も電車に乗り続ける通勤スタイルを避けたかったからである。

コロナ禍で、テレワークなどのリモートワーク化が進み、一時は過密化しすぎた東京から地方への人口流出の流れが起きるのではないかと言われたが、大きな流れにはならなかった。いわゆる「現場系」の仕事(最近はあまり聞かなくなったが少し前までは「ガテン系」という言い方もされた)、最も打撃を受けた接客・飲食・観光などの仕事は「その場所にいてナンボ」の世界なのでそもそもリモートワークなど不可能だ。リモートワークでいい思いをしているのは結局、エッセンシャル・ワーク(生活必需産業における労働)という単語とともに、その反対語として使われるようになったブルシット・ジョブ(クソどうでもいい仕事)に従事している特権的階級だけで、エッセンシャル・ワーカーたちはリモートワークの恩恵など受けられないのである。

それだけに、長時間の電車通勤を避ける動きとしての「東京脱出」を実現できたのはブルシット・ジョブに従事している人だけで、エッセンシャル・ワーカーたちの間では、逆に職場に近い場所に転居することで長時間通勤を避ける動きが強まった。結果として東京から離れる動きが顕在化した一方、都心近くに転居する動きもまた顕在化したのである。今思えば、当ブログ管理人が長時間通勤を避けるために職場近くに転居したのも自然の成り行きであり、逆に言えばエッセンシャル・ワーカーとしての自分の立ち位置をはっきりさせる出来事だったような気がする。

そんなこんなで、異例ずくめだった2020年もまもなく終わる。こんな年、回顧するどころか2020年自体をなかったことにしたい人のほうが圧倒的だろう。だが今年のような異常時にこそ人としての真価が問われる。危機管理の下手さにおいては世界でも他の追随を許さない日本人だから、コロナ禍は来年も(そして、おそらくは再来年も)続くだろう。個人的利益より社会全体の利益を優先して行動できるかどうかが問われている。

国や自治体からの自粛要請に従わず、観光だ宴会だと騒いでいる連中に「警告」しておかなければならないが、経済学の世界では公衆衛生は防衛、警察、消防、道路などと同じく「純粋公共財」とされる。自分が使っても他の人の取り分が減るわけではない代わりに、維持コストを負担しなければ全体が劣化していき、崩壊する。例えば、10軒の家のうち9軒がきちんと火の始末をしていても、残り1軒が火の管理に無頓着であれば、そこから出火し、10軒全体が焼けてしまうのと同じだ。このような性質を「共同消費性」と呼び、共同消費性を持つ財を経済学では公共財と呼ぶ。そして、公共財は消費財と違い、劣化が「使えば減る」という形で明確に目に見えないため、どうしても「維持コストは払いたくない、しかし恩恵だけは受けたい」というフリーライダー(いわゆる「ただ乗り者」)を生んでしまう。そして、フリーライダーが使用することによる劣化分を、他の人が負担する維持コストでまかなうことができなくなったとき、公共財は一気に全体が崩壊するのである。

公衆衛生も公共財だからこの理論が当てはまる。医療・介護従事者、自粛に応じている人が、休日の行楽やレジャーも、やりたいことも、感染拡大を防止するために我慢して必死に耐えることで「公衆衛生」という公共財の維持コストを払っている。その横では「自粛なんてクソ食らえ、自分だけは大丈夫」と考え、遊びまくる愚か者たちがコストを負担せず公衆衛生という公共財に「フリーライド」している。フリーライダーたちを抑え、彼らにも公衆衛生のコストを支払わせるべきだ。

当ブログは、損得勘定だけで物事を判断し自分のことしか考えない「新自由主義者」が右翼よりも大嫌いである(少なくとも、「国家」「天皇」など自分を犠牲にしてまで忠誠を誓う対象を持っているだけ新自由主義者よりは右翼のほうがマシだと考えている)。この期に及んでも自粛要請の持つ意味を理解せず、「自分だけは大丈夫」とばかりに観光だ宴会だと遊び呆ける連中に対して、当ブログは今年途中から掲げているスローガン「新自由主義に死を!」に従って行動することになるので、覚悟してもらいたい。

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新しい年を迎えても、精神状態はよくないようで……

2020-01-11 11:48:54 | 日記
昨年秋くらいから何度も繰り返し見ている夢がある。ずばり「自分の車を見失い、探している夢」だ。

出てくる光景は少しずつ違っている。車で出かけた後(運転しているシーンは不思議と出てこない)、用事のある先に行き、帰ろうとするとどこに停めたか思い出せない。そこはショッピングセンターの地下駐車場だったり、高架下の駐車場だったり、オフィスビルの隣にある狭いコインパーキングだったりと様々だが、薄暗い印象の場所だという共通点がある。そこで停めた場所がわからなくなり、自分の車を探し回るのだ。駐車場の場所自体が思い出せなくなり、何キロも歩き回る、というシーンも一度見えた。

そして共通しているのは、「車が発見できたことは一度もない」ということだ。探し回ってはみるものの、結局見つからないまま、どうしようと思ったところでいつも目が覚める。

昨年の秋くらいから立て続けに似たような形で2回、夢に見た。さすがに2回続けては偶然だろうと思っていたが、その後もしつこく似たような夢を見る。ショッピングセンターの地下駐車場、高架下の駐車場、オフィスビルの隣にある狭いコインパーキング、そして駐車場自体がわからなくなるシーンと出てきたから少なくとも4回は確実に見たことになる。

年も2020年に改まり、気分も一新するだろうと思っていたら、昨日、昼寝しているときにまた見てしまった。今回はやけにリアルで、いつも運転している国道(片道3車線の大きな道路。路線番号もいつも通るおなじみの番号だった)の高架橋がいきなり工事で通行止めになっており、警察官が迂回を指示している。仕方なく、通行止めになっている高架橋のすぐ隣の側道(そこは通行止めになっていない)に入ると、通行止めになっている高架橋の下にコインパーキングがあったので、そこにいったん駐車。コンビニに寄ったら、その後は「そのまま駐車位置がわからなくなって車を探し回る」というお決まりの展開だ。これでもう5回目……

ここまでしつこいと何かのメッセージだと思わざるを得ない。いわゆる「警告夢」に分類できると思う。ドイツの精神医学者フロイトやユングは、夢は見る人の深層心理を反映したもので、精神状態の反映である一方、意識による妨害を受け、深層心理そのままの形では表現されないとする優れた分析も残している。星占いのような根拠のないものとは違う、ある種の科学といえよう。

さて、新年早々、いくつかの夢判断に関するサイトを回ってみたが、私が繰り返し見ている夢に対しては、どのサイトの評価もほぼ一致している。夢における「車」は自分自身または自分の仕事や社会的地位を表す。したがって、それを見失う夢は、現在の自分の仕事の行き詰まりや社会的地位の喪失に対し、不安を抱いている深層心理を表す。探し回るという行為はそこからの打開を求めている自分自身を表すが、最終的に探しても見つからないのは、打開策が上手くいかないことによる自分自身の焦燥感を象徴する--。

当たりすぎていて怖いほどだ。昨年秋からは精神科に通っていて、精神安定剤、睡眠導入剤を処方されている。札幌の現在の職場に配属になったのは一昨年4月だが、特に昨年4月以降は、仕事面では完全に「詰んだ」感がある。表に出せていないだけで、心理的限界を示唆する警告夢であることは間違いないと思う。

余談だが、車は自分自身の象徴なので、自分が運転席に乗って快調に運転しているときは自分の人生を自分でコントロールできていることを示す吉夢とされる。助手席に乗り、順調に走る夢なら「運転席の人をサポートする立場」で順調な人生を送る暗示、後部座席で順調に走っているときは「出世」を表すという。社会的地位の高い人ほど後部座席に乗ることが多いから、それを夢に見ることは自分自身がそのような地位を獲得することの象徴なのだろうと考えると、納得がいく。暴走する車が夢に出たら、それは自分が自分の人生をコントロールできていないことを意味するらしい。

ところで、過去5回の夢では、私が運転するシーンは一度も出てきていない。昨日の夢は、いきなり通行止めにぶち当たるシーンから始まった。いくつか巡回した夢判断関係サイトにはこの点に関する言及はないが、運転シーンが出てこないということは、今回の自分の運命は完全に自分のコントロール外にあるということだろう。助手席にも後部座席にも決まって誰も乗っていないから、誰かの助力を得られる可能性も低そうに思われる。

どうしたらいいのだろうか。いくつかの夢判断サイトは「自然に車が見つかるまでしばらく休息が必要」だと説く。無理に状況を動かそうとするとかえって袋小路に入り込むこともあるというから厄介だ。確かに、仕事のみならず、自分が関わっている問題(JR北海道、原発など)はどれも膠着状態で何をしても動かず、自分に決定権がある話でもない。だからといって自分が決定権を持つ立場に昇れるかというと、それも絶対にない。2020年はとにかく休め、という夢の世界からの警告と受け止めるしかなかろう。

したがって、大変申し訳ないが、2020年の新年目標は、公表しないことにする。このような精神状態で公表すること自体、意味のある行為と思えないからだ。

<参考>自分が見た夢については、過去にも一度、記事を書いている。また、この記事での夢について、夢判断サイトには以下のように記載されている。(「夢の夢占い」より~車を探す夢・車を見つけることができない夢

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 夢の中の車は、自分の社会的な管理能力や自己管理能力の象徴です。車を探す夢は、あなたが自分の社会的な管理能力、あるいは仕事や学業における野心や向上心を探していることを暗示しています。そして、車を見つけることができなければ、あなたがこれらを見出すことができず、仕事や学業から目をそむけたいと思っていることを暗示しています。
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2020年明けましておめでとうございます

2020-01-01 23:04:37 | 日記
2020年、元日もすでに深夜となりました。遅れましたが、新年のご挨拶を申し上げます。

東京オリンピックが開催される年が、ついに明けました。今年前半から7月までは、オリンピック一色で、他の話題は軒並み飲み込まれ、押しつぶされていくでしょう。こうした「五輪独裁」は他の開催国にも過去に見られたことで、「五輪が通れば道理引っ込む」的状況は、よくないと当ブログは考えています。

とはいえ、世間のごまかしだらけの「復興」ムードに抗するのも、必要とするエネルギーが大きすぎて難しいと思います。今年、当ブログと安全問題研究会は、本当の政治的勝負は五輪後の後半に来ると考えていますので、その時期に向け上半期は力を蓄えたいと思います。オリンピックに対しては、「日本にとって最後の宴。騒ぎたい者には勝手に騒がせておけ」とシニカルに構えます。反対の方針は貫きますが、エネルギーはここには割きません。

2019年、東京電力福島第1原発事故と「アベ友」山口敬之氏による伊藤詩織さんレイプ事件という2つの重大事件がいずれも無罪判決となったことで日本の国際的信用は決定的に地に墜ちました。国際社会の日本への目は厳しさを増しており、女性の人権状況が中東・アフリカ諸国並みの国、レイプ魔も原発事故を起こした企業も無罪になる国、一方で年末に「亡命」(当ブログはあえてこのように呼びます)したカルロス・ゴーン氏のように、政府が「敵」とみなした人物は罪をでっち上げられ徹底的に潰される国、との評価が定着しつつあります。このことが与える影響は日本人が思っている以上に深刻だといえます。

東京五輪後の日本は「先進国」から途上国に格下げされると思います。「日本が“先進国”だった期間は1964年東京五輪から2020年東京五輪までである」--後世、世界の歴史家は必ずそのように日本を評価するでしょう。

さて、そんな折、意外な人物の消息が伝わってきました。

年越し派遣村から約10年…いま「ネトウヨ」と呼ばれる男の過酷人生

パナソニックと闘った「ハケンの男」の壮絶すぎる半生

いずれも現代ビジネスの記事ですが、ここに登場する「今年、46歳となる岡田正雄(仮名)」なる人物を当ブログ管理人は知っています。「岡田」氏がパナソニックプラズマディスプレイ社との間で起こした争議を、支援する立場にあったからです。

「岡田」氏は「賃金を支払う者と業務指示を出す者が異なる派遣労働という働き方はおかしい」として派遣労働制度の廃止と直接雇用を求め、パナソニックプラズマディスプレイ社を相手に、最高裁まで闘いましたが敗れました。

しかし、彼の闘いは2つの大きな成果を生みました。ひとつは偽装請負問題の存在を明るみに出したこと。例えば、A社がB社との間で請負契約を結び、B社から労働者を供給してもらっているとき、B社労働者に対してA社は直接業務指示をできません(業務指示をできるのはB社という「企業」に対してだけ)が、実際には請負契約でありながらB社の「労働者」に直接業務指示をする「偽装請負」が蔓延していました。「岡田」氏はこれを明るみに出したのです。

結果的に、「岡田」氏の闘いは、同一の企業で5年間継続して働いた派遣労働者には正社員申し込み権が発生する、とした労働契約法の改正につながりました。これが2つめの成果です。

「岡田」氏はもともと思想的には保守的な人物で、当時、彼を支援していた労働運動・労働組合関係者もそれを知りながら受け入れたという経緯があります。したがって当ブログ管理人は、彼の保守的な思想について今さら問題にする気はありません。「岡田」氏は個性的ですが思われているほど悪人ではありません。いわゆる「地頭の良い」タイプで、仕事の飲み込みは早く、手先が器用で、機械関係は彼の天職と思います。『岡田が「ネトウヨ」と呼ばれるほど、排外的な思想を持ち合わせているとは筆者は思わない』とするこの記事のライター、藤岡雅さんの見解にも当ブログ管理人は同意します。

彼の消息はまったく知れませんでしたが、今回、都内で非正規労働者の立場ながらもきちんと働き、収入を得て自活していることが確認できたのはよかったと思います。かつて「岡田」氏を支援してきた者のひとりとして、彼の今後の人生に幸多くあることを願っています。

では、今年も当ブログと安全問題研究会をよろしくお願いいたします。

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【年末ご挨拶】今年も1年、お世話になりました

2019-12-31 21:04:58 | 日記
鉄道全線完乗実績まとめ、10大ニュースの発表も終わり、ようやく年末という気分になってきました。

2019年もあと3時間足らずになりましたので、少し早いですが、ここで年末のご挨拶を申し上げます。

今年は当研究会がメインテーマとしているJRを中心とした公共交通問題、原発問題いずれも転機の1年だったように思います。既存の体制の限界が明らかになり、「後で振り返れば、2019年が転機だった」といわれる1年になったような気がします。来年は、東京五輪終了をきっかけに、日本社会の変化の芽がはっきり出てくることになるでしょう。

間もなく新しい年を向けます。みなさま、よいお年をお迎えください。

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2019年明けましておめでとうございます

2019-01-01 17:10:49 | 日記
すでに元日の夕方になりましたが、ここで管理人より新年のご挨拶を申し上げます。

この正月は例年になく暖かく、気候としては穏やかな新年を迎えました。寒波襲来も予想された中、予報が良いほうに外れたようです。

一方、新年早々から原宿で暴走車による事故や、渋谷ではカウントダウンイベントに伴う騒動が起きています。特に渋谷では昨年10月のハロウィンにも若者がトラックを横転させるなどの騒ぎが起きています。事あるごとに「ここなら騒ぎを起こしても許される」とばかりに騒動が続いており、渋谷は日本の道徳的退廃の象徴になりつつあります。

今年は統一地方選と参院選が重なる12年に一度の亥年です。政治的には2018年とうって変わり、大きく動く年になると思います。

新年目標等はまた改めて発表します。

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【年末ご挨拶】今年も1年、お世話になりました

2018-12-31 18:00:29 | 日記
例年より遅れましたが、鉄道全線完乗実績まとめ、10大ニュースの発表も終わり、ようやく年末という気分になってきました。

2018年もあと6時間足らずになりましたので、少し早いですが、ここで年末のご挨拶を申し上げます。

今年はいろいろな意味で「小康状態、凪」の1年でした。当ブログとしては思いもよらぬ本拠地移転という出来事もありましたが、総じて静かで、激動必至の2019年に向け英気を養う年だったように思います。大きな病気、怪我なく過ごせたことに感謝したいと思います。

間もなく新しい年を向けます。みなさま、よいお年をお迎えください。

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北海道地震について

2018-09-07 15:08:56 | 日記
昨日午前3時8分、北海道胆振地方を震源とする地震では、当ブログ管理人の自宅でも震度5弱を観測しました。幸いにも縦揺れが中心だったため、家の中に被害はなく、無事です。

しかし、1日半経過し、北海道全域の半分で電力が復旧した現在も自宅の電力が復旧していません。地方部でもどんどん復旧している中、札幌市内の自宅が復旧しないのはなぜでしょうね。

そのような事情ですので、管理人のネット復帰はもう少し先になります。

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2018年、明けましておめでとうございます

2018-01-01 14:46:41 | 日記
元日も午後に入ってからのご挨拶になりますが、2018年、明けましておめでとうございます。本年もよろしくお願いいたします。

今年、最も大きな課題はやはり東アジアで米朝間の戦争を阻止することです。核保有国の米国、核保有宣言をした北朝鮮の衝突という事態になれば、東アジアが灰塵に帰することになりかねません。

また、これと同時にこの米朝危機を利用した安倍政権による改憲もしっかり阻止していく必要があります。

JRをめぐっては、北海道のローカル線廃止を阻止することが課題ですが、この他にもリニア談合問題も引き続き重要だと思います。当ブログは、リニア工事をめぐる不正はいずれ明るみに出るだろうと予想していたものの、こんなに早いとは正直、思っていませんでした。

新幹線で2018年は事故が起きるのではないかとの予測もネットを中心に年末から飛び交っています。昨年末の台車亀裂の衝撃が大きかったことを物語っていますが、このような市民感覚は案外正しいものです。今年は安全問題でも正念場を迎える年になるかもしれません。

こうした問題にしっかり取り組む1年にしたいと思います。よろしくお願いいたします。

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今年も1年、お世話になりました。

2017-12-31 21:18:52 | 日記
今年も残り数時間となりました。当ブログ管理人は携帯回線を使ってインターネットにアクセスしており、年越し前後は回線が混雑するおそれもありますので、少し早いですがここでご挨拶を申し上げます。

内外ともに激動の2017年も終わろうとしています。トランプ政権が発足し、国際情勢はかつてなく不透明さを増した1年でした。当ブログ管理人にとっては、JR北海道のローカル線問題に全精力を集中させた年でした。しかし事態は膠着状態のまま動かず、昨年末とほとんど変わらない状態で2018年を迎えます。来年も、基本的に大きな動きはないものと予想しており、当ブログ管理人は、長期戦を見据えています。

原発に関する問題も、当時に膠着状態のまま長期戦となるでしょう。安倍政権の原発再稼働をめざす動きと、市民を中心に原発停止、廃炉を目指す動きのせめぎあいが続くと思います。

JR、原発いずれも当ブログ管理人は今まで同様、ぶれずに闘い抜く決意です。

米朝両国は核の力を背景ににらみ合ったまま緊張は新しい年に持ち越します。2018年は、年明け早々、米朝の政治的、軍事的緊張が緩和に向かうか衝突に向かうかの分岐点を迎えるでしょう。良い方向に進むよう、市民の立場でできる努力を続けるしかありません。

当ブログ管理人は、今年は2年ぶりに実家に帰省しており、帰省先で新年を迎えます。年末年始はお酒の誘惑も多い時期ですが、断酒の誓いを立てた私は一滴もお酒を口にせずに過ごしています。入院前、あれほど飲んでいたアルコールに、ほぼ未練はありません。

では、みなさま、よいお年をお迎えください。

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退院から1年を迎えて~管理人の近況

2017-09-01 09:29:42 | 日記
胃がんによる手術と17日間の入院生活を終え、昨年9月1日に退院してから1年を迎えた。

「1年を過ぎると概ね、何でも食べられるようになる」というのがこの病気を経験した先輩諸氏の言葉だった。私が全摘出手術を受ける決意ができたのも、その後1年間を苦しみながらなんとか耐え抜くことができたのも、この言葉が大きな励ましになったからである。

すでに8月の通院時、主治医から「抗がん剤(飲み薬)の服用をやめて経過を見ましょう」と言われ、薬の服用を終えて3週間が過ぎた。以前は薬の副作用で、定期的に全身の倦怠感を覚えたり、腸の働きが鈍って消化が悪くなり、苦しい思いをしたりすることもあったが、薬の服用がなくなってからはそうした副作用もなくなった。

そうした中、先輩諸氏から「節目」と告げられた1年を迎えたわけだが、経過はきわめて順調といえる。退院直後は何を食べても胸がつかえ、時には粘り気のある半透明の液体(医師に尋ねると「腸液でしょう」と言われた)を吐き出す症状も5~6回ほど経験したが、それも今年3月を最後になくなった。5月には、職場のバーベキュー大会に呼ばれ、大量に焼肉を食べる機会もあったが異状は出なかった。今なお食べることができないでいるのは、ハンバーグやラーメンなど極端に脂っこい一部のメニューを残すのみになった。

私を励ましてくれた先輩諸氏は、いずれも50歳代半ばになってからの胃がん発症で、全摘出手術を受けた後数年経過した今もなお、消化の悪いものや脂っこい物を食べると胸がつかえるなどの症状を覚えることがあるという。今年4月、その先輩と大阪で会食する機会があったが、「手術後半年経たない昨年末に思い切ってピザを食べてみたが、異状が出なかった」と報告すると、「私なんてピザを食べると今でも胸がつかえることがあるのに、あなた、手術後3ヶ月も経たないうちにピザ食べるなんて、信じられない!」と言われた。どうやら私は先輩諸氏から見ても回復が順調すぎる例外のようだ。私の術後経過が順調なのは、先輩諸氏と比べて年齢が若かったこと(現在、40歳代後半)、持病がないことが理由だろうというのが周囲の一致した見方である。

職場でも、すでに就業制限は一切なく、残業や休日出勤なども必要に応じてしており、周囲は、私が病み上がりなのを忘れているように見える。少しはいたわってくれよと思う反面、あまり病人として特別扱いされるのも気分の良いものではなく複雑な気持ちだ。私自身は、入院~手術とその後の自宅療養で昨年、1ヶ月半仕事を休んで迷惑をかけたこともあり、できる限り他の人と同じように働きたいと思っている。

手術前のような大食いやドカ食いは不可能で、ゆっくり時間をかけて良く噛んで食べなければならないことを除けば、次第に食生活も落ち着いてきた。手術前と同じように、再び食べることが楽しいと思えるようになり、何よりだと思っている。

ひとつだけ手術前と大きく違っているのは、酒を1滴も口にしていないことだ。若い頃の私は、お酒が飲めなくなるなら生きている意味がないとさえ思っていた。週末になると行きつけのお店で浴びるほど飲んだ後、駅のベンチで朝まで寝ていたり、電車を乗り過ごして隣の県まで行ってしまうなどの恥ずかしい失敗もした。退院後も、いつ飲酒を解禁しようかと、そればかり考えていた時期もあった。だが、退院後半年経った今年3月頃を境に、飲みたいという欲求が急速に薄れていくのがわかった。飲み会には誘われれば参加するものの、今では周りで他人がおいしそうに飲んでいるのを見ても、飲みたいという欲求はまったく湧いてこなくなった。

飲まなくなったことで、飲み会の際、運転手を頼まれることが多くなった。運転手を引き受けた人は、幹事の計らいで会費の負担を若干、少なくしてもらえることも多い。若い頃のような飲酒による失敗をする心配もなく、会費負担も少なくしてもらえるのだからこんなにありがたい話もない。

そういうわけで、当ブログ管理人は、これを機会に断酒を宣言する。今後、よほど大きな心境の変化がない限り、私が飲むことはないと思う。たばこは初めからやらず、競馬などのギャンブルからも、自分にはその才能がないと悟り、就職して間もない頃(かれこれ20年前くらい)に早々と手を引いた。この上、飲酒も絶つことになると、いわゆる娯楽や嗜好品の類はほとんど私からなくなってしまう。「何をさておき、まずはビール」だった10年前の私が今の私をもし見たら、こんなの自分じゃないと驚くかもしれない。病気によって、これほどまでに大きな価値観の変化が個人にもたらされるのだと改めて思い知らされたが、その代わり私には、JR路線存続や脱原発のための活動など、他人にはない大きな役割がある。今後はそうした周囲の期待に応えることを、飲酒に代わる生き甲斐にしていきたいと思っている。

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