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「無罪」に怒りあらわ 東電旧経営陣に判決

2019-09-20 22:07:37 | 原発問題/福島原発事故刑事訴訟
「無罪」に怒りあらわ 東電旧経営陣に判決(岐阜新聞)

既報の通り、当研究会もずっと関わってきた東電の刑事訴訟は、争う余地のないと思われた予見可能性すら全否定する最低最悪の判決となった。

ただ判決は自己矛盾、自己崩壊のオンパレードで、義務教育を終えた普通の日本人でこの判決に納得できる人間は1人もいないと断言する。

以下は当研究会がレイバーネット日本に発表した当日レポートである。

1点の曇りもない不当判決~「原発事故無罪放免」に激しい怒り相次ぐ 東京地裁前9.19レポート

「企業免罪請負人裁判官」による白昼公然たる犯罪人釈放--9.19東京地裁判決をひと言で表するならそのようにいえよう。「この判決にも少しくらい評価すべき点があるのでは?」との質問に私は答えよう。「ゼロだ」と。東電経営陣のくだらない言い訳をそのままコピペした判決要旨なんて、配られたところで読む気もしない。おそらく今後も読まないだろう。

「9.19を日本の司法が死んだ日として長く心に留めよう」なんて陳腐なことを今さら書くつもりはない。この世界で長く生きてきて、司法の死なんてもう100回くらい見てきている。そんなことをしていたらカレンダーは1年中「司法死亡記念日」だらけになってしまうからだ。この間の経過を見てきた私からすれば、十分予想できる判決だったし、「また死ぬのかよ」「日本の司法は一体何回死ねば気が済むんだ」という以上の感想は持ち得なかった。うず高く積み上げられた司法という名の屍の上に、新たな1体が積み上げられた--私の認識はその程度のつもりだった。

しかし、地裁前では福島で今も生きる人、福島から避難した人たちの激しい怒りの声が続く。福島市在住の元原発作業員、今野寿美雄さんは「ここまでの事態を起こして誰も責任を取らないなんてことがあるか!」と声を張り上げて東電と裁判所を糾弾した。

私もスピーチを依頼され、マイクを握る。今野さんの怒りが乗り移ったのか、それとも今朝から影を潜めていた、真夏を思わせるような強い日差しが突然、照りつけてきたせいか、昨日から考えていたスピーチ内容が頭の中から飛んでしまった。

「判決に腹の底から怒りを感じます。今も数万の人たちが自分の家に帰れないでいるのに誰も責任を取らないんですか! 300人の子どもたちが甲状腺がんになっているのに誰も責任を取らないんですか。汚染水を流す流さないの議論が続いていますが、議論以前に汚染水を作り出したのは誰ですか? 作り出した者が責任を取らないで誰が取るんですか?」

気づけば国、東電、原子力ムラへの怒りをぶちまけていた。

腹の底から怒りをぶつけすぎたせいか、突然、マイクの音声が出なくなった。あいにく電池切れのようだ。代わりのマイクも混乱状態で来ない。「もう肉声でいいからやれ」という声がどこからか飛ぶ。覚悟を決め、大きな声を出せるよう深呼吸する。だがこの一瞬の中断でのおかげで冷静さが戻り、場の雰囲気も見えてきた。

「16日、代々木公園でのさようなら原発集会にも私は参加をしました。高校生平和大使の若い人たちが懸命に署名を集めている。私は、彼女たちに原発事故当時のことを話しながら署名をしました。『原発事故が起きると国、自治体、マスコミ、学者はもちろん、親兄弟、親戚や友人まですべてが信じられなくなる。最も身近にいる愛すべき人が信じられないとか、信じていたのに裏切られたとか、そんな言葉を福島で何度も聞いた。だから私は若いあなたたちが再びそんな言葉を使わなければならないような世の中にはしたくない。そんな世の中にしないのが大人だと思っている』と話しながら署名を書いたんです。それが、何ですかこの判決は! 一生懸命署名を集めている若者たち、甲状腺がんで苦しむ子どもたちに私はこの判決をどう報告したらいいんですか!」

抑えたはずの怒りが再びこみ上げてきた。

「信じられない、あり得ないと今、多くの人がここで話をしました。しかし私はこんな判決くらい何とも思っていません。敵よりも1日長く闘うだけです。敵が100年、原発を推進してくるなら私は100年と1日反対します。原子力ムラが1万年原発を推進するなら私は1万年と1日闘うでしょう。あきらめず最後まで闘い抜きます」

そう決意表明したところでマイクが戻ってきたが、肉声でも十分私の声はメディアに伝わったと思う。「腹の底から怒りを感じます」という私の訴えは、NHK「ニュース9」で放送された。絵になるシーンを作れば、案外、メディアは報じるものだ。そんなことも思った判決直後の地裁前だった。

午後2時から日本弁護士会館で始まった集会は、急遽、報告会から抗議集会に名称を変えて行われた。福島在住者、避難者たちが次々とマイクを握る。「日本の国がこんなに悪いことをしているのにマスコミは隣の国のことばかり。しかし、今日、私の話、苦しみに最も耳を傾けてくれたのは、隣の国のマスコミでした」という菅野みずえさん(浪江町から兵庫県に避難)の話には拍手が起きた。この国はメディアも腐りきっている。会場内でテレビカメラを回している関係者に目をやる。カメラマンがレンズから一瞬、目を背け、表情を曇らせるのを私は見逃さなかった。避難者からのストレートな批判はマスコミ関係者にはかなり堪えたようだ。

この集会では、10人以上の人が登壇し発言した。弁護士を除く一般参加者で、男性の発言者は今野さん、長谷川健一さん(静岡県への区域外避難者)、そして避難の協同センターの瀬戸大作事務局長のみ。後は全員が女性だった。原発事故は人々を平等には襲わない。いかに女性に集中的に被害が出ているかを象徴するシーンだ。

「今後、どうしたらいいか私はわかりませんが、それでもこのままというわけにいかない。右足、左足、とりあえず交互に出せば前には進む。そうやって再び歩き出すしかない」。菅野さんは自分自身を励ますように声を絞り出した。

抗議集会終了後は裁判所内の司法記者クラブに移動。指定弁護士の会見会場はメディアであふれ、会場外からはまったく声が聞き取れない。その後、同じ場所で行われた被害者代理人弁護士の記者会見で、福島原発刑事訴訟支援団の武藤類子副団長は「福島県民の誰ひとりこの判決に納得していない。指定弁護士には控訴を願っている」と述べた。海渡雄一弁護士は「指定弁護士側に有利な証拠を裁判長はことごとく黙殺、被告らに都合のいい部分のみつまみ食いして無罪放免した。どうせマスコミは判決要旨しか見ない、長い判決文は読まないと高を括って、都合よくつまみ食いした部分だけを判決要旨にまとめているので、みなさんも判決要旨の取り扱いには注意してほしい。その判決要旨がすべてだという報道はしないでほしい」とメディアに注文をつけた。

「裁判長は一貫して、原発事故の責任追及に立ち上がった我々をまるで暴民暴徒であるかのように敵視し続けた。女性傍聴者のスカートの中まで調べる徹底的な身体検査が毎回行われたのはその証拠といえる。こんな裁判長に無罪にされたからといって、気にすることはないですよ」。河合弘之弁護士が怒りにほどよく冗談をブレンドして解説すると笑いが起きた。

永渕健一裁判長は1990年任官の57歳。薬害エイズ事件の大阪高裁判決では1審判決をわざわざ破棄し、刑を軽くした「前科」もある。たいした業績もなく、この年齢になっても地裁判事というのは明らかに裁判官の昇任ペースとしては遅すぎる。仕事ぶりに対する裁判所内部での評価が高くないことは明らかで焦りもあったのだろう。私も指定弁護士による論告求刑、被告側最終弁論を相次いで傍聴したが、居眠りをする勝俣恒久元会長に対して怒りの声を上げた傍聴者を逆に怒鳴りつけるなど、市民敵視は明らかに度を超えていた。この間、この裁判長の人権侵害に対し、国賠訴訟を起こしたいと何度か思ったほどだ。だからこそ今回の判決は「想定内」だった。こんな訴訟指揮を続ける裁判長からまともな判決が聞けたらそれこそ奇跡というものだ。

永渕裁判長の「前科」を暴いたのは、原発推進御用紙であるはずの産経だ。敵性メディアと思っている媒体でも、現場レベルではよい働きをする記者がいるという事実も記しておきたい。

なぜ産経がこうした事実を暴いたのかはわからない。単純に記者の良心がそうさせたのだと好意的に解釈しておいてもよい。だが、3.11以降の産経の報道を注意深く観察すると、そこには原発と原子力ムラに対する危機感が見て取れる。「こんなずさんな状況を放置したら、原発事業が今後、日本では立ちゆかなくなる。原発推進を主張できなくなる」という、私たちとは正反対の意味での危機感だ。

その産経の危機感、そしてこの日、永渕裁判長が述べた「自然現象について、想定できるあらゆる可能性を考慮し、必要な措置を講じることが義務づけられれば、原発の運転はおよそ不可能になる」との懸念は当たっている! 実際、原子力規制委員会が原発にテロ対策工事を要求し、期限内に完成しなければ来春以降原発停止を命じる可能性をほのめかすなど、現実は推進派の懸念通りに進行している。「あらゆる可能性を考慮し、絶対に事故を起こさない原発を作れ」と要求し続けることこそ、遠回りに見えて最も確実な原発廃絶への道かもしれない。

「これでも罪を問えないのですか!」--福島原発告訴団が、発足以来、刑事告訴運動を続けるなかで掲げてきたスローガンだ。だが「これでも罪を問えなかった」今、私たちはどうすべきだろうか。抗議集会の中にそのヒントがある。「私たちが何か悪いことをしたのか」「何も悪いことをしていない私たちがなぜこんなに苦しみ、悪いことしかしていない人がのうのうと大手を振って生きているのか」という声を多くの人々から聞いたことだ。

筆者も、福島原発告訴団には第1次告訴から関わってきたが「私たちは何も悪いことをしていない」が立ち上がるきっかけであり原点だった。もう一度、被害者全員がこの原点に返るときだろう。政治、行政、司法、メディア。すべてが極限まで腐りきり浮上のきっかけすら見えないどん底の絶望ニッポンから這い上がるためには、どんな暗黒にあっても消えることのない一筋の光--「私たちは悪くない」にもう一度しっかり軸足を置き、そこから再び歩き始める以外にないのではないか。この日の会場からは、そんな決意の声も多く聞かれた。原子力ムラ住民たちは、福島県民、被害者のこの怒りを甘く見ないほうがいい。

(文責:黒鉄好)

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