「アイホテル京急蒲田駅前」を出て、京急で品川へ。品川から横須賀・総武線に乗り換え、錦糸町へ。総武緩行線に乗り換える。当然ながら「鉄道開業150年記念東日本フリーきっぷ」のエリア内なので、JR線はこれで乗れる。亀戸から東武亀戸線を1駅だけ乗り、亀戸水神で下車。亀戸中央公園に向かう。今回の上京の目的である「団結まつり」に参加するためだ。
この団結まつり、元々は国鉄分割民営化時の被解雇者を支援するためのまつりとして始まったのがきっかけだ。JR不採用問題は10年前に「解決」してしまったが、このまつりだけは争議の内容を変えながら現在も続いている。
コロナ禍のため、亀戸中央公園など屋外公園でのイベントが東京都の方針で禁止され、過去2年、屋内会場での開催を余儀なくされた団結まつりが、行動制限がなくなり、3年ぶりに亀戸中央公園に戻れたのは喜ばしい限りだ。JR不採用問題の「解決」以降、最大の争議がJALであることも変わらない。2010年の大晦日、165名が解雇された争議はいまなお続いている。
以前は当ブログ、安全問題研究会でも取り上げてきたJAL争議。どのようになっているのかと心配な諸氏もいるかもしれないが、実は、今このJAL争議は重大局面を迎えている。12月上旬には、当ブログでも概要をお知らせしたいと考えている。
東京での団結まつりに参加するのは5年ぶりになるだろうか。参加目的は、当ブログ管理人が執筆に加わっている「地域における鉄道の復権─持続可能な社会への展望」と月刊誌「住民と自治」2022年8月号~「住民の足を守ろう―権利としての地域公共交通」を販売するためだ。前者は5冊、後者は15冊持ち込んだが、もともとこの問題に関心の高い人々が集まる場だけに、昼過ぎには完売。もっと持ち込んでおけば良かったと思うほどの売れ行きだった。
今回、久しぶりの団結まつり参加ということで、こちらも久しぶりに内容を刷新した「国鉄車両記号及び特殊表記符号一覧表」も5部限定で持ち込んだが、こちらも完売した。
売るものがなくなり、昼からは他のブースやステージ企画などを見る。沖縄からわざわざ基地問題の報告をするため上京した三上智恵さんの報告内容にはすさまじいものがあった。台湾有事は沖縄が消し飛ぶくらいで東京や「本土」に火の粉なんて飛んでこないと思っているとしたらとんだ間違いだ。
ウクライナ戦争がこのままエスカレートすれば、当ブログ管理人が子どもの頃に放送され、世界を震撼させた映画「THE DAY AFTER」がいずれ現実になりかねない。こんな世界の終末と引き換えにしてまで貫かなければならない「正義」など存在しない。欧米諸国が世界全滅と引き換えにしてでも守り抜かなければならない「自由」とは大企業本位の資本主義にすぎない。その程度の「正義」とやらにいちいち付き合っていたら命はいくつあっても足りない。無益な戦争は終わらせなければならない。
15時にまつりが終了後、ブースを畳んで15:30には撤収。本来なら明日の月曜は通常勤務の当ブログ管理人はここで帰宅の途につくところだが、「鉄道開業150年記念東日本フリーきっぷ」の有効期間はまだ丸1日残っている(初日の南千歳~新青森は経路外のため、有効期間はこの旅2日目から)。フル活用しなければ、こんなチャンスは二度とないかもしれないと思い、明日は休暇を取っている。
朝、ホテルを出るとき室内に置き忘れてしまったビデオカメラを回収するため、再び「アイホテル京急蒲田駅前」に向かう。無事回収、保管してくれていたフロントにお礼を述べ、今夜の宿泊地である静岡・下田市のホテルに向かうため、Suicaで蒲田から京急に乗り、横浜へ。
【激走】2022.10.23京急エアポート快特 京急川崎~横浜
横浜からは16:44発、東海道本線1585Eで伊東に向かう。さすがに2時間近くロングシートの普通車は体力的にきついと思ったので、ここだけはグリーン車にする。「鉄道開業150年記念東日本フリーきっぷ」の「ご案内」に普通・快速列車のグリーン車については何も記載されておらず、乗れると判断。横浜駅の券売機でSuicaにグリーン券情報を記録して乗車する。車内で3本目の原稿を執筆、完成させる。これでようやく楽になった。
上野東京ラインが開業してから首都圏の列車は運転距離が長くなった。この列車も始発の宇都宮から伊東まで231.0kmも走る。伊東には定刻、18:31に着く。「鉄道開業150年記念東日本フリーきっぷ」はJR東日本エリアの一部大手私鉄もカバーしており、伊豆急行線も乗れるのはありがたい。伊豆急行線は当ブログ管理人にとって未乗車なので、これを機会に乗っておきたいと、わざわざ行き先に下田市を選んだ。
同一ホームで伊豆急下田行きに乗り換える。わずか4分の乗り継ぎ時間で、18:35伊東発の伊豆急行701列車はゆっくりとホームを滑り出した。すでに外は真っ暗で、車窓風景はまったく見えない。
1時間18分、各駅停車の行程で19:53、終点・伊豆急下田に定時到着。ホテルの客室にビデオカメラを置き忘れ、回収に行くというハプニングもあったが、団結まつり会場を予定より30分早く撤収できたため、結果的には当初計画通り東海道本線1585Eに乗車できた。新橋から乗車予定だったところ、このハプニングで横浜乗車に変わってしまったが……。鉄道側のトラブルによる遅延等は一切なく、夕食に菓子パンしか食べられなかった初日を除けば順調に来ている。
ただ、伊豆急下田駅到着後、宿泊予定の「下田聚楽ホテル」までの足をどうするかは決めていなかった。駅からホテルまでは1.7kmもあり、すっかり夜の帳が降りたこの時間になって歩くには遠い。昔のように自分も若くないことは、GWの四国で思い知らされた。駅前のバス停で時刻を調べたが、ホテル方面へ向かうバスはすでに終わっていた。「下田聚楽ホテル」の送迎バスも、この時間は稼働していないため、ここだけはやむなくタクシーを利用することにした。
残念だったのは、ここも行楽シーズンで素泊まりプランしか予約が取れなかったことだ。チェックイン時にフロントで飲食店情報を得ようとしたが、地元資本の飲食店を「日曜のこの時間から探すのは、ちょっと難しいと思いますね。すき家さんなら開いていると思いますが、時間が時間だけに、電話して確かめてから行かれた方がいいと思います」(フロントの女性係員)。
チェックインして部屋に入り、荷物を置いて外に出る。タクシーで来る途中、目についたジョナサンとすき家に賭けるしかなさそうだった。どちらもホテル前の国道を徒歩ですぐなので、直接行って確かめる。ジョナサンは23:30までの営業、すき家は24時間営業(さすが、ワンオペのすき家だけのことはある!)でどちらも開いている。考えた結果、すき家は明日の朝食に回すことにし、ジョナサンを選ぶ。まともな食事ができたのは幸いだった。
ホテルに戻り、プロ野球日本シリーズを見る。3-3で引き分けのまま、第2戦はヤクルト、オリックスいずれも譲らず、延長12回、規定により引き分け。試合終了はなんと23時8分だった。
ようやく温泉に入る。さすがは一流温泉地だけあって、申し分なくいいお湯だった。
<完乗達成>伊豆急行
ここまで、今回の旅で達成した完乗路線は奪還含め5路線。2022年はすでにGWに5路線、8月にも5路線を完乗しており、これで15路線となった。完乗がこんなに進んだ年は、近年ちょっと記憶にない。少なくとも、原発問題に忙殺されるようになった2011年の福島第1原発事故後では初めてである。鉄道開業150年のメモリアルイヤーにふさわしい成績にはなった。
この団結まつり、元々は国鉄分割民営化時の被解雇者を支援するためのまつりとして始まったのがきっかけだ。JR不採用問題は10年前に「解決」してしまったが、このまつりだけは争議の内容を変えながら現在も続いている。
コロナ禍のため、亀戸中央公園など屋外公園でのイベントが東京都の方針で禁止され、過去2年、屋内会場での開催を余儀なくされた団結まつりが、行動制限がなくなり、3年ぶりに亀戸中央公園に戻れたのは喜ばしい限りだ。JR不採用問題の「解決」以降、最大の争議がJALであることも変わらない。2010年の大晦日、165名が解雇された争議はいまなお続いている。
以前は当ブログ、安全問題研究会でも取り上げてきたJAL争議。どのようになっているのかと心配な諸氏もいるかもしれないが、実は、今このJAL争議は重大局面を迎えている。12月上旬には、当ブログでも概要をお知らせしたいと考えている。
東京での団結まつりに参加するのは5年ぶりになるだろうか。参加目的は、当ブログ管理人が執筆に加わっている「地域における鉄道の復権─持続可能な社会への展望」と月刊誌「住民と自治」2022年8月号~「住民の足を守ろう―権利としての地域公共交通」を販売するためだ。前者は5冊、後者は15冊持ち込んだが、もともとこの問題に関心の高い人々が集まる場だけに、昼過ぎには完売。もっと持ち込んでおけば良かったと思うほどの売れ行きだった。
今回、久しぶりの団結まつり参加ということで、こちらも久しぶりに内容を刷新した「国鉄車両記号及び特殊表記符号一覧表」も5部限定で持ち込んだが、こちらも完売した。
売るものがなくなり、昼からは他のブースやステージ企画などを見る。沖縄からわざわざ基地問題の報告をするため上京した三上智恵さんの報告内容にはすさまじいものがあった。台湾有事は沖縄が消し飛ぶくらいで東京や「本土」に火の粉なんて飛んでこないと思っているとしたらとんだ間違いだ。
ウクライナ戦争がこのままエスカレートすれば、当ブログ管理人が子どもの頃に放送され、世界を震撼させた映画「THE DAY AFTER」がいずれ現実になりかねない。こんな世界の終末と引き換えにしてまで貫かなければならない「正義」など存在しない。欧米諸国が世界全滅と引き換えにしてでも守り抜かなければならない「自由」とは大企業本位の資本主義にすぎない。その程度の「正義」とやらにいちいち付き合っていたら命はいくつあっても足りない。無益な戦争は終わらせなければならない。
15時にまつりが終了後、ブースを畳んで15:30には撤収。本来なら明日の月曜は通常勤務の当ブログ管理人はここで帰宅の途につくところだが、「鉄道開業150年記念東日本フリーきっぷ」の有効期間はまだ丸1日残っている(初日の南千歳~新青森は経路外のため、有効期間はこの旅2日目から)。フル活用しなければ、こんなチャンスは二度とないかもしれないと思い、明日は休暇を取っている。
朝、ホテルを出るとき室内に置き忘れてしまったビデオカメラを回収するため、再び「アイホテル京急蒲田駅前」に向かう。無事回収、保管してくれていたフロントにお礼を述べ、今夜の宿泊地である静岡・下田市のホテルに向かうため、Suicaで蒲田から京急に乗り、横浜へ。
【激走】2022.10.23京急エアポート快特 京急川崎~横浜
横浜からは16:44発、東海道本線1585Eで伊東に向かう。さすがに2時間近くロングシートの普通車は体力的にきついと思ったので、ここだけはグリーン車にする。「鉄道開業150年記念東日本フリーきっぷ」の「ご案内」に普通・快速列車のグリーン車については何も記載されておらず、乗れると判断。横浜駅の券売機でSuicaにグリーン券情報を記録して乗車する。車内で3本目の原稿を執筆、完成させる。これでようやく楽になった。
上野東京ラインが開業してから首都圏の列車は運転距離が長くなった。この列車も始発の宇都宮から伊東まで231.0kmも走る。伊東には定刻、18:31に着く。「鉄道開業150年記念東日本フリーきっぷ」はJR東日本エリアの一部大手私鉄もカバーしており、伊豆急行線も乗れるのはありがたい。伊豆急行線は当ブログ管理人にとって未乗車なので、これを機会に乗っておきたいと、わざわざ行き先に下田市を選んだ。
同一ホームで伊豆急下田行きに乗り換える。わずか4分の乗り継ぎ時間で、18:35伊東発の伊豆急行701列車はゆっくりとホームを滑り出した。すでに外は真っ暗で、車窓風景はまったく見えない。
1時間18分、各駅停車の行程で19:53、終点・伊豆急下田に定時到着。ホテルの客室にビデオカメラを置き忘れ、回収に行くというハプニングもあったが、団結まつり会場を予定より30分早く撤収できたため、結果的には当初計画通り東海道本線1585Eに乗車できた。新橋から乗車予定だったところ、このハプニングで横浜乗車に変わってしまったが……。鉄道側のトラブルによる遅延等は一切なく、夕食に菓子パンしか食べられなかった初日を除けば順調に来ている。
ただ、伊豆急下田駅到着後、宿泊予定の「下田聚楽ホテル」までの足をどうするかは決めていなかった。駅からホテルまでは1.7kmもあり、すっかり夜の帳が降りたこの時間になって歩くには遠い。昔のように自分も若くないことは、GWの四国で思い知らされた。駅前のバス停で時刻を調べたが、ホテル方面へ向かうバスはすでに終わっていた。「下田聚楽ホテル」の送迎バスも、この時間は稼働していないため、ここだけはやむなくタクシーを利用することにした。
残念だったのは、ここも行楽シーズンで素泊まりプランしか予約が取れなかったことだ。チェックイン時にフロントで飲食店情報を得ようとしたが、地元資本の飲食店を「日曜のこの時間から探すのは、ちょっと難しいと思いますね。すき家さんなら開いていると思いますが、時間が時間だけに、電話して確かめてから行かれた方がいいと思います」(フロントの女性係員)。
チェックインして部屋に入り、荷物を置いて外に出る。タクシーで来る途中、目についたジョナサンとすき家に賭けるしかなさそうだった。どちらもホテル前の国道を徒歩ですぐなので、直接行って確かめる。ジョナサンは23:30までの営業、すき家は24時間営業(さすが、ワンオペのすき家だけのことはある!)でどちらも開いている。考えた結果、すき家は明日の朝食に回すことにし、ジョナサンを選ぶ。まともな食事ができたのは幸いだった。
ホテルに戻り、プロ野球日本シリーズを見る。3-3で引き分けのまま、第2戦はヤクルト、オリックスいずれも譲らず、延長12回、規定により引き分け。試合終了はなんと23時8分だった。
ようやく温泉に入る。さすがは一流温泉地だけあって、申し分なくいいお湯だった。
<完乗達成>伊豆急行
ここまで、今回の旅で達成した完乗路線は奪還含め5路線。2022年はすでにGWに5路線、8月にも5路線を完乗しており、これで15路線となった。完乗がこんなに進んだ年は、近年ちょっと記憶にない。少なくとも、原発問題に忙殺されるようになった2011年の福島第1原発事故後では初めてである。鉄道開業150年のメモリアルイヤーにふさわしい成績にはなった。