(この記事は、当ブログ管理人が長野県大鹿村のリニア建設反対住民団体「大鹿の十年先を変える会」会報「越路」に発表した原稿をそのまま掲載しています。)
この話はずっと前から当コラムに書きたくて仕方なかった。それができないでいたのは自分の中で確証が持てなかったからである。だが最近になって確証とは言えないまでも「状況証拠」はかなり揃ってきたように見える。ずばり、原発誘致や再稼働同意と引き替えに新幹線が「返礼品」として贈られているのではないかという「疑惑」についてである。
整備新幹線は、1997年に開業した北陸新幹線東京~長野を皮切りに、順次延伸開業を続けてきた。だが、延伸した新幹線の路線図を見ていた私はあることに気づいた。延伸した新幹線がことごとく原発や原子力施設のすぐそばを通っているのだ。例えば、2010年に延長開業した八戸~新青森を見ると、七戸十和田駅から30km圏内に六ヶ所村の使用済み核燃料再処理施設がある。20世紀のうちに開業する約束だったのに、27回も完成が延期になり、つぎ込まれる税金は19兆円とされるいわくつきの施設だ。
北海道新幹線も、現在の始終点である新函館北斗から札幌までは、特急「北斗」や貨物列車がひんぱんに走るメインルートの室蘭回りではなく、かつては急行「ニセコ」が走ったものの、単線で現在はメインルートを外れたはずの余市~小樽を経由する。その沿線にあるのは北海道電力泊原発だ。
長野から先の北陸新幹線も、金沢開業を経て、2024年3月に現在の福井県・敦賀まで延伸している。ここが日本一の原発銀座であることは本会報読者には説明するまでもなかろう。稼働中のものだけでも関西電力美浜原発1基、高浜4基、大飯2基の計7基が集中する。この先、関西までのルートが決定していないことは、すでに当コラムで何度も述べているが、政府が目指しているのは福井県・小浜から京都を経由して新大阪に至るルート(小浜・京都ルート)だ。このルートになれば美浜原発のみならず、新たに高浜・大飯原発のすぐそばも新幹線が走行することになる。
鉄道と原子力施設との歴史をひもとくと、1999年に茨城県東海村のJCO東海事業所で起きた臨界事故の際、すぐそばを通るJR常磐線が数日にわたり不通になった。常磐線の車両基地である勝田電車区がJCOから至近距離にあることを理由に、関係者の放射線被ばくを恐れたJR東日本が勝田電車区への社員の出勤を停止したためだ。
福島第一原発事故でも、常磐線が津波に流された上、避難区域となった区間では復旧作業もできず、長期にわたって不通になった。いざ原子力施設で事故が起きればこのようなリスクがあることは過去の事例からはっきりしているのに、なぜわざわざ原子力施設のそばに新幹線を通す愚行をこの国の政府は繰り返すのか。私にはずっと疑問だった。
特に、小浜・京都ルートに関しては、古都の水環境や自然を破壊する「千年の愚行」だとして京都仏教会が反対署名に乗り出す事態になっている。これほどの反対があるにもかかわらず、政府がなぜわざわざ7基の原発がある地域を走行するルートに固執し続けるのかという疑問について考える中で、私がたどり着いた推論こそ冒頭に書いた「原発立地地域に対する新幹線『返礼品』説」だった。
最近、私のこの推論を裏付ける証言・証拠が複数の関係者から出てきている。北海道新幹線と北陸新幹線の延伸が決まったのは2012年6月29日。整備費用は、同時に着工が決まった九州新幹線西九州ルートと合わせて3兆400億円に上った。
福島原発事故からわずか1年。原発ゼロが続いていた日本で、野田民主党政権が示した大飯原発再稼働方針に反対する首相官邸前の反原発デモが20万人に達した時期だった。野田政権は、このわずか13日前(2012年6月16日)に大飯再稼働を決定している。これを「偶然の時期の一致」と思うほど筆者はお人好しではない。
2024年12月4日、「北陸新幹線の延伸に関する与党整備委員会」に出席した杉本達治福井県知事はあけすけにこう述べている。「原子力発電所の立地地域ということを申し上げた。50年以上も志を持って電力を供給し、関西・日本の発展のために尽くしてきた。原子力基本法にある『立地地域の振興』というものを、しっかりと国の責務として果たしていただきたい」。国の原子力政策に協力してきたのだから、立地地域振興のため「新幹線という返礼品をさっさとよこせ」というのだ。
1987~2003年まで4期16年務めた栗田幸雄元福井県知事も重大な証言をしている。「当時の自民党は一層、原子力発電に力を入れていくということで、福井県が原子力発電へ積極的に協力してくれるならば、いわばその見返りとして新幹線を1日でも早く自民党として努力しましょうと言ってくれました」。歴代福井県知事の間で、新幹線=原発協力の見返りは公然の秘密だったのだ。
1999年、地元選出の辻一彦衆院議員(社会党→民主党)が提出した「北陸新幹線若狭ルート堅持に関する質問主意書」はこう述べている。「福井県、特に若狭の住民は、この三十年近く「いつか新幹線が通る」という悲願で生きてきた。そのために原発銀座を許容するという苦渋の選択を受け入れてきたのである。日本一の原子力発電地域を国土の均衡ある発展から取り残すことのないようにするのは政治の責任である」。新幹線を原発受け入れの返礼品とみなす考え方は、自民党だけではなく、野党にまで広く浸透していたのだ。
福井以外の地域の話もしておこう。本会報前号でも紹介した九州新幹線西九州ルートである。1973年、田中角栄首相が日本列島改造論を唱え、整備新幹線の根拠法である「全国新幹線鉄道整備法」を制定、5整備区間(北海道、東北、北陸、鹿児島、長崎)を決定した。だが、決定直後に石油危機が起き、5区間すべての計画が凍結される。この凍結は5年後の1978年に解除となるが、その際、5区間の中で最も優先順位が低いとみなされていたのが長崎新幹線だった。
長崎新幹線が着工されるか危惧した久保勘一長崎県知事は、高田勇副知事を自民党本部に派遣。「長崎新幹線の工事着工は、他の四路線に遅れないこととする」との約束を自民党から取り付ける。当時の党3役――大平正芳幹事長、中曽根康弘総務会長、江崎真澄政調会長が直筆で署名した約束文書は、放射能漏れ事故を起こし、寄港先を失っていた原子力船「むつ」の修理を佐世保で受け入れる見返りとされた。この文書が後に「むつ念書」と呼ばれるようになったゆえんである。
政府与党が頑ななまでに「小浜・京都ルート」にこだわる理由も、このように考えると見えてくる。同ルートを熱心に推進する西田昌司参院議員(自民党京都府連会長)は今夏の参院選で改選となるが、石破茂総裁のままでは選挙を戦えないとして辞任を要求するらしい。良い噂などひとつとして聞いたことのないあなたこそ、この際、潔く政界から引退されてはいかがだろうか。
(役職はいずれも当時。2025年3月15日)
<参考記事>
・北陸新幹線延伸「原発立地地域振興を」早期着工を要望 福井県知事(2024.12.5「朝日」)
・「これで長崎は良くなる」 新幹線計画決定・むつ念書 見返りは空手形に 長崎新幹線の軌跡・1(2022.6.15「長崎新聞」)