今日はテレビの取材を受けました。いつもながらカメラに話しかけるというのは難しい。人間だと相槌を打ってくれるけれど、カメラにはそんな機能はありませんから、どうも自分の言っている事がすっと抜けてしまっていやしないかと不安に感じます。おそらく、これは慣れしかないのでしょうね。
昨日からの『日本近代美術史論』、今日は黒田清輝です。私は一時期、黒田に有頂天になっていたことがあります(笑)あれは何年前でしたでしょうか、宮城県美術館へ「黒田清輝展」を見に行ったんですね。代表作《湖畔》が好きで、実際に見てみたいと思っていましたから、その念願がまさにかなった!ところが絵を前にしてみると、意外に心の高まりというのが沸いてこない。逆にあまり好きではなかった《智・感・情》を見たら、ぐっと来るものがあったのです。あの不思議な感覚は忘れられません。
著者の高階氏は、文学者森鴎外と黒田を比較させて書いています。ちょっと面白い組み合わせですね。二人とも西欧の学問を学び、その種を日本に植えようとした。しかし、植えてもなかなか目が出ない。背景には、日本が西欧の文物を消化し切れて居なかったことが挙げられるのでしょう。黒田にいたっては、まさに水墨に油を一滴垂らすようなもので、まるで混じり合わない。一見、画家として大成功を収めたかにみえる黒田の内面には、どうにもならない感情がひしめき合っていたのではないかという話。
読み終えたあと、また黒田の絵を見ると、どう見えるのでしょうか。久しぶりに黒田の絵が見たくなりました。
昨日からの『日本近代美術史論』、今日は黒田清輝です。私は一時期、黒田に有頂天になっていたことがあります(笑)あれは何年前でしたでしょうか、宮城県美術館へ「黒田清輝展」を見に行ったんですね。代表作《湖畔》が好きで、実際に見てみたいと思っていましたから、その念願がまさにかなった!ところが絵を前にしてみると、意外に心の高まりというのが沸いてこない。逆にあまり好きではなかった《智・感・情》を見たら、ぐっと来るものがあったのです。あの不思議な感覚は忘れられません。
著者の高階氏は、文学者森鴎外と黒田を比較させて書いています。ちょっと面白い組み合わせですね。二人とも西欧の学問を学び、その種を日本に植えようとした。しかし、植えてもなかなか目が出ない。背景には、日本が西欧の文物を消化し切れて居なかったことが挙げられるのでしょう。黒田にいたっては、まさに水墨に油を一滴垂らすようなもので、まるで混じり合わない。一見、画家として大成功を収めたかにみえる黒田の内面には、どうにもならない感情がひしめき合っていたのではないかという話。
読み終えたあと、また黒田の絵を見ると、どう見えるのでしょうか。久しぶりに黒田の絵が見たくなりました。