
このたびの原発災害の根が深い理由の一つは、核燃料サイクル政策だ。これは、日本が国策として中曽根康弘・元首相などを先頭に長年推進してきた政策だ。これは実は、核兵器を担保する政策だった。
技術抑止は、核抑止より洗練された政策思想だ。
核抑止は、核を持っているが使わない、隠しているけれども使おうと思ったらいつでも使える、というものだ。
技術抑止は、作ろうと思ったらいつでも作れるけれども作らない、とはいえ何か問題が起こったら作る、という抑止だ。
ソ連と米国が核軍縮交渉の理念として掲げていたのは、核をすべてなくして技術抑止までもっていく、というものだった。しかし、それは他のところに拡散してしまったから、できなくなった。
拡散抑止と言いつつ、これを核の防止にもっていく、という理念の根本にあるのは技術抑止だった。核抑止の最高度概念といってよい。日本もその一環のなかで、技術抑止という考え方で、実は核抑止をやってきた。
このたび、自民党の河野太郎議員がけっこう頑張っている。前述の核政策への反対を明言こそしていないが、核燃料サイクル政策を廃絶させようと目指している。明言しないのは、言ったら、たぶん猛烈な反発をくらうからだろう。
2年くらい前に制作したウェブ公園のビデオでは、明らかにそのことを念頭に置いて警鐘を鳴らしている。小出裕章氏とか、反原発の人、それ以外の立場の人も、このことは認めている。
日本はプルトニウムを50トン持っている。
北朝鮮は45キロだ。彼らの場合、45キロでも何のために使うか、と言われ、原発をつくるのだ、と答え、信用されずに原発をつくるのだろう、と査問されている。
日本の50トンは、その多くが英国と仏国に置いてある。日本で再処理ができないからだ。日本はこんなにたくさん持っていても、なぜ文句を言われないか。それは、核燃料サイクルがその最後の砦、口実なのだ。英国も仏国も他の国も、これで原爆をつくっている。だから当然、再処理する。その工場が必要となる。でも、日本は原爆を持たないことになっている。そのため、最後に高速増殖炉「もんじゅ」を作らなければならない。巨額を投じ、これからも投じなければならない。でも、その実現可能性はもうない。自民党ですら、2050年までは実現できない、とした。世界もそれについては手を引いている。
では、どうするか。何をもってプルトニウム所持を正当化するか。この技術抑止のための暫定的な理由づくりのために考え出されたのがプルサーマルだ。従来の熱(サーマル)中性子炉でプルトニウム燃料を焚くやり方で、日本のほかに仏国、米国でもやられているが、この言葉自体は和製英語で、福島第一の3号炉がこれだ。
だが、プルサーマルはウラン9割にプルトニウム1割を混ぜこむMOX燃料を使う。プルトニウム処理には、ほとんど用をなさない。しかも、プルトニウム用でない炉で焚くから、要件に会わない燃料を使う危険度の高い運転法でもある。そのために、また巨額を投じている。
以上、加藤典洋「未来からの不意打ち」(河出書房新社編集部・編『思想としての3・11』、河出書房新社、2011)に拠る。
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