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3・11の福島第一原発事故は、たんなる地震や津波による天災事故ではない。政・官・財・学・マスコミの癒着の結果だ。地域独占、発送電一体、総括原価といった電力会社の利益を、与野党の政治家、官僚、マスコミ、学会など、その分け前にあずかっていた者たちが皆で守ってきた過程で、安全性が損なわれ、透明性が失われていったのだ。
この構図は原子力ムラに特有のものではない。
国土交通省の河川局は、基本高水(水系にダムが必要かどうかを判断するための基本的な判断材料)を数十年にわたり捏造してきた。利根川水系にあらたにダムが造られたことを忘れて数字を操作した結果、あらたに建設されたダムがなければぴったり合う数字をつくってしまった。むろん現実にはダムがあるから、そうはならない。それで、数字の捏造がばれた。
馬淵大臣が予算委員会で、これまで捏造に使っていた数値を発表し、真実を表に出そうとした。しかし、馬淵大臣が問責されたあと、河川局は河川族の政治家、河川ムラの学者、関連するシンクタンク、そしてあろうことか学術会議まで駆使してあらたなウソを創りあげた。
国土交通省道路局は、道路の下の空洞調査を、自分たちの先輩である技監が天下った公益法人に、調査能力がまったくないことをしりながら発注した。このときは、事故が起きたら責任を取らされる国道事務所からの内部通報で悪事がばれた。きわめて悪質な報告書で、同じ写真を違う調査箇所に何度も使いまわしていた。
前原大臣が、責任をきちんと取らせる、と答弁した。が、理事長は退職金をまるまる手にして辞めた。
この悪質な公益法人は、さすがに解散に追いこまれた。しかし、理事長が退職金の支払いを求めて提訴すると、なんと被告側は弁論すらせず、理事長を勝訴させ、退職金を支払った。
公金が流れるところに利権が発生する。政治家はもとより官僚まで利権の分配にかかわってくる。利権の最大化が目的になり、安全性や経済合理性は忘却される。一部の人間には好都合だが、国民の利益はない。
原子力ムラはその極限だった。
6月18日、海江田経産大臣が各地の原発は安全だ、と宣言し、定期点検後の原発再稼働を求めた。
しかし、「安全」の中身は、何年後までにこうした措置をとる、という予定を並べただけだった。しかも、電力会社の隠蔽体質はまったく問題視されなかった。事故が起きたときに対処する能力がないことを露呈した保安院や原子力安全委員会をどうするか、何ら言及がない。シナリオを読み合わせているだけだと酷評された安全訓練にも、ちっとも触れていない。
30トンを超える核分裂性のプルトニウムをどうするのか。使用済み燃料をどうするのか。放射性廃棄物の最終処分をどうするのか。核燃料サイクルは、もやは成立しない。
この際、エネルギー政策を白紙に戻し、合理性、論理性の観点からしっかり再検討するのだ。それができれば、不合理な政策、利権でゆがめられた政策を糺すことができる。それが正しい政治主導のはずだ。
以上、河野太郎「あとがきにかえて」(飯田哲也/佐藤栄佐久/河野太郎『「原子力ムラ」を超えて -ポスト福島のエネルギー政策-』、NHKブックス、2011)に拠る。
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