語られる言葉の河へ

2010年1月29日開設
大岡昇平、佐藤優、読書

【震災】原発>3兆2千億の原子力埋蔵金~補償に回すべき隠し金~ 

2011年08月15日 | 震災・原発事故
 日本の電力会社は、原子力発電に関連して「電力埋蔵金」3兆2千億円の積立金を保有している。原発事故の賠償資金や被災者支援に使おうとすれば使える金だ。
 この埋蔵金は、電力会社を通じて国民がせっせと積み立ててきた。核燃料サイクル計画に必要な再処理費用と、最終的に発生する高レベル放射性廃棄物の処分費用だ。11年4月から追加された「太陽光促進付加金」と違って、電気料金請求書には明記されていないが、国民は負担している【注1】。月額200円前後だ。
 再生可能エネルギー特別措置法が成立すれば、将来的に200円ほど買い取り価格が転嫁される。電力会社は、すでに同じ額の負担をこっそりと徴収しているのだ。
 しかも、電力会社は、この積立金を無税で積み立てている。通常は税引き後の利益を内部留保として蓄えるが、電力会社は外部の公益財団法人「原子力環境整備促進・資金管理センター(原環センター)」に、そのまま課税されることなく積み立てている。
 積立金は、ほとんど国債で運用している。10年度末残高は、(a)再処理後の超高濃度汚染水の最終処分費用に8,200億円、(b)周辺廃棄物の最終処分費用に170億円、(c)再処理費用に2兆4,410億円、合計3兆2千億円もの積立金だ。

 核燃料サイクルの主要施設は、再処理工場と、高速増殖炉「もんじゅ」(福井県敦賀市)がある。事故続きで稼働せず、停止中の維持管理費だけで1日5,500万円の税金を食う。技術的困難から、各国は核燃料サイクル構想から次々に撤退した。日本だけが、はるか先の50年の実用化目標を掲げて莫大な税金を注ぎ続けている。
 原発そのものの安全神話が崩れ去った現在、この構想は消滅するしかない。
 となれば、積み立ててきた3兆2千億円は、もはや不要だ。今そこに困っている国民に、そのまま返還されるべきだ。
 (a)は、核燃料サイクル構想が消滅しても、使用済み核燃料などの最終処分に使わなければならない。すぐに手をつけることはできない。
 が、少なくとも(c)は使い切っても何の問題もない。
 再処理等積立金法に係る特例法案を緊急の議員立法で採決すれば、速やかに処理できる【注2】。政治的意思さえあれば、赤字国債とは逆に、国民負担を劇的に減少させることができる。
 ちなみに、今後増設される計画のあった14基の原発は着工される見こみがない。となれば、立地自治体へのアメ玉「迷惑施設料」電源立地交付金は今後不要となるはずの費用だ【注3】。

 巨額資金を管理する原環センターの役員、評議員は、原子力ムラの村民だ。
 埼玉県新座市に豪邸をかまえる並木育朗・理事長は、71年に一橋大学を卒業、東電に入社し、10年7月から原環センターに転じた。役員報酬規定によれば、本給月額106万円だ。
 古賀洋一・専務理事には、経産省の天下りだ。
 非常勤理事には、木村滋・電機事業連合会副会長(東電取締役)、鈴木篤之・日本原子力研究開発機構理事長。評議員には、日本原燃社長、原子力発電環境整備機構事業本部長、中部電力原子力本部長らがズラリと顔をそろえる。
 電力会社を通じて巨額の資金が流れ、蓄積される原子力ムラにはまだ村民が跋扈し、その地下に埋蔵金が眠る【注4】。

 【注1】業界団体への不要不急にして巨額の支出、例えばシンクタンク「(財)電力中央研究所」に売上げの0.2%、毎年100億円も出しているのだが、この支出も電気料金の原価に上乗せされている。「【震災】原発>東電の埋蔵金」参照。
 【注2】「【震災】復興の財源(案) ~社会資本整備特別会計と農林漁業関係公共事業予算の統合など~」参照。
 【注3】原子力関係予算は、02年度から11年度まで過去10年間で4兆5千億円に上る。このうち4割の1兆8千億円(年平均1,800億円)が、世界でも稀れな制度である立地対策費だ。財源は電源開発促進税で、同税は電気料金に上乗せされ、最終的に消費者が負担する。【記事「原子力予算 10年で4.5兆円 4割が地元対策に」、2011年8月14日付け東京新聞】
 【注4】原子力関連独立行政法人/公益法人のうち最大の日本原子力研究開発機構には、年間1,700億円の予算が投入されている。「【震災】原発>原子力予算・埋蔵金を賠償に回せ、電気料金を値上げする前に」参照。

 以上、佐藤章(編集部)「原発補償、被災者支援にすぐ使える 3兆2千億の電力埋蔵金」(「AERA」2011年8月22日号)に拠る。
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【大岡昇平ノート】原発事故または戦争の事 ~8月15日のために~

2011年08月15日 | ●大岡昇平
 東京およびその周辺都市に放射能のホットスポットが発覚している。
 福島第一原発事故は、健忘症の都会人に、田舎に建設した原発で電力を調達しようとする時、都会人がどういう目に遇うかを示している。それだけではなく、どんな害を田舎に及ぼすものであるかも示している。その害が結局、都会人の身に撥ね返って来ることを示している。被災者の証言は多面的である。原発が放出した死の灰に覆われた土は、その声を聞こうとする者には聞こえる声で、語り続けているのである。

 【注】下敷きは大岡昇平『レイテ戦記』の「エピローグ」。なお、ポツダム宣言受諾は8月14日。日本では1963年以降、8月15日が終戦の日となっているが、諸外国では終戦の調印が行われた9月2日が終戦記念日とされる。

   *

 レイテ島の戦闘の歴史は、健忘症の日米国民に、他人の土地で儲けようとする時、どういう目に遇うかを示している。それだけではなく、どんな害をその土地に及ぼすものであるかも示している。その害が結局自分の身に撥ね返って来ることを示している。死者の証言は多面的である。レイテ島の土はその声を聞こうとする者には聞こえる声で、語り続けているのである。

【出典】大岡昇平『レイテ戦記』の「エピローグ」

   *

 昭和19年12月5日、レイテ島はマリトボの東方、山間のルビに置かれた第35軍司令部に到着した田中光祐少佐(第14方面軍派遣参謀)は、周辺を視察してぞっとした。
 飢餓に瀬している第26師団の兵士たちは、「いずれも眼ばかり白く凄味をおびて、骨と皮ばかりである。まるでどの顔も、生きながらの屍である。地獄絵図のような悽愴な形相である。その上丸腰で、武器をもっていないために、全く戦意を喪失していた」。
 これは師団主力ではなく、先遣重松大隊の傷病兵か井上大隊の状況であった。
 「やがてブラウエン作戦が中止、退却に移ってからは全軍が似たような状況に陥る」

【参考】大岡昇平『レイテ戦記』((『大岡昇平集 第10巻』、岩波書店、1983)の「21 ブラウエンの戦い」
 ⇒「『レイテ戦記』にみる第26師団(2)

   *

 私は頬を打たれた。分隊長は早口に、ほぼ次のようにいった。
 「馬鹿やろ。帰れっていわれて、黙って帰って来る奴があるか。帰るところがありませんって、がんばるんだよ。そうすりゃ病院でもなんとかしてくれるんだ。中隊にゃお前みてえな肺病やみを、飼っとく余裕はねえ。見ろ、兵隊はあらかた、食糧収集に出動している。味方は苦戦だ。役に立たねえ兵隊を、飼っとく余裕はねえ。病院へ帰れ。入れてくんなかったら、幾日でも坐り込むんだよ。まさかほっときもしねえだろう。どうでも入れてくんなかったら――死ぬんだよ。手榴弾は無駄に受領してるんじゃねえぞ。それが今じゃお前のたった一つの御奉公だ」
 私は喋るにつれて濡れて来る相手の唇を見続けた。致命的な宣告を受けるのは私であるのに、何故彼がこれほど激昂しなければならないかは不明であるが、多分声を高めると共に、感情をつのらせる軍人の習性によるものであろう。情況が悪化して以来、彼等が軍人のマスクの下に隠さねばならなかった不安は、我々兵士に向かって爆発するのが常であった。この時わが分隊長が専ら食糧を語ったのは、無論これが彼の最大の不安だったからであろう。
 いくら「座り込ん」でも病院が食糧を持たない患者を入れてくれるはずはなかた。食糧は不足し、軍医と衛生兵は、患者のために受領した糧秣で喰い継いでいたからである。病院の前には、幾人かの、無駄に「座り込ん」でいる人達がいた。彼等もまたその本隊で「死ね」といわれていた。

【出典】大岡昇平『野火』(『大岡昇平集 第3巻』、岩波書店、1982)の「1 出発」
 ⇒「『野火』とレイテ戦(2) ~主人公の行動~
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