語られる言葉の河へ

2010年1月29日開設
大岡昇平、佐藤優、読書

【震災】原発>東電のマスコミ籠絡法 ~朝日新聞の原発記者~

2011年08月23日 | 震災・原発事故
(1)接待
 朝日新聞は、70年代に社論を統一し、基本的に原発を容認した(「イエス、バット」)。
 その背景に、東電からの広告の受け入れ、東電幹部からの接待、出張費の肩代わりがあった【注1】。

(2)広告
 2010年の1年間に東電が朝日新聞に出した広告は計13本。朝日新聞が定める規定の広告料にしたがって計算すると、計2億3千万円余となる。
 ほかに電事連や日本原子力文化振興財団などの広告もある【注2】。

(3)株
 東電は、また、テレビ朝日の大株主だ。3,100株(全体の0.3%)を保有する。

(4)記者OB
 井田敏夫・「井田企画」社長は、47年生まれ。朝日新聞入社後、社会部、政治部に籍を置き、82年1月に退社。83年11月。(a)「朝日クリエイティブ」設立。86年4月、(b)「井田企画」設立。
 (a)と(b)の取引先は、東電を初めとする電力各社、日本原燃、原子力発電環境整備機構、コスモ石油など主にエネルギー関連の法人だ。
 中でも、(b)設立まもなく獲得した大型案件は、「SOLA」の仕事だった。
 「SOLA」は、89年8月創刊、後に季刊誌となった。東電の生活情報誌で、A4版、カラーと2色刷り、約50ページ、定価350円(税込み)。ただし、市販されていない。東電の本店営業部が一括して買い上げ、各営業所に配布される。そして、顧客に無償で提供される。要するに、東電お抱えの雑誌だ。
 「SOLA」の公称部数は8~10万部。年間取引額は最大1億4千万円となる。(b)の手がける事業の大黒柱だ。

 井田は、「SOLA」制作にあたり、朝日新聞OBの人脈をフルに活用してきた。創刊以来、編集長を務めるのは江森陽弘・元「週刊朝日」副編集長。看板企画の政財界人インタビューでは、田中豊蔵・元取締役論説主幹((a)の会長でもある)。その他、環境問題に係る論考を毎号寄稿している岡田幹治・元論説委員。
 政財界人インタビューでは、荒木浩・元東電会長、武黒一郎・元東電副社長(現・国際原子力開発社長)、加納時男・元東電副社長/前参議院議員など、東電関係の要人がたびたび登場する。例えば、武黒・元東電副社長は、うそぶく。
 「日本の原子力発電は過去50年間、安全をしっかり守って利用することは確実に行われてきました」
 直近の夏号は、通常ならば5月20日に発行されるところ、1ヵ月遅れて発行された。その第104号に、南川秀樹・環境事務次官が登場している。驚くべきは、取材が行われた日だ。省をあげて震災対応に多忙を極めていたはずの3月17日に実施されているのだ。  

 「井田企画」を基点とする朝日新聞OBとの関係は、まだある。
 00年11月、井田企画内にNPO法人「地球こどもクラブ」が設立された。小学生らを対象にポスターコンクールなどを主催し、09年度の支出額は2,100万円だった。東電からも寄付を受け入れ、今年6月までは鼓紀男・東電副社長や加納・前参議院議員も副会長を務めていた。その他の理事は、「SOLA」に関与する朝日新聞OBと重なる。井田、江森、田中、岡田・・・・中江利忠・元朝日新聞社長の名まである。また、会員企業は、東電のほか、北海道電力、東北電力、四国電力、日本原燃が名を連ねていた。
 「井田企画」の忘年会には、東電のお偉いさんや東電にゆかりのある政治家50~60人が来ていた。
 「井田企画」は、ほかに言論サイト「ナレッジ」を開設し、田中ら8人の新聞OBをレギュラー執筆陣に揃えている。うち、中村政雄・元「読売新聞」論説委員は、電力中央研究所の名誉研究顧問で、原発推進を叫ぶ言論人として名高い。

 江森・「SOLA」編集長は、いう。
 井田君から家内に報告があった。このたびの夏号が最後だ、もうカネは出せないと東電に言われた、とのこと。編集長を引き受ける際、井田君に対して、原発の話題は一切触れない、と念を押した。「恥ずかしい話ですが、地震が起きてやっと気付いたんです。これは東電が朝日新聞を捲き込んだ世論操作のための隠れ蓑だったかもしれない、と。かかわっているメンバーを見れば、それは否定できないですよね。気付くのが遅かったんです」 

(5)「朝日新聞」の原発記者
 「朝日新聞」社内で原発に係る社論をリードしてきたのは、田中慎次郎に始まる「田中学校」の門下生たちだ。田中は、「朝日ジャーナル」を創刊するなど、社内でも左寄りの考えの持ち主だったが、原発には好意的だった。
 その田中の一番弟子が渡邊誠毅・元朝日新聞社長。正力松太郎とかけ合い、「日本原子力産業会議(現・日本原子力産業協会)」の創設に一役買った。
 「田中学校」の系譜は、岸田純之助、柴田鉄治、武部俊一らに引き継がれた。
 中でも、科学部畑が長く、77~83年まで論説主幹を務めた岸田は、電力業界にとっぷりと浸かった。定年退職を間近に控えた84年、岸田は関西電力の広報誌「縁」の監修者となった。さらに88年、東電から出向していた「政策科学研究所」の理事の誘いで、勉強会「岸田懇談会」を他の電力シンパ記者とともに開くようになった。92年には、関電子会社の「原子力安全システム研究所」の最高顧問会議メンバーに就いた。中村政雄・元「読売新聞」論説委員と共に。岸田は、91歳の今でも「日本原子力文化振興財団」の監事だ。

 【注1】【注2】東電の広告宣伝費は245億円、販売促進費240億円(09年度)。さらに、中部電力など各電力会社、電気事業連合会を含めると年間2,000億円の電力マネーがメディアに流れている。【神林広恵「誰も書けなかったテレビ・新聞・雑誌の腐敗 東電広告&接待に買収されたマスコミ原発報道の舞台裏!」(『原発の深い闇』、宝島社、2011)】

 以上、記事「メディア最大のタブー 東電マネーと朝日新聞」(「週刊現代」2011年8月20・27日号)に拠る。
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