語られる言葉の河へ

2010年1月29日開設
大岡昇平、佐藤優、読書

【震災】原発立地を住民が決める根拠 ~エネルギーの共同体自治~

2011年08月20日 | 震災・原発事故
 例えばスウェーデンなどでは国が原子力政策からの脱却を表明している。日本は、あれだけの事故を起こしたのに、そう簡単には行きそうもない。この違いは何なのか。【神保哲生】
 日本は先進国で唯一、共同体自治の概念が存在せず、何ごとにつけ依存する社会だ。国家に依存し、市場に依存し、地域独占的電力会社に依存する。総じて巨大システムに依存し、自明性に依存する。近代社会に必要な<引き受けて考える作法>でなく、<任せて文句垂れる作法>だ。【宮台真司】
 例えば、自民党支持者の多くは、平時は投票に行かず、贈収賄事件などがあった場合に「お灸を据える」ために共産党に投票する。自明性が揺るがない間は「任せて」投票せず、政治家の不祥事があると、任せているのにフザケルなと「文句を垂れる」わけだ。【宮台】
 こうした前近代的な政治文化のせいで、本来は「食の共同体自治」を意味するスローフードが、オーガニックでトレーサブルな「食材」の問題に縮んでしまたように、本来は「エネルギーの共同体自治」を意味する自然エネルギーが、太陽光発電や風力発電といった「電源種」の問題に縮んでしまうことは問題だ。【宮台】

 日本が原発大国になり、原発ムラができあがったのは、一言でいえば思考停止のせいだ。すべての人が目先の仕事を盲目的に達成しようとした結果、壮大な日常性とビューロクラシーの積み上げで、一番中心にいる人、上にいる人は何も考えていないのに、そこを問うことなく、日常を突き進んだ結果だ。内部でパーソナルなコミュニケーションを持っている人たちは、高木仁三郎のように外部から批判を投げかけられても、「自分は誇り高い仕事をしているのに外から何だ」と、批判の中身に入る前に、批判されていること自体に反発してしまう。内部に入っていかないで外部から批判しても、壮大な日常にレミングのように突っ走るこの群は変わらない。原発社会への批判はしていたが、反原発というレッテルを貼られることには慎重だ。脱原発にしても、その言葉がもつネガティブインパクトがあって、社会を変えようとしているときにそれがノイズとして入ると困る。【飯田哲也】

 グランドデザインも最終目的も参照しようとしない。小出裕章・京大原子炉実験所が言っていた。原子力政策の妥当性に関する討論で一回も負けたことがないが、しばしば討議が終わった後で言われる。「小出君、僕にも家族がいるんだ、生活があるんだ」【宮台】
 単なる口実で、実際はポジションを失うのが恐いだけだ。カール・マンハイムは「知識人」とは特定の共同体や利益集団に帰属しないことを信頼される存在だ、とする。知識人は、所属を無関連化しなければならない。何が妥当/合理/真理なのかを訴え、共同体や利益集団に埋没しがちな大衆にとって道標になるべき存在だ。【宮台】

 例えば、経産省の役人は、10年スパンで言えば自然エネルギーが勝ち馬なのはわかっているから、そう遠くない段階で、こんどは自然エネルギーの分野で「特別措置法×特別会計×特殊法人」図式で権益確保に乗り出すのは確実だ。自然エネルギー分野に「ナントカ財団」を30コ作って天下り先を確保するだろう。彼らが利用するのは、「これから○○が流行だ」という空気だ。これに抗うには、空気の利用では足りない。中長期的には、<空気に支配されるコミュニケーション>を変え、<知識を尊重するコミュニケーション>で「科学に基づく自治」を樹立する必要がある。【宮台】

 スウェーデンやデンマークでは、人口2~3万人の街であれば、必ず一つはエネルギー会社がある。地域暖房と電気の供給を請け負う。90年代にどんどん民営化された。地方自治体の議員が理事に入って運営している。まさにエネルギー自治だ。日本の水道と同じ感じで、暖房と電気を自治体が売っている。【飯田】
 電気は、その会社で発電しているわけではなく、大きな電力会社から買って配っている。電気宅配会社みたいな感じだ。デンマークでは、もっと素朴に、風力協同組合を作って、自分たちの電気は自分たちで賄う仕組みを作った。参加者が電力を分け合っている。このような自給のモデルが80年代にどんどん広がった。【飯田】
 エネルギー自給は、金の流れがそこにくっついてくる。例えば、秋田県40万世帯の光熱費は年間1,000億円。あきたこまちの年間売上げと同じくらいだ。この金は、県外に出て行く。仮に秋田県内にエネルギー公社があって、それを自分たちで生み出していたら、1,000億円は県の中で回る。エネルギー自治は、お金の自治、経済の自治でもある。【飯田】
 もう一つ大事なことは、エネルギーには必ず環境負荷がある。自然エネルギーを使えばその地域の自然が使えるが、原発を作ったら必ず原発のインパクトがある。化石燃料には環境負荷がある。【飯田】
 北欧のエネルギー政策を調べると、環境、エネルギー、マネーがすべて表裏一体で、それを地域の中でどう閉じていくか、という大きな構造が見えてくる。【飯田】
 日本でも、市民出資によるエネルギー自治がモデル的に誕生している。NPO法人北海道グリーンファンドしかり、「おひさま進歩エネルギー」(長野県飯田市)しかり。【飯田】
 
 ウルリッヒ・ベックはチェルノブイリ原発事故の直後に出した『リスク社会』で自治が必要な理由を論じる。原発や遺伝子組換作物を含めた高度技術のリスクは、予測不能・計測不能・収拾不能で、ベイズ統計を用いた合理的行動計画が立案できず、妥当な保険を設計できない。原発立地を合理化できる科学的枠組みは存在しない。だから、そうした決定を国家が行うと正当性の危機が生じる(正当性危機論)。サブ政治(自治)しかない。
 また、グローバル化状況では市場と国家への過剰依存は危険だ(安全保障論)。これらが食やエネルギーの共同体自治を説く根拠だ。
 さらに、単なる効率や合理性に還元できない実存的価値が共同体自治を支える(実存的価値論)。イタリアはピエモンテ州のブラという街から始まったスローフード運動は、有機野菜を食べよう、という運動ではない。「食の共同体自治」の運動で、意味の半分は実存的だ。顔の見える範囲で作って売る、だから良いことをしようと一生懸命になる。一生懸命の姿を見ているから、スーパーより高くても買う。こうして地元農家が守られ、地元商店が守られ、自立的経済圏が周り、街の人間関係、街並み、祭り文化、街の匂いが守られる。要は幸福や尊厳の問題なのだ。

 以上、宮台真司(首都大学東京教授)/飯田哲也(環境エネルギー政策研究所長)/神保哲生(ビデオニュース・ドッコム代表)「緊急討論 原発ムラという怪物をなぜ我々は作ってしまったのか」(「創」2011年9・10月号)に拠る。
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