7月16日、東京の代々木公園で開催された「さようなら原発 10万人集会」(主催:「さようなら原発」1000万人署名市民の会)における登壇者スピーチのさわり。
●鎌田慧「主権ふみにじる原発・政権にノーを」
全国のあらゆる人たちの力を振りしぼって集めた780万筆の署名を6月15日に首相官邸に持参し、藤村官房長官に提出した。しかし、その次の日、野田政権は大飯原発再稼働を決めた。こんな政府があるか。主権者の声を、民意を、汗と涙によって集めた署名を、踏みつぶして平然としている。このような内閣に、私たちはノーを突きつけたい。
●奈良美智「自然なこころのおもむきを信じて」
僕が自然に描いた絵や、自然につくったものを、自然にこういう行動を起こした一般の人たち、ふつうのサラリーマンの方や家族の方、学生や小さい子、お年寄りの方。そんな方々が、僕がむかし描いた絵をどこかから探し出してきて、デモに使っていいか、と言ったので、「どうぞ使ってください」と。そういう形で僕は僕なりに参加してきたと思います。
●坂本龍一「福島のあとに沈黙しているのは野蛮だ」
言ってみれば、「たかが電気」だ。たかが電気のために、なぜ命を危険にさらさねばならないのか。
たかが電気のために、この美しい日本を、そして国の未来である子どもたちの命を危険にさらすようなことはするべきではない。お金より命だ。経済より生命だ。子どもを守ろう。日本の国土を守ろう。
●内橋克人「国民的合意なき原発よ、さようなら」
「対案なければ反対なし」というのは、常に政府、官僚が、主権者である国民、市民を脅し、口を封じさせるための常套句だった。ここを見抜かねばならない。核心となる情報を隠しておいて、「お上の言うことに楯突くとはけしからん、対案を出せ」、こういう仕組みだ。私は承伏できない。人々の魂に根づく平衡感覚とか鋭敏な危険察知能両区。あるいは、およそ命あるものに必ず備わっている畏怖心。そういったものこそが、安心社会の礎であるはずだ。
●大江健三郎「侮辱のなかで生きることをやめよう」
原発大事故のなお続くなかで、大飯原発を再稼働させた政府に、さらに再稼働をひろげていこうとする政府に、私はいま自分らが侮辱されていると感じる。私らは侮辱のなかに生きている。いま、まさにその思いを抱いて私らはここに集まっている。私ら十数万人は、このまま侮辱のなかに生きてゆくのか? あるいはもっと悪く、このまま次の原発事故によって、侮辱のなかに殺されるのか? そういうことがあってはならない。そういう体制は打ち破らなければならない。私らは政府のもくろみを打ち倒さねばならない。それは確実に打ち倒しうるし、私らは原発体制の恐怖と侮辱のそとに出て、自由に生きていくことができるはずだ。
●落合恵子「いのちから、ほんとうの民主主義へ」
野田政権に訊く。あなたたちが「国民」というとき、いったい誰を見ているのか。今日ここにいるのが「国民」であり、市民なのだ。
●澤地久枝「主権を、未来を、とりもどすために」
日本の政治は、日本人からふるさとを奪った。福島の人たちはふるさとへ帰っていきたいけれど、帰っていけない。放射能に汚染されたふるさとへ帰るということは、文字どおり死を意味している。
●瀬戸内寂聴「言い分をめげずに口に出しつづける」
いま私たちが毎日何不自由なく暮らしていけるのは、ぜんぶ過去の人たちが、さまざまな苦労をして、さまざまな反逆をして、人間の自由を守ってきたからこそなのだ。こうして集まっても政府の方針を変えることになるか、90年生きてきたから非常に懐疑的だが、それでも私たちは集まらなければならない。税金を払った日本の国民だからだ。政治に対して言い分があれば、口に出して言っていいのだ。体に表して行動していいのだ。
●広瀬隆「いまこそ電力会社と直接交渉を」
大飯原発再稼働の真の理由は、電力不足ではなく、11基の原発が廃炉になれば関電の純資産のうち半分が吹き飛ぶからだ。経営破綻を避けるため、再稼働を強行したのだ。では、どう解決するか。その一つは、今日の集まりの呼び掛け人と関電とが同じテーブルについて取引することだ。具体的には電気料金値上げになるが、皆さんから怒りの声があがるかもしれないが、私たちは賭をしているときではない中小企業に影響が出る懸念があるが、影響が出ない仕組みを考えていく。国民と電力会社とが直接交渉すること。日本政府と腐りきった官僚は間に入れないこと。
●中山嶌演(明通寺住職)「危機のゆえんを問いなおす」
現代の核文明、原発分明が要請している倫理は、たんに私たち一人一人の、個人対個人のモラルだけでなく、広範囲におよぶ配慮と責任、判断と実践が要請されているのではないか。
ビッグピンチに私たちは直面している。そのビッグピンチの中身やゆえんを、広く深く見極め、とらえ直すこと。これが根本的、全体的にこのビッグピンチを変えていく、ビッグチャンスに転化する出発点になると思っている。
●武藤類子(福島原発告訴団団長)「かしこく、つながりあう」
明らかにされていく事実のなかで、さらにがっかりすることや、驚き、あきれることも、たくさんあった。数々の分断は、私たちをバラバラにしようとした。暗闇のなかで、翻弄され、傷つき、混乱しながら、それでもつながり続け、ひとりひとりが最善を尽くしてきたと思う。
以上、編集部「「さようなら原発」17万人集会の記録」(「世界」2012年9月号)に拠る。
↓クリック、プリーズ。↓
●鎌田慧「主権ふみにじる原発・政権にノーを」
全国のあらゆる人たちの力を振りしぼって集めた780万筆の署名を6月15日に首相官邸に持参し、藤村官房長官に提出した。しかし、その次の日、野田政権は大飯原発再稼働を決めた。こんな政府があるか。主権者の声を、民意を、汗と涙によって集めた署名を、踏みつぶして平然としている。このような内閣に、私たちはノーを突きつけたい。
●奈良美智「自然なこころのおもむきを信じて」
僕が自然に描いた絵や、自然につくったものを、自然にこういう行動を起こした一般の人たち、ふつうのサラリーマンの方や家族の方、学生や小さい子、お年寄りの方。そんな方々が、僕がむかし描いた絵をどこかから探し出してきて、デモに使っていいか、と言ったので、「どうぞ使ってください」と。そういう形で僕は僕なりに参加してきたと思います。
●坂本龍一「福島のあとに沈黙しているのは野蛮だ」
言ってみれば、「たかが電気」だ。たかが電気のために、なぜ命を危険にさらさねばならないのか。
たかが電気のために、この美しい日本を、そして国の未来である子どもたちの命を危険にさらすようなことはするべきではない。お金より命だ。経済より生命だ。子どもを守ろう。日本の国土を守ろう。
●内橋克人「国民的合意なき原発よ、さようなら」
「対案なければ反対なし」というのは、常に政府、官僚が、主権者である国民、市民を脅し、口を封じさせるための常套句だった。ここを見抜かねばならない。核心となる情報を隠しておいて、「お上の言うことに楯突くとはけしからん、対案を出せ」、こういう仕組みだ。私は承伏できない。人々の魂に根づく平衡感覚とか鋭敏な危険察知能両区。あるいは、およそ命あるものに必ず備わっている畏怖心。そういったものこそが、安心社会の礎であるはずだ。
●大江健三郎「侮辱のなかで生きることをやめよう」
原発大事故のなお続くなかで、大飯原発を再稼働させた政府に、さらに再稼働をひろげていこうとする政府に、私はいま自分らが侮辱されていると感じる。私らは侮辱のなかに生きている。いま、まさにその思いを抱いて私らはここに集まっている。私ら十数万人は、このまま侮辱のなかに生きてゆくのか? あるいはもっと悪く、このまま次の原発事故によって、侮辱のなかに殺されるのか? そういうことがあってはならない。そういう体制は打ち破らなければならない。私らは政府のもくろみを打ち倒さねばならない。それは確実に打ち倒しうるし、私らは原発体制の恐怖と侮辱のそとに出て、自由に生きていくことができるはずだ。
●落合恵子「いのちから、ほんとうの民主主義へ」
野田政権に訊く。あなたたちが「国民」というとき、いったい誰を見ているのか。今日ここにいるのが「国民」であり、市民なのだ。
●澤地久枝「主権を、未来を、とりもどすために」
日本の政治は、日本人からふるさとを奪った。福島の人たちはふるさとへ帰っていきたいけれど、帰っていけない。放射能に汚染されたふるさとへ帰るということは、文字どおり死を意味している。
●瀬戸内寂聴「言い分をめげずに口に出しつづける」
いま私たちが毎日何不自由なく暮らしていけるのは、ぜんぶ過去の人たちが、さまざまな苦労をして、さまざまな反逆をして、人間の自由を守ってきたからこそなのだ。こうして集まっても政府の方針を変えることになるか、90年生きてきたから非常に懐疑的だが、それでも私たちは集まらなければならない。税金を払った日本の国民だからだ。政治に対して言い分があれば、口に出して言っていいのだ。体に表して行動していいのだ。
●広瀬隆「いまこそ電力会社と直接交渉を」
大飯原発再稼働の真の理由は、電力不足ではなく、11基の原発が廃炉になれば関電の純資産のうち半分が吹き飛ぶからだ。経営破綻を避けるため、再稼働を強行したのだ。では、どう解決するか。その一つは、今日の集まりの呼び掛け人と関電とが同じテーブルについて取引することだ。具体的には電気料金値上げになるが、皆さんから怒りの声があがるかもしれないが、私たちは賭をしているときではない中小企業に影響が出る懸念があるが、影響が出ない仕組みを考えていく。国民と電力会社とが直接交渉すること。日本政府と腐りきった官僚は間に入れないこと。
●中山嶌演(明通寺住職)「危機のゆえんを問いなおす」
現代の核文明、原発分明が要請している倫理は、たんに私たち一人一人の、個人対個人のモラルだけでなく、広範囲におよぶ配慮と責任、判断と実践が要請されているのではないか。
ビッグピンチに私たちは直面している。そのビッグピンチの中身やゆえんを、広く深く見極め、とらえ直すこと。これが根本的、全体的にこのビッグピンチを変えていく、ビッグチャンスに転化する出発点になると思っている。
●武藤類子(福島原発告訴団団長)「かしこく、つながりあう」
明らかにされていく事実のなかで、さらにがっかりすることや、驚き、あきれることも、たくさんあった。数々の分断は、私たちをバラバラにしようとした。暗闇のなかで、翻弄され、傷つき、混乱しながら、それでもつながり続け、ひとりひとりが最善を尽くしてきたと思う。
以上、編集部「「さようなら原発」17万人集会の記録」(「世界」2012年9月号)に拠る。
↓クリック、プリーズ。↓