語られる言葉の河へ

2010年1月29日開設
大岡昇平、佐藤優、読書

【本】『幸福の森』『鎮魂の海』 ~25年をかけて長編を完結した加賀乙彦~

2012年08月25日 | ●加賀乙彦



(1)『永遠の都』執筆開始から25年。書き継いできた渾身の自伝的大河小説が、第4部『幸福の森』、第5部『鎮魂の海』でついに完結。激動の昭和から世紀末を舞台に、人間と家族のあり方を描く。

 1985年から書き始め、執筆を終えたのが昨秋。およそ25年。自分でもこんなに長くなると思わなかった。
 ただ、自分の生きた時代を若い人たちにも分かるように伝えたい。特に戦争中のことはきちんと書いておかなければ、という一種の義務感のようなものはあった。

(2)『永遠の都』では、東京で外科病院を開業した時田利平・元海軍軍医を中心に、昭和初期から敗戦直後までの一族の歴史が描かれる。『雲の都』では、戦後の東京を舞台に、悠太・利平の孫を中心に物語が展開し、第4部、第5部で一族の複雑な人間関係に、さまざまな形で決着がつけられていく。

 ほかの小説を書きながらも、最終的にはこれを書いて人生を終えようと思っていた。だから、そういう意味で登場人物の関係などは前々から考えていた。
 ただ、当初書こうと思っていたのは、戦争中のことだけ。『永遠の都』で完結したつもりだった。
 ところが、当時「新潮」の編集長が軽井沢の別荘に来て、続編を書いてくれ、と言う。これから始まる最後の時代を、家族の生活と絡めて書くべきだ、と。
 最初、断った。でも、戦後に起きた事件や犯罪について資料をかなり集めていたし、日記も書いていたから、これを使わずに死ぬのが惜しくなって、半年後には「書く」と返事をした。

(3)物語は三人称で語られているかと思えば、一人称になったり、一つの出来事についても語り手が次々に変わっていく。対話形式、日記、書簡なども挿入され、多彩な話法で展開する。

 僕の小説について、ポスト・モダンを信奉する若い批評家から「19世紀的リアリズム小説」と言われることがある(自分ではそうは思わない)。19世紀の小説家(ドストエフスキーやトルストイ)は、最後まで一貫して同じ人称で語られる。
 精神科医として東京拘置所に勤めていたとき、ある死刑囚と親しくなった。彼は、僕に冷静な思索者としての顔を見せる一方、文通相手の女性には手紙を通してやんちゃな子どものような顔を見せていた。そして、死後に残された獄中日記から読み取れたのは、絶望のどん底で苦悩する顔。
 同じ人間が、相手や状況によって、まるで違って見える。そのことに衝撃を受け、人間の多面性や人間同士の複雑な絡みは、一つの人称での一面的な視点では描ききれない、と感じるようになった。そこから、必要に応じていろんな視点から書いていくという、小説についての僕なりの方法論を考えた。
 いわば、いろんな織り方を絡めて複雑な模様を織り出したタピストリーのような小説だ。
 だからといって、19世紀的リアリズムを否定するわけではない。ドストエフスキーやトルストイも大好きで、いつか『戦争と平和』のような小説を書きたい、と思っていたから。

(4)第4部『幸福の森』、第5部『鎮魂の海』では、幸福な場面から物語りが始まる。悠太は昨夏としてのデビューを果たし、幼いころから憧れていた千束と結婚するのだ。他方、周囲の人たちが少しずつ亡くなっていき、全編に憂愁の匂いも漂い始める。

 2008年、僕が79歳のとき、妻が70歳で急逝した。自分自身の妻の死にも向き合わざるを得ない、と思い、千束が亡くなる場面は僕の体験に重ねて描いた。
 そして、妻の死を書く以上、僕の分身とも言える悠太の死も想定し、物語の最後を締めくくった。決して明るい小説ではないかもしれないが、人間の一生を僕なりの手法で描けた、と思う。

(5)『雲の都』5部作では、戦後の激しく変わっていく東京の街、全共闘運動、あさま山荘事件、阪神大震災、地下鉄サリン事件といった出来事が、登場人物の人生に絡めて克明に描かれる。

 この小説を通して、僕は東京という「故郷」を描いたつもりだ。僕の生家は、いまの新宿区歌舞伎町2丁目あたりにあった。空襲では焼け残ったが、すでに取り壊され、かつての面影は何もない。あまりにも変わりすぎたため、東京を舞台にした小説は書けないだろう、と思っていた。しかし、よく考えれば、永遠なんてあり得ないからこそ、逆説的な意味で東京は「永遠の故郷」なのだ。
 そして、東京の街が時代とともに変わっていく過程で、世の中はさまざまな事件が起きる。そういう現実と結びついた上で、小説のなかの人物たちが自在に動いていくわけだ。

(6)悠太は非常に理性的な一方、自分には祖父譲りの姦淫の血が流れている、と葛藤する。そういう人間の「業」を描くことも意識していたのか。

 僕はキリスト教徒だから、人間の罪についてずっと考えてきた。
 悠太は、妻が不倫相手の子を身ごもったのではないか、と恐れ、「堕ろしたい」と言ったとき、賛成する。
 しかし、妻の死後、それが自分の意識のなかに罪として芽生えてきて、苦しむ。宗教は、登場人物にいろんな形で影響を与えている。

(7)100年近くにわたる「家族」の物語を書いてきたわけだが、日本の家族像や日本人は、その間に変わったのか。

 日本人はそう簡単に変わることができない、と思う。明治から昭和を経て、世界を相手に戦うような戦争を経験しても、そしてそれから60年以上が過ぎても、本質は何も変わっていない、と僕は感じている。そういう意味で、この作品で描いた日本人やその家族像あh、普遍的なものだ、と言える。

 以上、伊藤淳子・構成「インタビュー 書いたのは私です 加賀乙彦」(「週刊現代」2012年9月1日号)に拠る。
     ↓クリック、プリーズ。↓
にほんブログ村 本ブログ 書評・レビューへ  人気ブログランキングへ  blogram投票ボタン
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする