語られる言葉の河へ

2010年1月29日開設
大岡昇平、佐藤優、読書

【片山善博】都知事選に見る政党の無責任 ~候補者の「品質管理」~

2014年03月28日 | ●片山善博
 (1)このたびの都知事選は、最悪のタイミングで行われた。自治体にとって、次年度の予算編成を行う時期で、予算案の作成は首長の専権事項だ。その肝心の知事が予算編成期間中ずっと空席であれば、ちゃんとした予算は作れなかったのではないか。

 (2)選挙に出馬するには準備が必要で、体制を整え、資金調達のめどをつけ、都政なら都政の課題を把握し、自分の考えをまとめておかねばならない。出馬によって周囲に迷惑をかけないためには、自分の仕事や社会的関わりを適当な時期までに整理しておかねばならない。
 そんな人にとって、現職知事の辞職により生じた時ならぬ選挙に、直ちに応じることはできない。わけても組織や団体で
重要な役割を果たしている人ほど。
 比較的立候補しやすいのは、既に引退ないし隠遁している人か、自由業に就いている人だ。
 例外は現職知事の側近で、中途辞任を耳打ちされた人だ。断然有利な立場で選挙戦に臨むことができる。

 (3)都知事は、二代続けてその任期をまともに務めていない。前々任の石原は、自ら4期目に挑んでその座に就きながら、無責任にも選挙後1年余りでその任を放り出してしまった。前任の猪瀬は、自分自身の資金疑惑により就任後1年で辞めざるを得なくなった。
 二度の都知事選を通じて天下に明らかになったのは、政党の不甲斐なさだ。特に大きな政党ほど情けなかった。政党としての主体性も矜持もかなぐり捨てて、「勝ち馬」に乗ろうとする「せこさ」や組織の体をなしていないありさまが印象づけられた。自民党が外添候補を押すことにしたのは、事前の世論調査で彼が最も有力だったからだ、と言われる。
 一方の民主党は、外添候補に相乗りしかけては、脱原発を引っさげ颯爽と登場した細川候補に目移りし、右往左往したあげく、「組織的勝手連」などというわけのわからない対応になった。

 (4)政党には、もっと積極的な主体性が求められる。わけても、候補者の「品質管理」に責任を持つべきだ。
  (a)ポイントの1、候補者の人となりや信頼性。
  (b)ポイントの2、掲げる政策の妥当性。

 (5)自民党は、いわば「不良品」として切り捨てた商品を、急遽「優良品」として消費者に提示したようなものだ。自民党が野党に転落したとき、外添は後脚足で砂をかけるように自民党を捨て、その外添を自民党は除名し、党から排除していた。外添を支援することは「大義がない」と党内でも批判があったが、的外れではない。「復権」や「再生」があってもよいが、それには党内での十分な議論と党内外に対する説得力が伴わなければならない。今般、それがあったとは思われない。
 候補者の「品質管理」は二の次にして、ただ勝たんがためのご都合主義に走った。
 背景と経緯は異なるものの、やはり勝ち馬に乗るために「品質管理」を怠り、その結果わずか1年で現職知事を辞任に追い込まざるを得なかった前回の失敗をまるで省みてない。猪瀬の説明責任能力と自身の言動に対する誠実さについて多少の「品質管理」をしていれば、当時の選挙の構図も変わっていたはずだ。

 (6)民主党も似たり寄ったりだった。細川候補を全面的に支援する小泉純一郎は、かつての政敵だ。小泉内閣が進めた「構造改革」が格差拡大を招いた、と厳しく批判していたのではなかったか。いくら「勝手連」的支援とはいっても、かかる経緯をうやむやにするのは政党として無責任に過ぎる。仮に細川候補が当選していたら、小泉の新自由主義的政策が都政に持ち込まれることが必至だった。そのことを民主党としてどう考えていたのか。
 政策の「品質管理」にも危惧があった。細川候補の「原発即ゼロ」と党の方針との整合性はどうなのか。民主党は「2030年代に原発ゼロ」をめざしていた。党としていつどんな議論を経て方針を変えたのかを示さなければならない。また、「即ゼロ」に都政としてどんな手段があるというのか。ご都合主義や無定見はいけない。
 大政党が勝ち馬に乗りたい一心で無原則に妥協してしまったのでは「品質管理」はなきに等しい。

 (7)本来、政党とは、理想とする政策を掲げ、それを担える人材を確保し、その人を候補者に仕立てて選挙戦を戦うものだ。これが「品質管理」だ。この政党の機能と役割は、国政選挙でも地方選挙でも変わりない。
 現実には地方政治でも企業団体献金は政党のみに限られ、無所属候補はまとまった政治資金を集める道を閉ざされている。そいうした政党中心の制度ができあがっているにも拘わらず、当の政党は「待ちの姿勢」に終始し、資金面でも組織面でも徒手空拳に等しい個人が蛮勇をふるって手を挙げるのを待って「品定め」し、その中から自分たちに都合のよい候補に声をかけ、恩を売り、ちゃっかり「与党」のポジションを得ようとする。姑息で卑怯だとは思わないか。

□片山善博(慶大教授)「時ならぬ都知事選の弊害と政党の責任 ~日本を診る 54~」(「世界」2014年4月号)
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【古賀茂明】東電を絶対に潰さずに銀行を守る ~新再建計画~

2014年03月28日 | 震災・原発事故
 (1)東京電力が新たな総合特別事業計画(再建計画)を策定し、安倍政権がゴーサインを出した。
 そこには「東電復活」ロードマップが描かれている。
 柏崎刈羽原発の4基を7月から順次再稼働させ、2014年度に1,6円超の経常黒字を見込む。
 再稼働が遅れれば電気料金の再値上げを検討する。

 (2)はっきりと確定したのは、東電は絶対に潰さないということ。廃炉、除染、汚染水対策などで東電の資金力がなくなっても、すべて税金か電気料金で賄うスキームだ。銀行が東電に融資している4兆円は何が何でも守る。銀行、経済産業省がうまいことをやった、という印象だ。
 膨大なカネがかかる事故処理に、最終的に税金の投入は仕方がない。しかし、その前に、経産省、銀行、株主は何の責任をとらなくてもいいのか。事故から3年間、世論の反発をかわしながら、時に東電を矢面に立たせ、問題が出ると政府が「ちゃんとやります」とポーズを取り、のらりくらりと国民を丸め込んだ。

 (3)国は、2012年7月、原子力損害賠償支援機構を通して東電に1兆円の公的資金を注入し、議決権の過半を握った。この議決権を2016年度末以降に50%未満、2020年代初頭には3分の1未満に引き下げ、東電の「自律的運営体制」を取り戻そうというのが、計画のポイントだ。2020年代半ば以降には、この国が持つ株式を市場で売る算段だ。
 売却益は国庫に戻さず、東電の除染費用に充てられることになった。
 株価を上げるためには、東電が儲かる会社にならなければならない。つまり、今後、もっと東電に甘い仕組みができるだろう。

□記事「古賀茂明氏が読み解く東電の新再建計画 絶対に潰さずに銀行守る 株売却視野に甘い仕組み」(「AERA」2014年3月17日号)
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 【参考】
【古賀茂明】「避難計画」なき原発再稼働
【原発】【古賀茂明】利権構造が完全復活 ~東日本大震災3年~