(承前)
ただ、こういうアーレントの真意が誤解される理由がなくはない。それは、悪の陳腐さに苛立つ語り口もさることながら、彼女独特の論理的思考法、とくに二つのものを対比させる場合の二分法の持つ微妙な含みに由来するところが大きい。
AとBとは一応区別され対比されはするが、それは直ちに二項対立ではなく、それを前提とした二者択一や「決断」には結びつかない。
<例>公/私、ドイツ人/ユダヤ人。
「バーリア()」【注】/「成り上がり」・・・・という二分法にしてもそうだ。両者は、同化しようとするユダヤ人にとっての所与条件と、そこからの離脱目標という形で対比されている。しかし、恵まれた身分に生まれたものは、別に成り上がりたいと思う必要はなく、バーリアだからこそ成り上がりたいのだという意味では、両者は通底している。また、異文化への同化に成功しても、「自覚的バーリア」として居直っても、どちらも真の自己解放(本来的な自己実現)に結びつかない点では、共通している。
【注】ユダヤ人の「同化」をめぐるキー概念。
同じことは、アイヒマン・レポートのキー概念たる「陳腐な悪」/「根源悪」、「加害者」/「被害者」・・・・といった対概念についても言える。根源悪は「悪の英雄」の姿をとるころもなく、月並みの小悪党、場合によっては、ごく普通の善人を通じて現出する。
アルゼンチンに遺された息子にしてみれば、アイヒマンは家庭内でよきパパだったし、不当にも国外へ拉致され、処刑された被害者でしかない。加害者/被害者・・・・という関係は、ルサンチマンを介して循環する。
その悪循環を絶つためには、「宥すか裁くしかない」と、かつてアーレントは言い切っていた。
しかし、アイヒマン裁判によって、この循環は絶たれたのか。ユダヤ人に対する罪をユダヤ人が裁くのでなく、「人類そのもの=人間存在(human being)」への罪を裁くのは、神ならぬ誰なのか。
今では、全体主義的国家体制は、かつてのような勢力を誇ってはいない。
「最終解決」計画進行中の「ゲットー」のような「極限状況」も見当たらない。
しかし、根源悪/陳腐な悪、被害者/加害者・・・・が通底し、転換し合う全体主義的状況は、テクノロジーによって支配された文明の現段階に、姿を変えてグローバルに拡散しているのではないか。
<例>原爆投下やミサイル発射のボタン一つ押すだけで、人は自分の行為の結果に良心の痛みを覚えることなく、数万の人間を殺すことができる。
このような状況下では、善良な市民は、被害者になる危険とともに、容易に加害者になり得る潜在的可能性を持つ。
根源悪は抽象的になり、不透明になりつつある。
アーレントの問題提起を受けとめつつ、こういう方向へさらに展開していったのは、アンデルス(アーレントの別れた最初の夫)やハンス・ヨーナス(終生の友)だったかもしれない。
アンデルス・・・・アイヒマンの息子や原爆投下B29の飛行士に公開書簡を送り、その罪の意識を問い、日本にも来て、反原爆運動に挺身した。
ヨーナス・・・・「アウシュビッツ以後、なお神を信ずることは可能か」を問い、創造計画の実現を一部人間に委託することで、神の善意と、人間の生命・責任の尊厳との、その両者を守ろうとした。
こういう人々との、家族を超えての友情。
アーレントは終生、自分のアイデンティティを、特定の集団への所属によって決めようとはしなかった。しかし、信頼する人々との厚い友愛関係の中を生きた。
そういうサークルは、奇しくも
①1920年代、『存在と時間』を執筆中のハイデガーの下に、与えられた運命からの解放をめざす「実践の哲学」を求めて集まり、
②1933年の彼のナチス入党とフライブルク大学総長就任以来、離れて米国へ亡命した
ユダヤ系ドイツ人思想家たちによって形成された。
レーヴィット、マルクーゼを含むそれら「(ハイデガーの)息子たち」は、「父親殺し」をつうじてそれぞれ成長していった。
それに対して、アーレントは戦後いち早くハイデガー弁護に廻った。「優しい娘」として「迷える父親」を見守ったと言うべきか。
たしかにアーレントは、ハイデガーのニーチェ解釈の転回のうちに、彼のナチス加担への自己批判を認め、それを悲劇ではなく、喜劇とみなすことで、旧師の名誉を温存しようとした。それは、彼女の「プルーラリズム」に基づく寛容さともとれる。
しかし、アイヒマン・レポートでは、旧師の抽象的な「存在論的区別」という二分法を破って、「善悪の彼岸」にあった「根源悪」を「世界内」に引き出し、その陳腐で恐るべき姿を白日の下に曝した。そこに、私情を超えた「世界への愛」がある。
□徳永恂「アーレント「悪の陳腐さ」をめぐって」(「図書」2014年12月月号)
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【参考】
「【政治】アーレント「悪の陳腐さ」(1) ~普通人による恐るべき差別~」
ただ、こういうアーレントの真意が誤解される理由がなくはない。それは、悪の陳腐さに苛立つ語り口もさることながら、彼女独特の論理的思考法、とくに二つのものを対比させる場合の二分法の持つ微妙な含みに由来するところが大きい。
AとBとは一応区別され対比されはするが、それは直ちに二項対立ではなく、それを前提とした二者択一や「決断」には結びつかない。
<例>公/私、ドイツ人/ユダヤ人。
「バーリア()」【注】/「成り上がり」・・・・という二分法にしてもそうだ。両者は、同化しようとするユダヤ人にとっての所与条件と、そこからの離脱目標という形で対比されている。しかし、恵まれた身分に生まれたものは、別に成り上がりたいと思う必要はなく、バーリアだからこそ成り上がりたいのだという意味では、両者は通底している。また、異文化への同化に成功しても、「自覚的バーリア」として居直っても、どちらも真の自己解放(本来的な自己実現)に結びつかない点では、共通している。
【注】ユダヤ人の「同化」をめぐるキー概念。
同じことは、アイヒマン・レポートのキー概念たる「陳腐な悪」/「根源悪」、「加害者」/「被害者」・・・・といった対概念についても言える。根源悪は「悪の英雄」の姿をとるころもなく、月並みの小悪党、場合によっては、ごく普通の善人を通じて現出する。
アルゼンチンに遺された息子にしてみれば、アイヒマンは家庭内でよきパパだったし、不当にも国外へ拉致され、処刑された被害者でしかない。加害者/被害者・・・・という関係は、ルサンチマンを介して循環する。
その悪循環を絶つためには、「宥すか裁くしかない」と、かつてアーレントは言い切っていた。
しかし、アイヒマン裁判によって、この循環は絶たれたのか。ユダヤ人に対する罪をユダヤ人が裁くのでなく、「人類そのもの=人間存在(human being)」への罪を裁くのは、神ならぬ誰なのか。
今では、全体主義的国家体制は、かつてのような勢力を誇ってはいない。
「最終解決」計画進行中の「ゲットー」のような「極限状況」も見当たらない。
しかし、根源悪/陳腐な悪、被害者/加害者・・・・が通底し、転換し合う全体主義的状況は、テクノロジーによって支配された文明の現段階に、姿を変えてグローバルに拡散しているのではないか。
<例>原爆投下やミサイル発射のボタン一つ押すだけで、人は自分の行為の結果に良心の痛みを覚えることなく、数万の人間を殺すことができる。
このような状況下では、善良な市民は、被害者になる危険とともに、容易に加害者になり得る潜在的可能性を持つ。
根源悪は抽象的になり、不透明になりつつある。
アーレントの問題提起を受けとめつつ、こういう方向へさらに展開していったのは、アンデルス(アーレントの別れた最初の夫)やハンス・ヨーナス(終生の友)だったかもしれない。
アンデルス・・・・アイヒマンの息子や原爆投下B29の飛行士に公開書簡を送り、その罪の意識を問い、日本にも来て、反原爆運動に挺身した。
ヨーナス・・・・「アウシュビッツ以後、なお神を信ずることは可能か」を問い、創造計画の実現を一部人間に委託することで、神の善意と、人間の生命・責任の尊厳との、その両者を守ろうとした。
こういう人々との、家族を超えての友情。
アーレントは終生、自分のアイデンティティを、特定の集団への所属によって決めようとはしなかった。しかし、信頼する人々との厚い友愛関係の中を生きた。
そういうサークルは、奇しくも
①1920年代、『存在と時間』を執筆中のハイデガーの下に、与えられた運命からの解放をめざす「実践の哲学」を求めて集まり、
②1933年の彼のナチス入党とフライブルク大学総長就任以来、離れて米国へ亡命した
ユダヤ系ドイツ人思想家たちによって形成された。
レーヴィット、マルクーゼを含むそれら「(ハイデガーの)息子たち」は、「父親殺し」をつうじてそれぞれ成長していった。
それに対して、アーレントは戦後いち早くハイデガー弁護に廻った。「優しい娘」として「迷える父親」を見守ったと言うべきか。
たしかにアーレントは、ハイデガーのニーチェ解釈の転回のうちに、彼のナチス加担への自己批判を認め、それを悲劇ではなく、喜劇とみなすことで、旧師の名誉を温存しようとした。それは、彼女の「プルーラリズム」に基づく寛容さともとれる。
しかし、アイヒマン・レポートでは、旧師の抽象的な「存在論的区別」という二分法を破って、「善悪の彼岸」にあった「根源悪」を「世界内」に引き出し、その陳腐で恐るべき姿を白日の下に曝した。そこに、私情を超えた「世界への愛」がある。
□徳永恂「アーレント「悪の陳腐さ」をめぐって」(「図書」2014年12月月号)
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【参考】
「【政治】アーレント「悪の陳腐さ」(1) ~普通人による恐るべき差別~」